今日は8月15日。75年前、大日本帝国が国民向けに戦争を止めることにしたと発表した日。その意味で、別に他国に及ぼす法的な作用は何もない。
降伏の調印は9月2日だし、ポツダム宣言の受託決定、海外への通告文書放送は8月10日午前。
8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告した(午前6時45分)。同日8時過ぎに外務省からの指示で同盟通信社のモールス通信と日本放送協会(NHK)の海外ラジオ放送(いずれも短波)で通告文書が放送された。国内での短波受信は禁止されていたので大半の日本人より早く短波受信機が普及されていた連合国側(だけではないが)の国民にはポツダム宣言受諾が知らされた[4]。wiki
そういうわけで、この日を「終戦記念日」などという名前で呼んで懐かしむのはいいにしても、その他の国際関係としてもっと重要な日付けを教えておくべきだっただろうなどとは思う。
さて、そんな中、敗戦75周年を迎える中で、ソ連に負けたという単なる事実にしかすぎないことが、新聞の見出しになるという珍事が起こっていた模様。
宗純さんのところで知りました。(帝国の敗戦を75年間も認めない日本人)
ソ連にも敗れた日本 2020年8月12日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200812/dde/014/040/008000c
「それは日本が先の大戦は米国に負けたのであり、ソ連に敗れたと認めたくないから。多くの犠牲者と捕虜を出し、短期間であれ明らかな戦争だった。日本は中立条約を破って参戦したソ連を非難するが、真珠湾を奇襲しておきながら偉そうなことを言う資格はない」。「触れたくない」敗戦ゆえに分析が立ちおくれていた日ソ戦争の全体像に迫る『日ソ戦争1945年8月 棄てられた兵士と居留民』(みすず書房)を先月中旬に出版した富田武・成蹊大学名誉教授(74)はこう語る。開戦75年に間に合わせようと、構想からわずか半年で原稿を書き上げた。
だそうです。
先生にとっては大決心なんでしょうし、これを報じる毎日新聞にとっても大決心なんでしょう。
ですが、事実関係からすると、バカバカしくって聞いてられねーよって感じがしてしまう。
別にこの先生を非難しても始まらないわけだし、こういうおかしな日本の中でこういうお仕事をするには勇気がいるのだとも思うので、その点ではエライ人なのだと思う。
だがしかし・・・ですよ、ほんと。
で、こういう本が好事家に読まれたからといって、だいたい60年ぐらいみっちり嘘を仕込んでしまったことのツケがそう簡単にクリアになることはないという点も改めて確認しておきたい。ぬか喜びなんかできないですから。
アメリカさんに怒られるまでは何もしなくてもいいだろう、ってのが国民の一致した見解だと思うし、多くの御用学者もアメリカが書いてるラインに抵触しなけりゃいいでしょ?以上に何も考えてないと思う。
ロシアの外相のラブロフが2年前に、このようなことを言い、日本の歴史認識には重大な問題があることを示唆したわけだけど、それでも世の中何も変わってないわけですしね。
第2次大戦の結果を認められない唯一の国
東西挟み撃ち体制が見たくなかったらしい
また、最近は、アメリカとイギリスが戦後言い散らかした、「ノルマンディー作戦がナチ打倒の分水嶺」みたいな嘘八百が粉砕されているんだが、そこも日本のメディアは全然追いかけないので、殆どの人はこの静かな地殻変動みたいなものに気づいていない。
WW2の決定的な勝者はソ連だよと人々が言うの巻
■ 成り行きさえわかってない
前にも書いたけど、日本の場合、日ソが戦争したたかどうかというよりも、日本は枢軸国として連合国全体と戦争をしていたというビックピクチャーが欠けているのも相当に問題だと思う。
ラブロフは外交的な観点から、第二次世界大戦の結果を認められない唯一の国と日本を表現したけど、日本人の私が思う日本は、第二次世界大戦の成り行きがわかってない唯一の当事国、だと思う。
そして、成り行きがわからず、自分たちの持ってた能力もよく理解してないから、今に至るまで、本当は勝てたのだ、とか言い出すのだと思う。
単に、負けを認めたくないという心理的な問題だけでなく、知らないからホラに釣られるという事情もあると思う。
特に、本当はドイツと一緒にソ連を攻めればよかったのだと思ってる人は今でも結構いると思うが、だがしかし、一体どうやって日本陸軍はソ連領内に入っていって、何か首尾の良い成果をあげることができたのだろうか。
■ データを見てみよう
ということで、ちょっと今日はデータを貼り付けてみたい。
これは、第二次世界大戦時の兵器生産量、wikiにあるもの。細かいところまで正しいというつもりはないけど、概ね日頃見ているものと齟齬はないように思うのでこれを見てみたい。(日本語版はなかった)
左から2列目が戦車と自走砲(Tanks&SPGs)
ソ連は12万台近い数を生産している。ドイツの倍近い。
日本は 4,500台(戦車なので両か)
Artellery、Motarは大砲、火砲で、両方とも火力を搭載した装置。独ソに比べると日本の火力装置は1桁違ってる。
しかも、この12万台の中で主力戦車のT-34は5万以上、6万近くを占める。では残りは劣位かというとさにあらず、それ以上の性能を持った重戦車も3,000~4,000という単位で複数生産されている。独ソ共に戦争しながらバージョンアップしていった。
日本の場合、主力戦車九七式中戦車が既にしてT-34には遥かに及ばない戦車で、そしてそれ以上の上位戦車が同数以上作られたという事象もない。つまり質も量も共に日本は問題にならないほど劣位。
また、右から2番目の、機関銃(machine guns)も重要。
航空機で見ても、量的に目覚ましいものとは言えない。
この体制で、「北進論」を取れば勝てたはずだと思ってる人は、単にもの知らずでしょう。
にもかかわらず、現実に、ドイツがソ連を負かせばお釣りが来ると関特演をやってしまったのが日本陸軍。
1941年12月にはソ連に勝ってる算段だった
海軍は確かに空母を備え数的にいい線いってる。だがしかし、アメリカ海軍と戦う海軍だったのだろうかという数ではある。
(クリックすると別窓で大きく出ます)
また、日本の中では英海軍を非常に舐めている人が戦争中から今に至るまで一貫して存在してるけど、英海軍は質量ともにとりあえず大きな海軍だった。ただ、ドイツ、イタリアの潜水艦にホントにもうびっくりするほど沈められている。
ドイツの行の、右から3列目の「潜水艦(submarine)」にひときわ目立つ「1152」という数字に嘘はないってことでしょうね。ドイツはホントに群を抜いた数を揃えていた。
List of Royal Navy losses in World War II
ということで、データを見れば、日本はソ連と単独でやっても勝てなそうだし、アメリカとやっても無理そう。そして事実そうなった。
あと、日本の中には、イギリスをインド洋で叩けば勝てたという説が根深くあるけど、私は結構ネガティブ。そのうちこれは何か書きたいと思ってる。
■ 参考記事
関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦
1941年12月にはソ連に勝ってる算段だった
WW2の決定的な勝者はソ連だよと人々が言うの巻
プーチンの第二次大戦論文:東西がつながった
旧日本軍は軍隊ではないからだ。
1932年に満州国を作りその経済建設もまだ途上にあるのに中国国内の奥深くまで軍事進攻する。
食糧・武器の補給ラインはどこでどうするのか不明だ。
多くの中国人を殺害してハルノートに憤慨してその後始末は真珠湾攻撃という無謀な政治判断。
石油をどうのこうのというが日本は当時朝鮮・台湾・満州を領有していた、食料に困ることない。
周辺の民族を見下ろして恥じない大勢の日本人が満州に押し寄せてたのが旧日本軍が中国領内に軍事進攻した最大の理由だと睨んでいる。
国民党の横暴とかソビエト軍をどうのこうのというのは
単なるこじつけ。
旧日本軍と周辺の軍事組織の間の緩衝になるはずの
満州の日本人の行動は今も問われていない。
俳優の森重久弥が満州で経験した実話をテレビで話していた。
長野から満州に開拓民として入った息子の身を案じた
父親が満州の現地に入るや否や現地の住民に土下座をして息子を宜しくお願いしますと言ったそうだ。
森重はこんな人たちは例外的で殆どは現地の住民を
見下ろしていたそうだ。