習主席「アジアの安全はアジアで守る」
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中国やロシアなど26の国と地域が加盟するアジア信頼醸成措置会議の首脳会合が21日上海で開かれ、議長国・中国の習近平国家主席は演説で「アジアの安全は結局、アジアの人々が守らなければならない」と述べ、アメリカのアジア重視の姿勢を念頭に、アジアの安全保障を巡る新しい秩序を中国主導で作ろうという姿勢を強く打ち出しました。
これだけ見て、なんとなく日本の保守を名乗るコラボレーターの人たちが怒っているようではある。つまり、アジアの安定を乱しているのは中共そのものなのになんでだ!ってやつですね。
それはまさにその通り。しかし、それにもかかわらず、やっぱり「アジアの安全はアジアで」とは、大日本帝国による大東亜戦争のスローガンそのものなわけだから、私たちはそれを別の人に言われていることを正面から受け止め、立ち止まって考えてみるべきだろうと思う。
つまり、70年たって日本はこう言えない立場に立っているということを思い起こすべき。
理想的には、「アジアの安全はアジアで守る」と来られたら、まさにその通りと言えればいいわけです。
ではどういう条件なら言えるのか。
それは日本が独自の立場を堅持していることではなかろうか。つまり、アジアの国として、西欧人がなにやらやっていても独自の見解を持ち、地域に不安定要因があったら積極的に交渉させたり、仲介したり、場合によっては武力を背景に威嚇してみたり、といったこと、すなわち地域のリーダーになっていればいい。
その上で、隣の国の大将がそういったのなら、まさにその通りです。ところであなた、ここはダメです、あそこはダメです、と言えばいいし、対決の姿勢があったって全然いい。
しかし、私たちはそうはなっていない。30年ぐらい前は実はまだ日本はこう言えるところがあった。アジアで危機があればそれは自分のこととして立ち振る舞っていたのは日本だった。
その立場を失いつつあるのは、一部の「保守」グループがいうように核兵器がないからばかりでは決してないと私は思う。これだけ大きな経済主体であることを利用して、自己の立場を押し通すという気概を失ったからだと思う。私たちが失ったもので一番大きなものは、それは気概とそれを表す言葉だと思う。
mind set、物の考え方、物の見方がいつのまにか、アメリカがなければ自己の立場ないかのような方向へと変わったことが一番大きかったと思う。
国家に必要なものは、経済力、軍事力、そして尊厳。
まさに伊藤貫さんが言っていた通り。