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「二・二六事件」 軍法会議の記録 来年以降公開へ (2)

2016-03-22 22:53:32 | 参考資料-昭和(前期)

今朝のエントリーの2.26事件の資料の話の続き。

「二・二六事件」 軍法会議の記録 来年以降公開へ

ローレライさんに指摘されてはっと思いついたため。思えば、上のエントリーであげたNHKの記事には大事なことが抜けていた。それは、この資料はほぼ間違いなく、一回アメリカが占領時代に持ち去って、それが日本に返還されたものだということ。

で、その返還資料が、どこかの役所の地下(法務省?)で見つかったみたいなことを、何年か前の「その時歴史が動いた」で松平アナが話していた。その資料の中には、さまざまな付箋がついていて裁判に至るまでにいろいろどう書くかで格闘があったことがわかる、検証してみよう、みたいな内容だった。

実際問題、こんな重要な記録を放置したまま偶然発見されるまでわからないって、そんなわけないだろうというのが私の感想。日本の役所では、中身を調べないで保管することが慣習化されてるのかい、と言いたい。まぁ、なんでも燃やしちゃう人たちではあるわけで、燃やさなかっただけ良いというべき?

しかし、この資料を隠しておいてもあんまり意味ないかもな、と思わせたかもしれない事情は一つあると思う。

それは、1980年代の後半に、事件当時の裁判官だった匂坂裁判官が自宅に大量に裁判記録と自身が集めたり考えたりした記録が残っていて、それを澤地久恵さんらが解読していたこと。だから、大方の流れがこのあたりで表に出た。逆にいえばこの資料がなければ忘れた事件にしたかったんだろうなぁ、と考えることもできる。

この番組は今でもyoutubeにある。

二・二六事件 消された真実

本放送は1988年(昭和63年)2月21日。

この内容が本になったのがこれ。

雪はよごれていた―昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録
澤地 久枝
日本放送出版協会


というわけで、こうやって考えてみるに、ようやく出せるようになったということなのだろうか?

そして、それにもかかわらずまだ

一方で、国立公文書館が個人情報に関する内容の一部を明らかにしないケースがあることから、専門家からは全面的な公開を求める声が上がっています。これについて筒井教授は「80年が経過し、どういうプロセスで事件から戦争に進んだかを明らかにするためにも、一部を黒塗りにして非公開にすべきでない」と指摘しています。

と個人情報を云々と、つまり氏名等を明らかにしないという考えを持つ影響力のある人の存在がうかがえる状況らしいです。

ということは、逆に、よっぽど通説と違うんだろうな、とかしか思えないわけで、なんか無駄な抵抗をしているとしか思えない。

(しかも、占領軍が一回持ちだしたってことはアメリカにマイクロフィルムがある、ってことじゃないでしょうか? )
 

■ 昔のNHKは頑張ってたなと言ってみたい

文書がらみは上の番組が詳しいけど、事件に対する資料という意味では、その10年ぐらい前の番組も貴重。

これもyoutubeにアップされている方がいらっしゃる。

交信ヲ傍受セヨ

本放送は、

戒厳指令...「交信ヲ傍受セヨ」 二・二六事件秘録

というタイトルで、1979年2月26日分。

この時点ではまだ関係者の方が多くご存命だったため、その方たちのお話が興味深い。

そして私はこの番組の方がもしかしたら隠したいと思った人がいたりして、とかちょっと思う。もう少し考えたら書こうと思う。

 

というわけで、なんてか、上でも書いた通りこれだけ出せなかったという事態そのものが、実にまったくこの事件は小さなものではないことを示していると思う。

それにもかかわらず、最近10年ぐらいの間に出てる本や、著名な学者さんの見解の中には、大した出来事ではなかったみたい風に書かれる人がいて、それもまた、わたし的には、つまりこの人は隠したい側なのかメモメモ、なんですね。笑えないけど、なんでこんなに手のこんだことをとか思うんですよね、ほんと。

そういうわけで、今後どうなるのかじっくり展開を待とう。

 


 

雪はよごれていた―昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録
澤地 久枝
日本放送出版協会

 

二・二六事件と青年将校 (敗者の日本史)
筒井 清忠
吉川弘文館

 


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1 コメント

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『粛清作戦』 (ローレライ)
2016-03-23 05:48:07
「二・二六事件」はクーデターではなく『粛清作戦』だったのなら『殺される基準』があった事になる。『パールハーバーのプレイベント』とも位置ずけられる。
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