イランで妙な爆発が連続して起こっていたり、セルビアでは小型カラー革命的騒ぎになっていたり、もちろんエプスタイン・マクスウェル事件が遡上に上がりっぱなしで停滞するという奇妙な状況もあったり etc.と、世の中騒動だらけ。
世の中騒動だらけだからこそコロナ騒ぎがカバーになるという仕立てなんですかね、などとも思う。
そんな中、この間Youtubeにあったこの動画を見た。1991年のNHKスペシャルだそう。
これはかなり興味深いです。基本資料を使ってるから、今のCG仕立てのドラマっぽいやつではない。この頃に戻りたい、ほんと。
御前会議|太平洋戦争開戦はこうして決められた
このへんで書いた通り、
1941年12月にはソ連に勝ってる算段だった
1941年7月の御前会議で南進も北進も並列して進めることに決まって、満洲に大量の兵隊を送り込んで対ソで戦線を作っていた。このNスぺでは、満洲に70万を送ったと言っていた。50万説と70万説があるんじゃないかと思うんだけど、いずれにしてもまさに大量。こんな人数を船に乗せて動員してた。
で、この会議の結果として前年に続き今度は南部の仏印に兵を進めたところ、アメリカが怒りだしてこりゃ大変となったのが、1941年夏から秋にかけての情勢。
その中で開かれた御前会議の様子が上のNスぺの内容なんだけど、これを見ていて思ったのは、こういう語り口、こういうナラティブの時期はもうこれで十分、もう少し別の切り口が必要だろうになぁってこと。
1941年6月22日に既にドイツがソ連侵略を開始したので、1941年の夏というのは絶賛大戦争中!という時期。だから、そこに対する情勢判断が極めて重要だと思われるが、それについて帝国国策会議の人たちは何と思っていたのか、といった視点は通常日本では多くは語られていない。
さらに、もっと重要なのは、1939年9月以来、ドイツとイギリス、フランスは戦争状態にあって、1940年にはそれが現実化する(半年はプラプラしてた)。
ということは、1941年6月以降、イギリスとソ連はドイツを共通の敵とする間柄になった。
(にもかかわらず、番組中では欧州戦線を「独ソ戦争」という名で通していた。ますますこの名称には作為があるんだという説に拘りたくなってきた)
イギリスとアメリカは決してすべてにおいて考えがあっているような仲ではないが、イギリスがナチに叩かれることを喜ぶ風潮がアメリカにあったとはほぼ聞いたことがない。また、順次オランダ、フランスなどもナチに蹂躙されていった。
ということは、アメリカの政策担当者の意思以前に、アメリカの国民は既に気持ちの上で、反ナチ、すなわち反三国同盟であっただろうと想定して悪い理由は何もない。
最低限譲っても、決して親ナチとか、親大日本帝国のムードがあったという形跡はないとは言える。
その上で、1941年8月には、大西洋憲章という、ルーズベルトとチャーチルの共同宣言が出てくる。解釈はいろいろだが、イギリスがアメリカとの結びつきを得て、一安心になった事件ではあるでしょう。
ソ連は9月にこの憲章に署名する。
実際、この憲章への署名者を徐々に増やしていって、後の国際連合へと進んでいった。つまりこれは、戦争と同時並行して進んでいた戦後処理の枠組み作りの第一歩になっている。
このへんについて、日本の首脳は何を考えていたんだろう?
首脳でないところでは、我々はドイツと共に新しい秩序へと向かうのだ、という言辞が盛んに宣伝されていたわけだから、敵が集団になるなら結構なこと、ぐらいだったのだろう。
というか、多分、「ドイツと作る新秩序」という意味が、英米蘭+ソ連を敵にまわすことだとは理解されていなかったのではなかろうか?
わかりませんが、なにせ、1939年→1941年の欧州情勢と、そこから生まれる1941年の大西洋憲章というのを組み込まないで語る「太平洋戦争への道」というのが、あまり実りのある説明にならないことは論を待たないでしょう。
もう少しなんとかならんのか日本史学会。というか、日本史だけではすまない。この間プーチンが資料を駆使してある種の通説を披歴してみせたけど、ああいうのをロシアの話とか、欧州戦線の話として放置できないのが現代史。だから、日本の戦争を記述するには、ロシアを含む欧州史に詳しくないと土台が作れない。
ってことは、いずれかの時点で現代史解明プロジェクトみたいなのが必要だったってことでしょう。やり損ねたわけですが。
やり損ねて、ついには、1991年の知性のレベルからも後退して、昭和天皇がヒトラーと共に語られることに驚く識者みたいな人がいたりする世の中になった。30年間の低迷ぶりは経済だけではないのですよ。
ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒトなわけだが
■ オマケ
上で追及できなかったけど、陸軍の上層部のみならず、政界の高位の人たちも含めて、1941年夏の日本の首脳のかなりの部分は、マジで、ヒトラーが言ってたクリスマスまでにロシアを破滅させる、を信じていたと思う。
だから、北進を捨てられないし、大陸に兵を置いおきたいし、それで大丈夫だと思ってた。ドイツが勝てばおつりがくる、という発想。結局この「腹の中の願望」がすべての判断を狂わせたという見方から書いても面白いだろうと思う。
で、この雲をつかむような「腹の中の願望」がどれだけ強かったのかは、石油の75%を頼っていたアメリカが8月1日に日本向けの石油輸出を禁止する措置を取ったことに対して日本が取った反応が示しているのじゃないのか。
通常、こうやってルーズベルト政権は日本を挑発した、みたいに言う人が多いわけだけど、流れから見ると、同時期に既にイギリスはアメリカ国内で親イギリス世論作りの工作をして、ついには英米の一部は大西洋憲章といった構想を作って、発表させるところまでたどり着くわけでしょ。
ってことは、着々と国際連盟→国際連合のプランが走る中で取られた日本への強硬な態度というのは、日本に考え直す気があるか否かのアメリカ側の確認とも言えるでしょう。
そこで、日本のインナーサークルはビビりまくったが、「腹の中の願望」派は突っ切った、と。
■ オマケ2
そんなことを書いていたらこんな話が。
敵基地攻撃「自衛の範囲」 防衛相、新たな脅威に対抗
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61306550Y0A700C2PP8000/
さすが、37年間に3度も先制攻撃から戦争を引き起こした日本さんですね、など言いたい。
でもって、これってつまり現代の「腹の中の願望」が捨てられないモードですね。ネオコンに教育された奴は一生変わらんでしょう。
しかし、驚異的なことを言ってますな。これはつまり、極超音速ミサイル開発+新スターウォーズ的全知全能のミサイル防衛網の開発、みたいなことに金を掛けます宣言ではなかろうか。(現在、アメちゃんが持ってるわけではないですからね(笑))
敵基地攻撃に必要な能力については「ミサイルの位置を正確に把握し、相手の国の制空権を確保したうえで発射装置を攻撃する。一連の能力が必要になる」
相手の国の制空権を確保したうえで、というのはミサイル単体のことを言ってない。
スパイの逮捕や尋問は全面的に内務省の文官である特別高等警察「特高」による所轄事項であり、いかに軍部であろうとも、何ら関与を及ぼせるものではなかった。〔陸軍省管轄の警察である〕憲兵は、この件が軍事的機密に関連しながら、彼らが先に関われなかったことに、著しく残念な思いは持っていた。だが、一年以上にわたりゾルゲスパイ団を密接して監視してきた特高警察は、はるかに高いレベルで国家政策と連携していた。彼らはむしろ、同スパイ団が国の政策にもはや役立たなくなった故、戦争準備の一環として、その始末の命令を下していた。その時の内務大臣は田辺治通。との事。
思い出しました。特高は内務省の管轄です。文官が?と思った記憶があります。
国の政策に役立たなくなったというのは、結果として、彼らスパイ団が、ヒットラーとスターリンと日本の腹の探り合いの役割を担っていたからではないでしょうか?
また、ゾルゲ研究をされている方が、翻訳書を信じてはいけないと書かれていました。翻訳者の人間次第となるので。
東条陰謀説なんて、違うと思います。
戦前にはいくつかの暗殺事件がありましたが、5・15の三上卓をはじめ、ほとんど戦後も元気です。あるブログで、かっての暗殺者たちが同じ家庭に集まっているのを知って唖然としました。もう一度探してみたら、その方のブログは残っていましたが、その話は消えています。印刷しとくべきでした。
2・26事件は暗黒裁判で、すばやく処刑です。2・26事件は誘導されて起きたようです。盗聴していますし、マレーのトラの山下大将の家も盗聴されています。これはTVで放映されたことがあったみたいで、私は動画で見ました。かれら改革派を一網打尽にしたかったのです。
また、ゾルゲの処刑については、ヒットラーが怒ったらしいです。ゾルゲはドイツ人でもありますから。日本で処刑は許されないと。
東条については、当時皇族の男子は皆、陸軍海軍の高位の軍人であり、貴族、華族出身者も同様です。庶民出身の軍人が権力を持てるはずはありません。かれは軍法の専門家だったに過ぎない。ただ忠実な信頼できる部下でした。
近衛らも敗戦革命を怖れていました。大逆事件はともかく、226の片付け方がこの国のインナーサークルの本性を晒してしまった感があります。515の時の寛大な扱いと大きな落差。
国民は騙されたと言いながら、しっかりと理解していた、と思いました。上からの全体主義社会だったから、言えなかっただけ、嵐が過ぎるのを選んだだけ、では。
敗戦後の左翼運動の潰し方、非合法な暴力装置を米軍と共に国対維持に利用したツケを、今も味わされているのが、今の私たち。
ゾルゲ事件は、謎ですね。犬養健や西園寺公一も関わっていましたし。ゾルゲと尾崎秀美は死刑になったのですね。
東条英機は、総理になる気はなく、東久邇宮さんにお願いしたかったが、戦争に負けた時、皇室に傷が付くとかなんとかで、東条に押し付けられたようですね。木戸日記にも、そう書かれていたと思います。責任を取らされる役割を与えられたのだと思います。東条さん、国民に人気はあったようですね。梨本宮妃日記に、そう書かれていました。
近衛は変わった人というか、ヒットラーの扮装をして、芸者たちと写っている写真もあります。
「昭和の劇」という東映の脚本家の対談のような本がありますが、「東条はアメリカが要求するなら中国、朝鮮から撤退してもよいと言っていた。東条だって、そんな馬鹿な男ではない。貞明皇太后もそれでよいと言っていたと。でもそれを一番怖れたのは宮中側近の近衛や木戸だ。大陸から兵を引き上げたら反乱が起こる。赤色革命に近いものになってしまうと」という文があり、何だか納得する気になりました。実際何十万もの軍隊を引き揚げるのは並大抵の事ではないですね。木戸日記も上下持っていますが、特に実務はなく、朝食会とかゴルフとか度々。こういうのは怪しいと思いました。木戸孝允の親族ですね。和田小六は幸一の実弟ですし。海軍航空機、関係深い。小六ともよく会っているし、犬養健とも会っている。
北進派と南進派とがあったけれど、天皇は南進派、海軍贔屓のような感じ。お妃もそれで選んだらしい。
犬養健も怪しい。中国ではスパイみたいですし、戦後すぐにアメリカに行っている。なかなか行けないときにです。ロックフェラー家と、とても親しい。娘の道子さんの本に出てきます。犬養健は後藤象二郎の子孫。三菱とも関係深い。
戦争は何なのだろうと。誰が起こすのだろうと。
ヨーロッパについては、スターリングラードの戦い、凄かったらしいというぐらいの事しか知りませんでした。子供のころに見た映画、「史上最大の作戦」で、すっかり騙されていました。
真珠湾は1月か、あるいは前年のどこかで考案されていたというのは私も読んだことがあります。特に興味深かったのは猪瀬直樹が調べたものが英米の当時のジャーナリストなどにもあたっていて、なるほど、という視点がありました。これも90年代のもの。
ゾルゲについては、南進北進とは関係がなく、東条を出して、米との話し合いを模索していた近衛を落とすための仕掛けに使われたのであろう、という説を孫崎さんが本にされています。
「日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件」
私はこれに説得力があると思ってます。
そもそもゾルゲ事件というのは戦後に再構築されて再度流布されたのでは?思ってました。
なぜなら、モスクワの戦闘は極東の兵隊が切り札みたいな戦いではないからです。いないよりいた方がずっと良かったですが、切り札ではないです。もっとずっと長くて、大きな戦い。
このへんはまた書きたいと思います。いろいろ教えてください。
イギリスでも、アメリカでも、日本はナチスと同等。子供たちにも評判悪かったようです。連日中国での悪事が報道されていたようですので。
ドイツとソ連については、ゾルゲとか、どう関わっていたのか。腹の探り合いをしていたのでしょうか。公文書を焼き払っていますし、残っている資料が少ないので、どうにでも都合よく解釈しているのでしょうか。外国には残っていると思うのですが。イギリス、アメリカ、中国など。横浜正金銀行などの記録があればよいのにと思います。
日本国民が無知過ぎて怖いです。