安倍を落としたら菅が出てきて、もっとあられもない新自由主義的な政策をあっさりとりそうだというのが現在の日本の状況っぽい。これはそんなに予想外ではない。
安倍ちゃんはおぼっちゃんだから貪欲さに欠けてるので、新自由主義的なイデオロギーは今一身に付いてなかった。新自由主義ってやっぱり、自分が多少安定したらそこを手離したくないという地点を根幹に、それを肯定するために、負けた奴は馬鹿なのだ、となって弱肉強食で良いのだという嫉妬の裏返しみたいに発想していく人によって最も強さを出すような代物だと思う。
また、もう1つの系統としては、貧乏人が嫌いという方向もある。これは日本においては明治政府の一部に自分だって貧乏人の小せがれだったくせに、といった人がいるけど、それは上記の方の「取ったら離さない」系統だと思う。日本は本物の貴族階級が現実的な力を持ってない社会体制が長いので、欧州との比較においてはこの線は弱いと思う。
後者が本当に強かった地域としては、やっぱりこうオーストリア・ハンガリー帝国と一部ドイツ帝国、一部ロシア帝国あたりなんじゃないかと私は思う。土地持ち大貴族、領主といった人たちがつい100年前まで現前と多数存在していたところ。
そして私はわけてもオーストリア・ハンガリー帝国が問題だったと考えている。
で、今日の櫻井ジャーナルさんの記事。いろいろよくまとまっていていいですね。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009120000/
フランクリン・ルーズベルトは1938年、強大な私的権力が政府を所有している状態をファシズムと定義した。私的権力が民主的国家そのものより強大になることを人びとが許すなら民主主義は危機に陥ると警鐘を鳴らしたのだ。こうした状態を目指しているのが新自由主義にほかならない。
新自由主義はマーケットを絶対視、その正当性は議論しない。その理屈は循環論法で、理論とは言いがたい代物。信仰と言うべきだろう。
この信仰で教祖的な役割を果たしたのがシカゴ大学の教授だったミルトン・フリードマンであり、その先輩にあたる学者がフリードリッヒ・フォン・ハイエクだ。ハイエクの教え子にはデイビッド・ロックフェラーも含まれている。
新自由主義が庶民を疲弊させ、国力を衰えさせることは明かで、ニクソン大統領でさえ自国へ導入することをためらった。この信仰に基づく体制を最初に導入した国がチリだ。
■ またかザカルパチア
フリードマンは、本人はアメリカ生まれだけど、両親はハンガリー王国からの移民。
Carpathian Ruthenia, Kingdom of Hungary (now Berehove in Ukraine).
当時はハンガリー王国だが現在ならウクライナであるところの、つまりまた出たザカルパチア。ウクライナの最西部ザカルパチア州。
ここはこの間の、エプスタインのガールフレンドのギレーヌ・マクスウェルの、悪目立ちするお父ちゃんロバート・マクスウェルの出身地でもある。
エプスタイン事件 (4) マックスウェル家
拡大するとこんなところ。
要するに第一次世界大戦まで、オーストリア・ハンガリー帝国の領土。
この帝国は、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ポーランド南部といったところを領土としている、きれいに言えば多民族の帝国だけど、きたなくいえば異民族支配の上に成り立っていた帝国。多数の土地持ち貴族、大地主層がいた。
よく、オーストリア出身の昔の知識人だの、有名人だのの伝記部分に、失望した XX はハンガリーの領土で静養し、とか、領地であったチェコのXXX村に戻った、みたいなことが書いてあったりするのはそのため。
しかも、支配層はドイツ系が多いが、しかし全領土で見た時のドイツ系の比率は20%ぐらいで、ハンガリーも盤石にハンガリー人だらけの領土ではなかった。そこからこの2つがクロアチア、ポーランドを取り込んで支配を支える足しにしようとするのだが、そうこうするうちに当たり前だが統一性が失われていく。
■ AH帝国解体と幻の復活と崩壊
1914年、そういう帝国が、後に第一次世界大戦となる大戦争を自ら買って出て、自爆した。そう書くと、あれは英仏露が騙したのだ、みたいなことを言う人が過去100年多数いて、それはそれで大いに関係があり得る話だと私も思っている。
だが、どう構想しようが、オーストリア・ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合し、セルビア系、正教徒集団を圧迫しようとしなかったら、あるいは、そうすることのメリットと帝国内の異民族が離れていって帝国が自爆するデメリットを考えたら、もっと他にやりようがあっただろうという点を無視することはできない。
オーストリアはリアクションで戦争に打って出たのではなくて、むしろ自分から、誰が見ても困惑させられるような最後通牒を出して、自分でセルビア領内に踏み込んで、そして負けた。各地で苦戦し、最後はズダボロになった。
結果的にAH帝国はベルサイユ条約を経て主要な民族が正式に独立することとなり、オーストリアは、皇帝一族であるハプスブルク家の資産を没収し、お出入り禁止にした体制で小さく再生した。
ハプスブルク法、すなわち「ハプスブルク=ロートリンゲン家の国外追放と財産没収に関する1919年4月3日の法律」という法が今もまだ続いている。
で、その後、北の方のドイツにナチが誕生して、ナチがオーストリアを併合して、徐々に徐々に、ハンガリー、ポーランドと組み出し、最後に関係者全員でチェコスロバキアに襲い掛かった。いわゆる、ミュンヘン危機というのはこのへんの話。
これはもうどこからどう見てもほぼ、北のドイツと南のドイツ、つまり、ドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国が合体して「復活」した話。
そこから、2つのドイツが盛大にソ連を襲撃して、負ける。
今度は逆にソ連がオーストリア・ハンガリーの領土内に入ってナチと戦い、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーからナチスを追い出した。
これをソ連は欧州の解放と呼ぶが、西側は総じて認めていない模様で、むしろ、ソ連の侵攻と呼んでいる。
1945年1月17日:ソ連赤軍ワルシャワ解放
1945年1月27日:ソ連赤軍アウシュビッツ解放
1945年2月13日、ブタペストついに陥落
冷戦中は、ソ連が侵攻した説が強かったような錯覚を覚えるが、よく考えると最初の方はそんなことはなく、ハンガリーで動乱が起きようとアメリカは特に動かなかった。政権とメディアの騒ぎは違う。
その後、1989年に、オットー・フォン・ハプスブルクが中心となって欧州ピクニック事件という亡命事件を画策し、それにより東ドイツ国内が収拾がつかなくなり、壁が壊れた!、おめでたい!事件として世界中が歓迎することとなる。
さらにその後、オーストリアでは、ハプスブルク法の受諾を拒絶する元皇族が表れたり、没収財産についての訴訟が行われていたりする。
■ ハイエク
で、冒頭の櫻井さんの記事に戻って、フリードマンと並んでいる、ハイエク。
この人は多くの人が知る通り、オーストリアの世襲財産があるクラス出身の人で、その後イギリス、アメリカに出て行って学識者として活躍する。
この人を一躍有名にしたのが、1944年 発表した「隷属への道」。
社会主義、共産主義は同じだ、ナチズムもソ連も同じ集団主義だ云々という道筋の出発点はこの人なんでしょうか?
だがしかし、上記の戦争の経緯を見ると、要するに、ドイツ勢二度目の大戦争で、今度こそ徹底的に負けるとなった時に、ナチスもスターリンも嫌いだと叫ぶ旧領主層なわけで、そうみると、大分趣が違うと思う。
■ タブ―なのか?
ということで、どう考えても過去100年の動乱にとってオーストリア・ハンガリー帝国というのは重要ファクター。どちらかと言えばあまり庶民が好意を持てない方に。
そしてここから出た人たちが、フリードマン、ハイエクを通じて、シカゴ派などと呼ばれる集団となって世界中のエコノミストという種族に今も影響を与えている。
新自由主義が庶民を疲弊させ、国力を衰えさせることは明かで、ニクソン大統領でさえ自国へ導入することをためらった。この信仰に基づく体制を最初に導入した国がチリだ。
欧米で初めて新自由主義を政策として取り入れたのはイギリスのマーガレット・サッチャー政権。サッチャーはハイエクと親しかった。日本へ新自由主義を導入したのは中曽根康弘であり、その政策をさらに進めたのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦。それを安倍晋三が引き継いだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202009110000/
また、よく見れば、ここのとろこ欧州議会まで飲み込まれたというので大騒ぎの、ヒトラーとスターリンは同じく悪い、この2人が第二次世界大戦を引き起こした、みたいなインチキ説の原点は、多分ハイエク。(たとえ本人はもっとハイブローなことを書いたつもりでも)
ということで、ますますエプスタインの周辺の展望が楽しみになってきた。あれはマクスウェル問題として見た時、もっとずっと幅広い。
また総じていえば「シカゴ派」問題と呼んでもいいような気がしてきた。
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だとしたらですね、ソロスがやってることは、まさにグローバリズムの旗ふってるわけで、左翼でもなんでもなく、それこそシカゴ学派と同調しているわけですよ。この巧妙な欺瞞に目を凝らさねばいけない。
グローバリズムと新自由主義は同じものだと思うんですけど。
新自由主義って、新とつくから何か新しいみたいだけど、要するに70年代あたりの各国は西側でもたくさんの社会政策的視点から見た時の規制があったわけでしょ(所得税も高いし)。
それを剥こう、規制を突破だ、というモードが必要だったから「自由主義」と言ったまで。
目指しているのはグローバルに動き回れる巨大資本家さんチームにとって最も効率的な(だからこそCapital至上主義)世界の構築だというのは、昔も今も変わらないと思います。
私の中では、グローバリズムと新自由主義っていうのは、同じ看板の裏表なのだが。
このカラー革命家、本当に反新自由主義なのか?