台風で折れた桜「見ごろ」と紹介 毎日新聞県版、現地取材せず
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120412/crm12041211400006-n1.htm
笑えないぐらいアホなことをしているなぁと思う一方で、春先には何をおいても必ず桜の、どこでもないとにかく東京都心の桜の様子を伝えなければならないという日本におけるこの風習にちょっと限界が来ているのではあるまいかという気もする。
3月末となると、とにかく桜が咲く、咲くとメディアは騒ぐ。それは、日本人にとって桜は大事な花だからと一般に言われており、かつ、それを覆す気は私にもない。
が、しかし、桜が咲くのを楽しみにしているとは別に東京23区内の一定の場所の桜が咲くことを心待ちにしているわけではなく、多くの人々は身近なところ花が咲くというのを待っているのだろうと思うし、なぜそうなるのかといえば、長い冬が終わり、また暖かくなってきたことに対する純粋な喜びがあるからだろう。
(千鳥ヶ淵の桜、靖国神社の桜には他の思い入れがあるという見解もあると思うし、私自信も、人生の時間内における在京期間が長いせいもあり世界中のどこにてもまずは千鳥ヶ淵の桜を思い浮かべてしまう感触ははっきりあるが)。
ということは、毎年、各地で、花の見ごろはそれぞれに異なっている。
しかし、ニュースネットワークなるものは東京を中心に作られているので、毎年、非常に多くの人は、まだ寒い最中に東京のソメイヨシノの開花を見る、いや見せられることになる。これはこれである種のマーキングなのでそれならそれでいいかな、とは思う。
(南から北に向かって暖かくなるのでその中間の東京なのだから、東京開花時点までで半分ぐらいの日本はもう花が咲いていると考える人、または思い込んでいる人が結構多いように思うのだが、それは多分誤解だと思う。
大きく言えば南から北は正しいだろうが、高知、静岡、東京といった黒潮に近く晴天率も高いようなところが早く暖気に包まれ、位置的に南でも日本海側とか、標高の高い中部地方とか、平地に近くても小さく山が入り組み、日本海からの風の影響を受けやすい西よりの東海地方などは東京よりも早く春めくとは限らない。)
しかし、やはりどうも落ち着かない気分が残る。それはたとえば、今年の4月の1週目のように、大きな問題は寒気が降りて来ていて、爆弾低気圧なるものまで発生している時でさえも桜のニュースが支配的だという場合があること。
台風並みの勢力を持った風が吹き、その後には真冬並みの寒気が降りてくることがほぼ分かっているのだから、まずは多くの人にリスクを避けてもらうべく、このニュースが支配的であるべきではないのかと私は思うのだった。
現実には、この低気圧に関してメディアが騒ぎ出したのは顕著な被害が出てから。被害が出始めるといつものようにどこの局も新聞も同じような記事を繰り返し、気象庁が発表したメカニズムを記事にする。アーカイブ作ってるんやろか、という感じ。
思い起こしてみて思うのは、次の2点。
(1) 主要メディアにとって桜のニュースは気象ニュースではない。
(多分、文化欄的な埋草と思ってる)
(2) 主要メディアは日々の気象ニュースを、気象災害を未然に防ぐことに寄与する重要な問題としては捉えていない。
(多分、街ネタか話題ぐらいにしか思ってない)
私は、気象情報は、時に歳時記的であってもいいし、記録作りも大事だと思うが、それ以上に、その前に防災ニュースであると考えるべきだと思う。
桜が悪いわけではないが、スケジュール化された桜情報は、どうもこの主要メディアの気象関係者の勘違いを象徴しているように思えてならない。