あまりにもすがすがしくバカすぎて思わず大笑いしてしまった。
「黒人・奴隷が米大統領に」 自民・丸山氏が発言し撤回
http://www.asahi.com/articles/ASJ2K5SMJJ2KUTFK00L.html
自民党の丸山和也参院議員は17日の参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ。建国当初、黒人、奴隷が大統領になるなんて考えもしない。ダイナミックな変革をしていく国だ」と述べた。丸山氏は審査会後に記者会見し、「誤解を与える発言をして申し訳ありません」と述べ、審査会での発言すべてを撤回する考えを表明した。
この人は、オバマのおとーちゃんはケニアの政府高官になった人、つまりエリートで、おかーちゃんもいろいろ背景がきなくさいみたいだけど、ミドルクラスの白人だ、ってな今日世界中の常識になっていることを知らんかったでOK?
笑えないほどアホ。
また、言い方も、なんだか差別的で嫌な言い方。
「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。まさか米国の建国の時代に、黒人奴隷が大統領になると考えもしなかった」jijiから
これは奴隷ですよ、のこれってのはどこにかかるんでしょうね。
日本語は正確に書くことのできる言語だけど大半以上の日本人は正確には使わないので、日本語で発話される文章はほぼ常にといってもいいほどの頻度で正文ではなく、従って、非常に曖昧なままに意味の交換を行っている、の代表例としてこれを使ったらどうだろう。あはは。
さらに、日本人はこのように非正文で語ることが多いためしばしば聞き手との間に誤解が生じる。その際に発話者は通例「言い足りなかった」とか「誤解を招いた」と語り、聞き手は発話者をそれ以上はとがめない。これは一種の習慣のようにもみえる。しかし、このようなことが繰り返された結果として次第に言い足りない言い方が減るかといえばそのようなことは過去数十年見られない。とか続けたい。
ここもすごいけど、この後もすごい。
また、丸山氏は審査会で「アメリカの51番目の州になることについて(日本国)憲法上、問題があるのか、ないのか」とも参考人に質問した。「(米国の州になれば)集団的自衛権、安保条約はまったく問題にならない。拉致問題すら起こっていない」とも述べた。(太字、私)
アメリカになっちゃえば、安保なんかいらない、安全なんだよ、ということなんだそうだ。
笑うべきなのか怒るべきなのか、もはや無残すぎて言葉がない。
Everyone says I love you! さんが丁寧な記事を作ってらしたのでリンクさせていただきます。写真のキャプチャがいっぱいで、それと共に見るとなおなお、何をいうてんねんこのおっさんは感が強まります ^^;
丸山参院議員「米国は奴隷が大統領になるダイナミックな国だから、日本は51番目の州になればいい」
で、現実的には、51番目の州になりたいのよといくら日本人が言ってもアメリカ人が「断る!」と言ってくるでしょう。そもそも日本人はアメリカ帝国の二級市民だからこそ、アメリカ人は、口ではいいことをいい、おべんちゃら使ってくる、ってのがなぜわからんの? 権利はやらんが税金は払え、言うことを聞けというステータスだってのがわかってないのか、このおじさんは。
言うこときかないと「レジームチェンジ」しかけるぞ、をちらつかせることによって相手国の支配階級を手なずけるってのは、もはや世界中で広く知れ渡った彼らの得意技(笑)でしょうに。
で、自民党事体がレジームチェンジをされたくなくて、俺らのこの地位を確保するためなら、そうだ、国ごとアメリカに持っててもらえばいいんだ!!! って感じなんでしょうね。笑うべきなの????
自民党を中心に、大多数の親米保守なる人々ってほんとーに、頭がおかしいカルト集団みたいになってるよなぁと最近ますますそう思っていたんだけど、この人もそうなんでしょうね。丸山さんは弁護士さんだから頭がいいのよ、という人には、オウム真理教にも高学歴者の人がいっぱいいましたと答えれば足りると思う。
■ 負のスパイラルをどこまで許容できるのか
で、この傾向はおそらくこれにはとどまらない。
なぜなら、集団Aがカルト的集団で、その上影で何をやっているか知れたものではないという恐怖支配が見え隠れした場合、常識的な人や正義感のある人、頭が快調で心もオープンだ、なんて人は寄っていかない。
寄っていくのは、それにもかかわらず何か得をするかもしれないというギャンブル体質の人か、同じ穴の貉だけ。
ということはこのままにしておくと、自民党はますます、なんだかなぁ・・・・の集団になることが予想される。
まぁ通常中以上の大きさの国だと、反対にまわる集団、つまり野党ってものが適宜存在するし、そうだからこそ言論に自由度が残るんだけど、日本は戦前もそうだけど、反対集団を作れない国みたいなんですよね。だから、オールタナティブな言論が複数、複合的に存在するという状況がない。
どうしたものでしょうね。というか、手詰まりですよね、マジで。
個人としては、この集団の思考に馴染む必要はない、私は私だという意思を固くするばかりだけど、それは個人の精神性の確保としては良いとしても、じゃあ国はどうなるの、国家国民はどうなるの、なのね。
このまま外部環境が変化するまで「進撃」してみる、出口戦略がないのは旧軍以来の伝統です、みたいな感じで推移するんだろうか?
読まれてない方は、とりあえず一度読まれるといいと思います。
永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) | |
白井 聡 | |
太田出版 |