もはや敗戦と決まったわけですかと冗談を言いたくなる。伝家の宝刀公文書の破棄・消去!
日本って、ほんとーに変わらない。しかしそれでいいんだろうか。
森友交渉時のデータ消去へ 財務省がシステム更新
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170602-00000129-asahi-pol
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却の交渉記録を記した文書や電子データを財務省が廃棄・消去したとされる問題で、同省は2日までに当時使用していた情報システムを更新した。運営を委託していたNECが近くデータを物理的に消去する作業に入る。この作業でデータが完全に消去されれば真相究明への道がいっそう険しくなる。
今回、財務省が更新したシステムは2013年1月から使用していたもの。学園が国有地取得要望書を提出した同年9月から、学園に国有地を売却した昨年6月までの全期間で使われていた。職員に貸与されていたパソコンも一斉に更新された。
システムや職員のパソコンには交渉記録などのデータが物理的に残っている可能性があり、野党は保存の必要性を指摘。「犯罪捜査でも消去したデータの復元を行っている。このまま更新したら国民から隠蔽(いんぺい)と思われる」(民進党の高井崇志氏)などと更新の凍結を求めた。しかし、財務省は見直しを拒否した。
しかも、証拠保全を地裁に申し立てたが、それも却下。行政と司法の直結が確認されました、みたいな状況。
NPO「情報クリアリングハウス」は財務省と近畿財務局が持つ関連電子データの証拠保全を東京地裁に申し立てたが、先月31日に却下された。財務省はNECに7月31日までの物理的な消去を求めている。同NPOは「(裁判所の)決定は法の趣旨を誤解している」として、週明けに抗告する方針だ。
これは一体どういう思想なんでしょう。議会制民主主義もなんにも関係ないんだ、これが日本独自だ!とか? いやしかし、江戸時代までのものは結構文書が残っている国だと思うんですけどね。ただ、律令制も幕藩体制も見た目よりはずっと貧乏くさいってか、システムになってなくて、いい加減な部分が多いからなぁ・・・。やっぱり公文書アーカイブの発想はないかも。
とかいうと、すぐに、他の国だって~とか言うんでしょうが、現代において、いやしくも公文書であればそれは残されるものというコンセンサスは先進国にはありますよ。まして少なくとも国民の間に政府の行いについて疑念が残っているんだから。
CIAだって過去の分はインターネットで閲覧できるようにする等、なんのかんのと民主主義的制御に押さえつけられている部分はある。
なんで文書を残さないとならないかっていうと国民主権だから。公文書は国民のもの。だからこそ公務員は残す義務がある。
ところがこれがどうしても日本には根付かないようだ。
この本、2年ぐらい前まではまだ大げさな、と思った人もいたと思うけど、いやほんと、マジでそうなんですわ、と言うしかない状況。敗戦時に、米軍があまりの煙に火事かと思うほど役所が文書を燃やしていたといわれているエピソードは伊達ではなかった。
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永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04) |
白井 聡 | |
太田出版 |
余談だけど、西側からさんざん民主主義じゃないと叩かれてみたりもするロシアは、戦前からずっとマメに文書、とにかく書いたものを残す習慣があることは有名。帝政時代からそうらしい。これは何なんでしょうね。近代民主主義というのとはまた違う、ビザンチン由来の何かと考えるしかないんでしょうが。
ただし、政権にとって不都合なら当面は出さないでしょう。だから政権が大きく変わる時、ロシアのアーカイブ、ソ連のアーカイブってのが楽しみにされてきたんでしょう。ロスチャイルドがいくばくかの寄付金と共にアーカイブに入って、アレクサンドル1世の手紙をもっていったとロシアの歴史家が言っていた。
せめてこのぐらいの態度だっていいと思うんですよね。そうすれば、後世のことを思えばよほど理由がない限り不正はしない、やるにしてもとにかく言い訳を残すという予防法にもなるんだし。あと、責任者が明確であることと文書を残す習慣は同期かも。まぁ日本の場合、日付のない契約書が平気だっていう風土があるからなぁ・・・。結局理性の問題かもしれない。
いやしかし、興味深い。
もはや政治的というより文化人類学的に興味深くなってきたぞ、明治朝日本!