米軍のアフガニスタン撤退を巡っての報道が始まった頃、私はその報道内容を見ながら、
カーター、レーガン時代が支援した、ムジャヒディーンのことは書かないわけね、と書いた。
フリーダム・ファイターから描けないNHK
そんなことを思う人が私だけのわけもなく、はたと気が付くと、いろんな人たちが、いわゆる「サイクロン作戦」について書いていた。
wiki サイクロン作戦
サイクロン作戦 (Operation Cyclone) とは、アフガニスタン紛争中の1979年から1989年にかけてムジャヒディンに武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) の計画に対するコードネーム。
サイクロン作戦 (Operation Cyclone) とは、アフガニスタン紛争中の1979年から1989年にかけてムジャヒディンに武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) の計画に対するコードネーム。
左の方からは、ジョン・ピルジャーのこれがよくまとまっている。
John Pilger: The Great Game of Smashing Nations
August 24, 2021
1973年に君主制を倒すクーデターがあって、78年年に社会主義化を標榜するクーデター(サウル革命)があってという順番からすれば、アフガニスタンは、ともあれ、部族社会から、いわゆる近代化の方向に向かっていたことは間違いないでしょう。
※サウル革命以降がソビエトとの密接な関係と読むのは間違い。1963年にはソビエトがカブール工科大学を作ってるし、他にもソビエトの支援が見える。
それら諸々の結果として、70年代にはこんな恰好をしている女性が街を闊歩できた。
60年代の様子らしいけど、これはソ連の中の中央アジアと似た趣。
こういう場所を、レーガンだのサッチャーだのが、この趣の人たちを支援して覆し、
現在、こうなった。
そういう意味では、タリバンは自分たちは伝統を重んじていると考えているかもしれないが、実は擬古典的だと思う。
素直に考えれば、武家を中心とした部族的、あるいは領邦制度的な発展こそ日本だったのに、勝手に王政復古して、古代からずっと中央集権的だったみたいに歴史を書き換えちゃった日本を思い出してみた方がいいのかもしれない。律令制がありました神話は早く崩した方がいい。
あるいは、有史以来一度も統合されたことがなく、1871年になってやっと「ドイツ」という政治主体が出来たのにすぎないのに、千代に八千代にドイツをやっているかのような気になってる、ひっちゃんヒトラーの妄想もこの類かもしれない。
過剰に伝統を語る人たちの伝統は、多くの場合妄想だ。
右の方からはこんなものはどうかしら。タリバンの勃興におけるCIAのサイクロン作戦の役割を無視して書いている西側メディアに腹をたてている。
Operation Cyclone comes full circle – Western media ignores the CIA’s role in the rise of the Taliban
by Gavin O'Reilly
https://theduran.com/operation-cyclone-comes-full-circle-western-media-ignores-the-cias-role-in-the-rise-of-the-taliban/
by Gavin O'Reilly
https://theduran.com/operation-cyclone-comes-full-circle-western-media-ignores-the-cias-role-in-the-rise-of-the-taliban/
これは、twitterで拾ったもの。CIAの関与はソ連が介入するずっと前の、1972年から始まっているという話の書物のコピー。
A reminder that Operation Cyclone (1979) was merely an escalation. The CIA was backing "The butcher of Kabul" & co as early as *1972*https://t.co/lzxrNvaLy8 pic.twitter.com/b1Uj0qEUHO
— David Mizner (@DavidMizner) August 17, 2021
■ レーガン、サッチャー時代への橋渡し
で、なんで、今日とんでもなく多くの人が「サイクロン作戦」を知っているのに、主流メディアはそこから触れることができないのか。
根本的にはそもそも「サイクロン作戦」自体が、あまりにも不道徳だろうということがあるだろうけど、もう1つは、この作戦は、結局のところ、レーガン、サッチャー時代への呼び水で、
現在の私たちはこの時代の上に立っている、
だから、ここを否定すると現在の在り方は変化を余儀なくされる、
だから嫌だ、ってのもあると思う。
前にも書いてた。
■ 奇妙な時代の始まり
「ムジャヒディーンをばらまけばいいんだな」作戦というのは、軍事作戦と呼ばないですよ、こんなの。テロリストを作ってそれを追っかければ永久に戦争をしていられる!みたいな、とてつもなく阿呆ではた迷惑な行動です。
その一方で、「みんなのものを特定の会社のものにすると良いことがあるのだ」思想が大流行りになったわけで、並べてみると、ムジャヒディーンの帰結としてのモスクワ五輪ボイコットあたりからこっちが、世の中の大半の人たちにとっての、なんだかへんな時代の始まりだったと考えてみたらいいと思うな。
1980年モスクワ五輪とムジャヒディーン協賛諸国
中曽根元首相死去:みんなのものを売っぱらった人
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/ac8def08e9f30dc19085b7ee62544f34
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/ac8def08e9f30dc19085b7ee62544f34
色々騒動を起こして何とか帰国した山岳クラブの岳友に、「もう一度行きたい国は?」と聞いてみたら以外にもアルプスのスイスでもヒマラヤのネパールでもなく、絶対にアフガニスタンが一番素晴らしいとの答え。
アフガンにはヒンズークシ山脈があるが、ヒンズークシとは「インド人殺し」の意味。
アフガンの登山ではなく、文明の十字路として古いものと新しいもの東洋と西洋が仲良く混在する最も寛容な国家が当時のアフガニスタンだったらしい。
それをイスラムのムジャヒディンを使って半世紀間も徹底的にボロボロにしたのがカルト国家のアメリカ。まさに狂気そのもの