この間ちょっと、慰安婦問題について触れたけど、あんまりまとめて書いたことがないのでちょっと書いてみたい。
米サンフランシスコ、「慰安婦」像を正式受け入れ
http://www.bbc.com/japanese/42105321
これでまた、世の中大騒ぎで大阪市が姉妹都市取り消しだとか騒いでいた。そんなにもろい関係やったら切らはったらええんちゃいますか、といったところ。
で、なんでここまでもめて、ここまで来たかというと、むしろ日本の側の「活動家」みたいな人たちの援護ありきだったでしょう、というのが率直な感想ですね。5ちゃんで拾ったこれはあたってると思う。
韓「像、建てたい」
米「どうしよっかな・・」
ネトウヨ「反対!反対!反対!!慰安婦は売春婦!慰安婦は売春婦!!!!!」
米「なるほど、建設決定。」
韓「サンキュージャップ」
最初ニュートラルだった人だって、韓国の行動はダメだと騒いでいる日本人のグループを見たら、聞いたら、読んだら、像の問題というより、これはつまり日本の差別主義者との闘いなんだなと思ったとしても不思議ではない。
何がまずいって、慰安婦は売春婦と盛大に騒いだことではあるまいか。慰安婦は金取ってるんやから売春婦だ、何が悪い、というのが彼らの理屈なんだろうが、これって買う側の論理だよね。
最低でも、状況的に、より弱い人たちが売春を選択するような環境を作った、奨励した、放置したことは良いことではありませんでした、こんなことは二度とないようにしたい、みたいな方向にいく気配がゼロの人たちを、他者は快く思うのだろうか? 私には信じられません。
ワシントンポスト紙にもそんな論考が出てましたね。
「日本はなぜ植民地時代の慰安婦像の戦いにおいて負けていくのか」
だそうですよ。
Why Japan is losing its battle against statues of colonial-era ‘comfort women’
By Adam Taylor September 21
彫られている文言はこれ。
“This monument bears witness to the suffering of hundreds of thousands of women and girls euphemistically called 'Comfort Women,' who were sexually enslaved by the Japanese Imperial Armed Forces in thirteen Asian-Pacific countries from 1931 to 1945,” the inscription reads.
ってことで、ネトウヨ・ジャパンの敗北って感じの一幕でした。
産経は今度は、韓国のベトナム戦争時の不始末をあげつらって、そうだあっちこそ慰安婦では汚れがあるのだとかいうシリーズで行くみたいですが、それをやったからといって日本との問題がチャラになることはないでしょう。
■ フォーカスはどこにあるのか
で、慰安婦問題というと韓国と日本の問題としてのみとらえられているが、これがもう間違いなんじゃないかと思うんですよね、私は。というか、以前はそうだったのかもしれないが、この問題が照射している、示唆している、見せているものはもっとずっと大きくなっちゃった、という感じがする。
チャンネル桜が最近何を言ってるか見てないからわからないんだけど、しばらく前まではよく、これは北朝鮮の差し金だとか言われていた。プサンに赤旗は立てられない、みたいなことを真剣に言ってる人たちがそう言って引っ張っていたりもした。
多分、最初はそうだったのかもしれない。しかし、私が思うに、第一次安倍政権あたりからは、サポートしている人たちがもっと広くなっているのではないか。少なくとも、中国系が入っているのは2006、7年にはすでに明らかだった。
では、その人たち(誰だかはっきりはわからないが)は慰安婦問題をどういう文脈において考えているのか。
私は、日清戦争からの日本の歴史なんじゃないかと思うんですよ。つまり、ここ10年か20年ぐらい、実はずっと同じで、日本はもう少し自分んちの過去について正直に研究して国民に教育したらどうですかと外側から言われているんだが、日本の方は絶対ヤダと頑張ってる、みたいな感じ。
そして、今週明らかになったサンフランシスコの像を見て、その思いを強くした。
この像は、朝鮮、中国、フィリピンの少女を代表していて、傍らにおばあさんの像がある。
どうして韓国に多数ある、あの少女と椅子の像と異なるのかというと、サンフランシスコの条例で、像はユニークでなければならないため、他と同じものにはできなかったというのが理由らしい。しかし、それなら韓国人らしい少女だけで他の形にできるわけで、この像になったことにはやはり意味が込められていると考えるべきではなかろうか。
■ 日清戦争が見たくないらしい日本
で、そんなこんなを通してみて思うのは、日本の全体環境として、日清、日露戦争を開けたくない、ここまで守り通したある種の見方を崩したくないという強い欲求があるらしいことがどうも本当に問題なんじゃなかろうかと思うようになっている私。
日清戦争は、朝鮮を取るための戦争だったわけだが、日本では、列強がうようよしている、日本はこうするしかなかったのだみたいないわゆる司馬史観に代表される史観というか、理解の枠組みが長いこと放置されてきた。というか今でも多分立派なメインストリームでしょう。
しかし、実際には、むしろ日本が朝鮮、台湾に出兵しだして周辺海域がにわかに動いたというのが順序。
だから、ここを開けてしまうと、ではなんでそんなに日本は朝鮮を取りたがったのか、と考えないわけにはいかなくなる。信じられないことだが、どうやらそれが心底イヤだと考える勢力が日本にはいるということなんでしょうかね。
また、その日清戦争前後の日本の朝鮮に対するアプローチは、私としては、戦争がどうのというより、まったくの野蛮としか言いようがないと思うのだが、これも見たくないみたいだ。景福宮占領も問題だが、明成皇后(または閔妃)の一件は背筋が寒くなるほど野蛮で、これをどうやって庇えるのか謎だ。ほとんど日本の対外史上屈指、いや空前絶後の大蛮行だと思いますけどね、私は。
(亡くなった人数からすれば少人数なんだからそんなことはないという考えももちろん理解します。しかし、もっと保守的なものの考え方をするならば、このような蛮行は、いやしくも国家たるもの、いやしくも王を抱く国家たるもの、慎みを欠いたまったく行うべきではない、後々まで長く尾をひくことは必定の行動であると私は考えます)
にもかかわらず、殺害の最終的な下手人が誰かが不明であることをいいことに、ねつ造だのプロパガンダだのと言っているのが日本の右派という人たちなんだが、私としては、他国の王宮に野郎がドヤドヤ入り込んで、その人たちを怖がらせ、辱めている時点で、十分アウト。十分野蛮。
自分のこととして考えてみればいいでしょう。日本が最高に弱った時、皇居にアメリカ兵が入り込んで、わーわー嬌声をあげ、女官が悲鳴をあげていたと聞いたら、日本人はなんとも思わないのか、と。王というのは、倒すのならそれはその民がすべきことで、他者が介入すればその他者が永遠に恨まれるようになる、ぐらいのことはちょっと考えればわかる。わからないのは、史観がないから、歴史を見通すという発想がないから。そういう人を野蛮人という。
■ 今後
で、ここに北朝鮮が正式に国際社会にデビューした場合どうなるか。北朝鮮は、上述のような日本に抗した勢力の末裔であるというのがある種の看板なわけだから、この話が消えることはないと考えるのがロジカルというものじゃなかろうか。
日本の中では、ほんとうは北朝鮮と日本は組むべきだ、いや組んでいるのだみたいな発想を持っている人がいるやに見えるんですが、それって北朝鮮という位置が日本にとって味方として望ましいことから、要するに日本の側の願望で言っているのではなかろうか。
私としては、北は朝鮮の正統を任じているんだと思いますけどね。で、南も理屈の上でそれに合意していると思うな。
そして、中国が絡んできてる意味は、日清戦争以来、自分だけ文明国だとかいって他国を侵略してきた日本の歴史理解をうやむやにはさせない、ってな決意なんでしょう。
多分、レイプオブ南京あたりから一貫して、日本の被害者ぶった態度を変えさせる、現実を直視させる、というプログラムが続いているんじゃないかと思う。
レイプオブ南京は、日本軍の蛮行の記述がインチキだという点にだけフォーカスがあたってそのままになってるけど、それ以外にも、日本は原爆の被害者としての被害者意識が先行している、とか、あと、冷戦があったために、日本が中国で何をしてきたのかを語るきっかけを西側が持たなかったとかなんとか、そんな話があったと記憶する。で、そのハイライトとしてレイプオブ南京が忘れられているという仕立てだったと思う。
私は一回ぱらっと読んだだけだけど、冷戦期の問題と、やたらに被害者感情だけ持ってる日本人がいるという点については同意すると思った。まぁ記述の仕方が基本的にジャーナリスティクな体裁だから、あまり信用できない部分も多いとは思った。が、といってすべての論点がダメだとはならない。
■ オマケ
書いてきて思い出すのは、日清戦争という、この忘れられたも同然だった戦争に光があたったのは、1994年の中塚明氏のお仕事あたりがきっかけ? そこから、こんな話が定説化していった、と言っていいのではないのでしょうか、多分、というあたり。
日清戦争は景福宮で始まった
http://www.asahi.com/international/history/chapter02/01.html
私はこの件について詳しいわけではなく、ここ数年に主にネット上でぼちぼち見つけたものを総合して考えているにすぎないのだが、特に、1994年に福島県立図書館に個人が寄贈していた文書類の中から日清戦争の公式戦史の草案が見つかったというのが大きかったような。そこから、正史との食い違いを整理していって、その過程で他の資料も見つかってとなっていったようだ。
●「名もなき声」が訴える真実/佐藤文庫
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20160815071540001.html
やたらに朝鮮の悪口がはびこっていったのと左翼嫌い、朝日叩きが、こうやってみるとなんか収斂してくるわけで、結局このへんのラインを伏せたい、絶対に認めるもんか、ってのが強いドライブだったわけなのか?などと考えると、そんなバカな、と言いたいんだが、しかし、本当かもしれないというのが恐ろしい。
私としては、それよりもずっと、1945年の敗戦時の朝鮮、台湾に対するアプローチ、中共をつぶれるものだと想定していたとしか思えない態度といった事の方が問題だし、今に続いているし、将来にも影響するんだから、過去の自らの蛮行を認めることなんてそんなに大変なことではないだろう、という考えだったし、今もそうではあるんです。
しかしどうやら、日本社会は総じていえばそうではないらしい。そんなことを直視するぐらいなら、将来もぶち壊す的な対応を取っているような感じ。これも立場主義なんでしょうかね。
上で書いた、明成皇后の項の一件は、英語版の明成皇后の項が、殺害の一件までカバーして、顛末や発見などよくまとまってる。
日本語版は混乱しまくっている。
そう考えるとこのへんなのかなぁと思わざるを得ない。
いやしかし、庇えるものとは到底思えない。
■ 参考記事
北朝鮮といえば核、という話でもない
「人民網日本語版」2017年11月23日から☆
これは中国からすれば、それこそ冷戦をきっかけに、いきなり日本の元ファシストを勝手に民主主義者扱いしてきたアメリカのインチキぶりに対する抗議、というところも大きい気がします。
角田 房子
新潮文庫
この本を読み終えて日本の野蛮さに呆然と
なりました。出版切れでもう残ってないかも?
秀吉の朝鮮侵略に家康がアンチテーゼとして
国交回復の努力をし、将軍代替わりの度に
使節団を送ってくる、一行の道々の歓迎ぶり。
日本からの使節は決して半島から首都への
道順を知られないためにシャットアウト。
やがて日本の儒学者を中心に「記紀」百済
新羅のインチキ歴史書記載を好み持ち出し
て対等外交の国を否定するようになる。
キリシタン弾圧も同様おそらく明治維新の
行政統治は江戸官僚のつなぎが強かった
からでしょうが、木戸西郷大久保等の対
朝鮮認識も「一等下の国」だったと。
いつものに劣らず?それ以上に素晴らしい
論説に感服し諸々教えられるところが多か
ったです。
その本も一つのきっかけだったようですね。流れからいうと。
それが、また反発を引き起こして、糊塗しようという勢力を一掃掻き立てたようなところがあるのかもしれません。特に表紙の写真が閔妃ではないようだというのが、ある種の「瑕疵」扱いされているようです。
おっしゃるように、江戸時代の問題も大きいです。
お探しものを今にも涙ぽろぽろの気配濃厚に身も
心も打ち振るわせながら、「張作霖事件、満州事変、
盧溝橋事件、閔妃殺害事件」「朝鮮王朝の悪事」等等々、「我思うが故に事実あり」とお騒ぎになって
いるレイシストの歴史修正主義の、当時の三浦梧
楼や、維新に乗り遅れて「今一度『投機主義』(要す
るに今評判のアベちゃんお友だちになりたい私的
利権を濡れ手にあわでつかみたい主義)」の機会を
得たい」派と、そこにも達することが出来ない付和
雷同分子が打ち寄せる波の如く・・大洋の揺れ動く
エネルギーから比すると、蛙かミミズのションベンに
も及ばない・・動きがあるのは知悉しています。どれ
もロジック構成が稚拙すぎて本格的に読むにも頭
脳の片隅にも置いておく気にもならない代物ばかり
です。
ブログ管理者様のご苦労推察致します。
拙宅の皆々には、この話は「皇居に半グレの賊達が
乱入し雅子さんをアレしたようなもんだ」と説明する
と、ひぇーっ(O_O)とです。
「写真」ですよね。現代はスマホの感覚で正確正式
な「写真」が保存されていないのが可笑しいというか、王妃の姿を一般が見知っていない筈がないだとか
の感覚に依拠しているか(?)のようです。
「タイムマシン」が必要な話しで、無論拙などそんな
高価なものは持ち合わせいおりません、閔妃の顔な
ど庶民なので知りません、女官の顔も知りません、
もしも女官の写真もあるとすると、閔妃のご尊顔立
ち姿はさぞやもっともっと位の高そうなものだったの
だろう、程度に考えていればそれはそれでよろしい
ことなんでしょう。
レイシスト・歴史修正主義・「今一度『投機主義』」が
米国統治勢力の自己薬籠中の存在であることは既
に周知の事実です。であればこの波、日本人には培
われた「ジゴロウ」な「夜郎自大」という卑しい精神が
こびりついても居ますので、なかなかしばらくは続く
であろうとは愚考しております。
ともあれ繰り返しになりますが、貴重な知見と高度な
論説を楽しみにしております。