1911年のオーストリア・ハンガリー帝国の地図。wikiで発見。 (クリックで拡大)
現在問題となっている、いわゆるウクライナ危機というやつで、ウクライナの西部のそのまた西部の人たちが、東部の住民なんかどうでもいいという調子でウクライナのウクライナ性を騒ぐわけですが、このエリアはとはこの地図の、右上の方、黄緑色の部分(特に北の方)。左隣の茶色部分とあわせてここはこの時点では、ガリティア地方と呼ばれる。茶色部分がポーランド人、クラクフなどがありポーランド人主体で問題なしだった部分。黄緑色のところは、現在では聞かない言い方になったわけだけどルテニア人。
ルテニア人とは誰か。これがなかなか定義が難しいわけだけど、要するにロシア領内にいない、ハンガリー・オーストリア帝国内にいるルーシの人・・・。
ではそのルーシの人って何?なわけだけど、要するにロシア系の人。少なくともドイツ側(西欧側)から見たとき、ああ私たちと違う、あっちの人、ロシアね、となるような人、なんだろうなぁと思う。1919年時点では言語、文化はロシア、と列強は認識していた模様 1)。
それをルテニアといい、ロシアと言わなかったのは、そうするとロシア人がいる、となってしまうからじゃないのかなぁと思う。ルテニアはラテン語由来の古い言葉。
ではそれをモスクワあたりから見るとどうなるのかといえば、どうなんでしょう。言語的には、ロシアの、という語を付していると聞くけど。
で、 ここはこの後、1919年のヴェルサイユ条約を交渉する際、どこに帰属させたものか揉める。イギリスは、多分ロシア(ボルシェビキにもかかわらず)に持っ てってもらった方がいいんじゃないかなぁと底では思ってる。リボフという都市はポーランド系にみえるがその周辺はあきらかにそうでない。言語と文化はロシアだ、でもオーストリア帝国内にあったという過去によって微妙にロシアとは異なる。どうしたものか・・・。
しかし、この条約体制によって再生された、というか英米が後ろ盾となって100年以上ぶりで出現したポー ランドが執拗に自国であると主張し、外交がぐずぐずしている間に取ってしまう。
カーゾン線
ポーランド・ソビエト戦争
ポーランドはその後も武力を振り回して文字通り暴れまわって四方から憤激を買う。英仏の外交官あたりはこの強欲振りにあきれていて、そのうち大変なことになるよなぁとか思ってる。
最終的に、1939年、例のヒトラーによるポーランド侵攻があり、東側からはただちにロシア(ソ連)が詰めてくる。
現代ではここを悲劇のスタートポイントのようにして「正史」が語られるが、ことはそんなに簡単でもすっきりしているわけでもない。実のところ、露独の行動は過去20年間の仕返しだ、といった解釈だって成り立つ。それにもかかわらず・・・。
いつの頃からか、アメリカ覇権の欧州「正史」はポーランド人の視点で書かれており、太平洋「正史」は韓国人の視点で書かれている。
私はこれは絶対に質されるべきであると思ってる。それは日本のためにもなるし、同時に、本当でない説を頼りにいくら説明したって、そんなもの何の役にもたたないから。
この本はかなり詳しいし、引用文献数も非常に多い。
Paris 1919: Six Months That Changed the World
Margaret MacMillan
■参考記事
「正史」との戦い-欧州戦線
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Paris 1919: Six Months That Changed the World |
Margaret MacMillan |