特に新しい文書が出てきたというわけではないけど、現在の世界の枠組みを決めたのはこの会議なのだなという思いから、第二次世界大戦シリーズに加えたいので、ちょっとメモ。
1943年11月28日から12月1日、テヘランに、米英ソの首脳が集まって戦後処理を話し合った。
💬#Захарова: 28 ноября-1 декабря 1943 г. в Тегеране проходила Конференция лидеров #СССР, #США и Великобритании.
— МИД России 🇷🇺 (@MID_RF) December 1, 2021
🤝 Её итоги свидетельствовали о плодотворности сотрудничества стран антигитлеровской коалиции, направленного на завершение Второй мировой войны и установление мира. pic.twitter.com/zVYkTS4kOf
状況的には、スターリングラードで決着がついて、いよいよ最終版になっていくというところ。(ブログ内の記事はこんな感じ)
1943年2月2日:スターリングラードでドイツ軍降伏
1943年11月28日~12月1日 テヘラン会議
1944年1月18日、レニングラード包囲解消(プーチン献花)
イランという場は、今年の春に、ユダヤ人殺しを叫ぶパレスチナのおっさんの話に焦点を当ててみた結果として、あの場所がナチ側でなくなった意味は欧州戦線にとってとても重要だったことが改めて(私に)認識された。
1941年11月28日:ヒトラー・フサイニー会談
枢軸国と英仏のアラブの取り合い
一連のフサイニーものから見えてくるのは、
- 1941年4月から5月のアングロ・イラク戦争というのが、短いけど非常に重要だった。
- イランとドイツは戦後も非常に密接だったことが、戦後の行動に投影されている。
- ユダヤといえば、ヨーロッパのユダヤのことばかり言っているが、バグダッド・ユダヤとかインドのユダヤといったアジア側のユダヤ人の話が全然聞こえてこない。これは奇異だ。
といったところか。
アングロにとっては湾岸死守は絶対だったし、今もまだ続いているわけだけど、どうなることやら。
イランは、昨今の動きからすると、長いこと続いてきた西欧熱は冷めるのではなかろうか。しかし、あのままの政体で行けるのかというのは今一疑問なところがある。
あと、アジア側のユダヤ人の問題は阿片戦争の頃からずっと活躍しっぱなしなんだから、本当はほじくられてもいいと思うのだが、出てこない。なぜなんだろう? 日本も関係があるが、中国はこの人たちを追い出したわけだから、さらに関係があると思う。
欧州ばっかりほじくってないで、アジア側の歴史の深堀りがブームにならないとだわ、と思う。
■ 参考
2020年:the Westのナラティブ管理崩壊年