熱海で泥の中で家を失った人たちは、本当に気の毒。
調べていくと、どうやら積み増した残土が崩れ、その量も当初県に通知していた量より多かった、というのが現在のところの知見のようだ。
崩れたのは人為的に埋めた部分だけ 熱海土石流 静岡大教授・現地調査
で、自分が住んでるところの上流で発生するなんらかの人為的行為によって命やら財産を失っても、おそらく損害賠償の事案にならないのであろうと考えると、世の中不合理すぎると腹が立つ。
いずれにしても不合理だとしても、せめて幾何かでも無くすためには、重要地点は公有化して公的機関に責任を預けて、万一の場合には最低限の衣食住は必ず保証される、というのはどうだろう、とふと思い、それってつまりソ連みたいだなと思い、ちょっと笑った。そういうのが嫌だからこそ、こういう作りの国になっているんだから、まぁ、じゃあ仕方がないのか、なんでしょうか。
とはいえ、河川管理は国がやっていたりするわけで、結局のところ多くの所有権は個人に持たせるにせよ、公共の利益によっては個人の好きにはできないというのが現在の日本の体制であり、そして結局のところどこの国でもそれはそう。
やっぱり公的機関を合理的なレベルに拡充して、それを監視する機構を付けていく、ぐらいの仕組みのある暮らし方を考えるのはまったく悪い話じゃない。というか、もしそうなっていないのなら、庶民は多数を力にして、そうさせるしかない。
大金持ちはどうあれ生きていける、残りの人が問題なのだ、という建て付けで物事を考えるべきでしょう。
大草原の小さな家時代のモラルを押し付けてくるアメリカのリバータリアンに私があまり好感しないのは、結局このへんの問題ですね。リバータリアンは個人の生き方としてはいいと思うけど、公共空間を安定的に保持するための考え方を破壊しようとするので、実は大金持ちの味方でしかないところがある。
ということで、コロナとか水害とかのたびに思うのは、社会性を失った社会が多くの人にとって安心できる器たり得るわけもない、ってところですね。
80年代、90年代には、まだまだ公共という考え方は随所にあった。それが本当になくなってきて、効率性とか規制緩和という語に置き換えられてしまったのが2000年代からこっちの仕様でしょうか。
そろそろ潮時になってきてるなと思うんだけど、話を転換できるだけの能力のあるリーダーやら知識人がいない。
■ また緊急らしい
そんな中、
政府 東京都に4回目の緊急事態宣言 きょう決定へ
もう、何が緊急なんだかさっぱりわからない。その一方で、オリンピックはやるんでしょ。前に整理したけど、私を含めて少なからぬ人々はこの認識的不協和状態に耐えられないでいる。
オリンピック開催なら、コロナ非深刻
オリンピック非開催なら、コロナ深刻
というのが妥当に認識できるお話。
ところが、現状は、コロナは深刻であり、かつ、オリンピックは開催だ、になっている。
だから、政府のやっていることに意味を求めて理解しようとしている人にとっては、認知的不協和状態になる。
オリンピック非開催なら、コロナ深刻
というのが妥当に認識できるお話。
ところが、現状は、コロナは深刻であり、かつ、オリンピックは開催だ、になっている。
だから、政府のやっていることに意味を求めて理解しようとしている人にとっては、認知的不協和状態になる。
オリンピック OR コロナ
理解しようとするから苦しくなる。理解しようがない奴らなんだなと思って流してみてるしかないでしょう。相手が整合性を捨ててるのにこっちが考えてもはじまらない。
要するに、
グループAの「しのぎ」は、オリンピック開催を要する
グループBの「しのぎ」は、コロナ騒ぎを使って統制を強めることを要する
ということから、こんなことになってるんだと思う。そして、これもまた公共性の欠落問題でもあるでしょう。みんなにとって良いことを、誰が見ても多くの人が適切だと納得できることを遂行しようという気が鼻からない人をリーダーとして見ているというのは、神経に触る。
バッハまで来やがった。ハルマゲドンが起こらない限り東京五輪は進むのだ、とか抜かした頭のおかしい男が来て、5者で日本人の健康と安心に関わる事象を裁くらしい。
バッハ氏来日、5者協議で五輪観客最終判断へ
引き続き、主権無視の体制なんだなと再確認させられる。
IOC vs 主権国家になっていて面白い
■ 振り切るも、影が濃すぎる
そんな中今朝拾った、毒々しい広告。Hanadaは右に振り切るのが芸風で、それで客を取ってるのは知ってるけど、いや、スゴイ。
猪瀬直樹の、「東京五輪開催は最大のチャンス」は、何のチャンスなんでしょうか? そこだけ読んできたい気はする。
五輪中止なら敗戦国、というのも来てるね。こうやって真珠湾をやったんだろうねぇと思わせるものがある。この無駄な好戦性。
見過ごせないのは、「五輪が問う、命より大事なもの」。これはつまり、兵には万歳突撃を、将官は芸者を小脇に本土に逃げるという日本軍のリアルな一面をもう一度繰り返したいという願望だろうか。命より大事なものがあると問いた海軍の高級将官は腹を切るべきだったが、切ってないよ! この不信感は軽薄ビジネス右翼が考えるより遥かに巨大です。断言したいと思います。
というわけで、不道徳で泥沼的な状況が収拾しようもなく広がってる今日この頃。アイスでも食べよう。
①コロナ安全宣言→五輪開催
②コロナ脅威論→五輪中止
③人類の敵コロナウィルスに国民一丸となり立ち向かい、命より大事なもののために、命をかけて五輪を成し遂げる。そのための犠牲は名誉の戦死。
目指せ、五輪玉砕!