前のエントリー(満州事変 永田鉄山が仕掛けた下克上の真実/川田稔 )の続き。このご本を私は情報が整理された良書だと思っているけど、それにもかかわらずこの本はある意味で日本での論争をこのあたりで終わりたいというスタンダード狙いのご本なんじゃないかという、ひねくれた見方をしてしまっている私。前にも書いた通り(昭和陸軍全史/川田稔)。
■ 永田は何を考えていたのか
Blogosの記事の中で川田先生は、
永田は、早くから次期世界大戦は不可避であり、日本もそれに何らかのかたちで巻き込まれると判断していた。 そしてこう考えていた。
国家総力戦になると想定される次期大戦に対処するため、国家総動員の準備と計画が必須である。それには国家総力戦を支える経済力の強化とともに、資源の自給自足が不可欠だ。だが日本には自給自足のための資源が不足しており、不足資源は近隣の中国に求めざるをえない。また必要な軍需資源は中国(とりわけ満州・華 北・華中)のそれをふくめればほぼ自給しうる。そして現に日本の勢力圏となっている満蒙を完全に掌握することは、中国資源確保への橋頭堡となる重要な意味 をもっている、と。(太字は私)
と書かれていた。
で、ここに誤算の1があるわけですよね。なんだって支那の民は日本のために一緒になってソ連ロシアを攻めないとならないのか、だから。
日本における認識で私がかねがね嘆かわしいと思っているのは、チャイニーズには自分の国を自分で治めたいから外人出ていけ、という権利はないかのごとき言説が過去にも現在もあること。いわく、中国人というのは外人が治めていようと問題ない人たちなんです、もともと異民族王朝だから、とか。これってもっともらしく聞こえるけど異民族王朝が南のいわゆる漢民族地帯を治めるにもそれなりの時間と手練手管はあるわけで、なんでもいいって話じゃない。まして、誰でもいいってわけでもないでしょう。日本人は嫌だという人がいたって別に不思議じゃない。
誤算の2は、
昭和陸軍全史/川田稔 でも書いた通り、永田らは対ソ戦をどういう戦争と考えていたのかが実に曖昧だという点。
さ らに興味深く思うのは、対ソ戦の想定。満洲をベースにして対ソ戦を想定し、それが総力戦だというのなら、それは国境線や利権の場を巡るスカーミッシュ skirmish、小競り合いのことではない。つまり、攻められるにせよ攻めるにせよ本格戦争を考えていたということになるわけです。(後には改められて いくが)
しかし、日本はいつからロシアと本格的に戦争をしようなどと考え始める気になったのか? このへんも相当に、当時日本の本州に住んでいた人たちの常識からすると、「へ?」じゃないでしょうか。
次期世界大戦は不可避だ、だから総力戦の準備だと永田ら一夕会は考えた、といわれると、そうかそうかと考えてしまうわけですが、よくよく考えればその時「敵」はソ連なわけですよね。で、ソ連とどんな戦争をする気でいたのか、それはとても大きな問題。
結局、状況から推測してみるに、ドイツの用意と決心をあてに、チャイナ、モンゴルあたりの民を巻き込んでソ連と戦う、というシナリオしかない。
しかし、これって国防どころか国家の戦略としてどうなのよ、という話。
なぜこんなことを考え出したのか。
■ 「ドイツ人」はドイツ人だったのか
ぶっちゃけ私がその存在を推測しているのは、日本軍の一部は、アシュケナージともハザールともユダヤ言われるし、場合によってはドイツ人、ポーランド人、アメリカ人と書かれることもある、一部の金融資本家さんたちに煽られた、騙された、洗脳された、思い込まされた、ということなんじゃないかということ。
そもそも日本には、日露戦争という戦争をユダヤ資本の助けで戦った、明石元二郎はロシア国内でかく乱工作に従事した、という事実がある。で、西の端ではレー ニンはドイツ系資本のエージェントみたいな存在だった(ロシアに対する裏切り)。1917年のロシアでの動乱にはウォールストリートの金が投与されている。
これらを重ね合わせると、日本軍の一部軍人(政財界の一部もでしょうが)は、対ロシア作戦の東の部隊として起用された、と考えるべきなんじゃないかと思うわけ。
で、ここから考えるとあの理解不能なまでに拡大し、無益以上に害しかなかったシベリア出兵が行われた意味もわかるだろうと。(シベリア出兵は、意外にも薩長グループの古い人たち、つまり山形有朋等やアメリカの勃興を見ていた原敬なんかは反対か非常に慎重だった)
また、今に至るまで北進論こそ正義みたいに書き連ねるグループがいるのは、このグループは日本を対ソ(または対露)にぶつけるコマみたいな存在と認識しているってことじゃないのかなぁとも思う。怖いよ、それ。
■ 思えばいろいろヒントはあった
昔からよく、日本は日露戦争に勝ったことで云々という言い方をよく見た。これをいわゆる左派の人たちは、勝ったことで奢ってしまって、そこから侵略的になったんだ、みたいな言い方をしてたと思うんだけど、私としては何かピンとこなかった。そういう感じでもないだろうと思った。
じゃあなんだろうと考えてみるに、これは、日露戦争に勝ったか否かというより、日本が東から攻めることが有効だと誰かが認定し、こちらが呼応して使われてしまったことが問題だった、という意味なんじゃないだろうか。
しかしそういうことをはっきり言うと差し障りもあるので、ごにょごにょ言っているうちに真意が全然伝わらなくなった、と。
■ ロシアと戦っていた日本
そういうわけで、よく考えてみると日本の戦前の躓きというのは、対チャイナではなくて対ソ連(ロシア)だと思うわけです。
「ロシアを潰す」とかいう妄想を抱かずシベリア出兵も英仏・米にあわせてダメだとなったらさっさと引き上げて、満洲の利権は南部を中心に固めて、北部満洲はソ連との広い緩衝地帯にして、たまに双方が小競り合いをすることはある地域です、ぐらいにしていれば、ソ連からの圧迫を受ける契機は減少するので、満洲全土の領有化も必要がなく、従って華北工作もいらないし、チャイナの本体部分みたいなところをなんとしても日本の勢力圏にしなければならないと硬直する理由もなかった。
日本とロシア→ソ連が、革命後の混乱期への介入以上の係争を避けて、満洲についてはロシア帝国と日本帝国との間の日露協商時代と同様であるという立場を作っていれば、英米は満洲には現実の兵力も利権もないわけだから、日本とロシアがそれぞれ北と南をじんわり治めてました、ということになったのじゃないだろうか。ということは、清の全土を引き継いだチャイナは存在しなかった可能性が大きくなる。
(ソ連がそれにもかかわらず大連を取りに来る、というのならそれこそそこで関東軍のみならず日本陸軍として局地戦を戦えばいい。多分これなら当時の日本軍は勝てただろう。しかし、そうするとソ連というかロシアは冒険主義的な国ではないから日本に余程の隙ができない限り戦争を仕掛けてこない確率は上昇する。結局日本軍が満洲南部を強く保持している限り、双方の領分は保持されただろう。)
つまり、日本の戦前とは、主体的にはソ連とか蒋介石とかコミンテルンだのと戦っているつもりが、実効的には、清の領土を全部漢民族にくれてやるという、漢民族支援を一生懸命やっていたようなものなわけですね。
■ 冷戦ファクターとベネフィット
こういう話は、硝煙の臭いがあるうちはできなくとも60年代ぐらいになって話ができればよかったんだろうなと思う。ところがそこにあったのは冷戦という秩序。これが日本にとっては、ラッキーでありしかし自己認識という点からは非常に問題だったと私は思う。
ラッキーだったのは日本が戦っていたソ連も中国も「あっち」側なので、戦前何があったかをすっかり忘れて経済一本で突っ走ることができた。その上アメリカは自己の市場を開放して仲間の国を支援するモデルだったので、儲けさせてもらってラッキーだった。
しかし一方で、そのせいで、1945年までの日本は何をしてきたのか、何が問題だったのかを考えるきっかけを盛大に失ったとも言える。冷戦秩序というのはアメリカ覇権を確立するための方便だったわけだから、この秩序が崩壊した時に考え出すというチャンスもあったのだが、それも深刻に考えなかった。
そして、今に至るまで日本には考え直す勢力はいない。
私はこれを嘆かわしいと思っているけど、同時に、直らないんじゃないかなぁ・・・とかも思ってる。
なぜか。それはロシアを呪ったり憎んだりすることは日本の歴史認識にとってベネフィットがあり、かつ、アメリカに褒めてもらえるという大きなベネフィットがあるからだと思う。
これと逆を行ったのがドイツといえるかもなぁとかも思う。
ドイツはCDUというメルケルがいる方の党がイデオロギー担当で、SPDという方が地政学担当みたいな感じで、東方政策を実行してロシアとの関係を構築していった。今現在問題になっているヨーロッパのびっくりするほどしっかり配置されているパイプラインは70年代初頭のドイツの東方政策の成果。こうやってロシアとの関係構築をして両者にとってのベネフィットを得てきたし今もそうだと言っていいと思う。で、そうだからこそアメリカはドイツを落とすわけにはいかない。
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