如意樹の木陰

古い記事ではサイババのことが多いです。
2024年に再開しました。

春の旅(10)

2007-09-01 23:03:56 | インド旅行記
カジュラホ
カジュラホへの飛行機は結局フライトキャンセルになった。どうなる事かと思ったが、航空会社がホテルを用意してくれて、いわゆる高級ホテルに泊まる事ができた。ホテルが用意されたのは、この便が国際線扱いだったためだと思う。
キャンセルの飛行機に乗る予定だったのは日本人の団体客が多かった。大人数のグループから、日本人ふたりにインド人の現地ガイドというごく小さいグループまでいくつかの団体旅行が同じ飛行機を使っていた。その中にインドに詳しい人がいてインドの物価の事などを教えてくれた。その人が言うには、せめてヒンディー語で数くらい数えられないとインディアンプライスでは買い物はできない、そうである。もっともな話である。
翌日の昼過ぎにやっと飛行機はバラナシを飛びたち、あっという間にカジュラホに着いた。カジュラホで降りた客の中で日本人は私一人だけだった。団体旅行のコースではカジュラホにはあまり寄らないのか、あるいは飛行機が一日遅れたためにカジュラホはパスになったのかもしれない。短期間の旅行での一日の遅れは、かなりのダメージのはずである。
カジュラホの村は、滞在中ずっとにぎやかだった。村の南にある広場にバザールのテント村ができていて、一日中客寄せをしているのだ。その客寄せのスピーカーの音量はものすごくて、狭い村全体に届くのではないかと思うほどである。私ははじめ、てっきり選挙の街頭宣伝かと思った。宿の屋上から見ると、小型の遊覧車のようなアトラクションも用意されていた。後で見学に行ってみたのだが、会場は埃っぽい広場で、そこに日用品、衣類、装身具、工具、刃物、牛の首に付ける鈴、荷車の車輪、トタン製の水タンクなどが並べられていて、近郷近在から集まって来た人達でごった返していた。日本でも田舎の春祭りの神社の境内などでは今でも農具や竹篭などが売られているが、ちょうどそれと同じ雰囲気である。今年一年の仕事を始めるのに先立って、たとえば鎌を新調し、あるいは牛車の車輪の修理をする、そういったバザールなのである。
カジュラホで宿泊した宿のオーナーは日本語を上手に話す人だった。オーナーの兄弟も日本語が話せた。そんな事もあって日本人の客が多い。博物館のすぐ隣と場所もよい。
このホテルで、ボードガヤからの列車で一緒だった夫婦に再び会った。彼らは列車とバスで移動してきたのだ。バラナスィからサトナーまで列車で約7時間、サトナーからカジュラホまでバスで4時間である。
ホテルの屋上で朝食を食べていると、ホテルのオーナーが話し掛けてきた。一人旅の良いところは、ひとりでぼんやりしていると、現地の人が話し掛けてくる事である。もちろん悪い話も多いので、うかつに対応できないのではあるが。
オーナーは、若いが穏やかな感じの知的な人物である。私が、サイババの所に行った事を話すと、オーナーは「自分はまだ行ったことがないが、一度行ってみたいと思っている。」と言っていた。「しかし、飛行機は高くて使えないから鉄道で行く事になるが、遠いのでたいへんだ。」とも言っていた。確かに、カジュラホからプッタパルティは遠い。たぶん二日では着かないだろう。インド人も日本と同じように合理的、科学的、唯物的な教育を受けているから、一般のインドの人にとってもサイババは異質な存在のようである。しかし、政府の高官までがサイババの所に行っている事も事実で、それでオーナーも興味を持ったようであった。
カジュラホには、ちょうど千年前に栄えた王朝の巨大な石造りの寺院群がある。宗教はヒンドゥーなのだが、バラナスィの寺院の簡素な感じとは全く違って、外壁、内壁とも偶像だらけである。しかもどの像も写実的で肉感的で精巧なものである。インドの博物館にはどこも驚くほどの数の石像があるが、このように外壁一面石像で覆われた寺院が、偶像嫌いのイスラムによって破壊されたのであれば、畑や原っぱの土の中から石像はいくらでも発掘されるわけである。
カジュラホのの寺院には「SURYA」と言う神様が祭られている。優美なすらっとした立ち姿で両手に何やら円盤状のものをひとつずつ掲げている。初めスーリヤという名前から「阿修羅」を連想したが、全くの見当違いで、スーリヤは太陽の神であるらしい。しかし、中性的な感じの立ち姿の像には興福寺の阿修羅像と共通する感じが少しある。ただし、スーリヤの表情の方が明るい感じである。
太陽の神という事からすれば密教の大日如来と同根なのかもしれないが、これも見当違いかもしれない。
有名な男女交合のミトナ像は寺院の外壁に見られる。近代・現代の社会では、性的な表現に関してはタブー視する傾向が強いのだが、少なくとも、かつてこの地にはそれと違った文化が花開いていたらしい。ミトナ像を見ていて、理趣経との関連を思ったりした。
こういった像があるせいかどうか、カジュラホでは新婚らしいふたりずれを多く見かけた。私は寺院のある公園のベンチで休憩していて、新婚さんのカメラのシャッターを切るのを何度か頼まれた。
この公園には猿もいれば野鳥もいる。フープーという名の羽冠をもった鳥は芝生に撒いた水を飲みに来るし、ブーゲンビリアには長いクチバシと黒光りした美しい羽を持ったサンバードが寄ってくる。高い木の枝にはグレーのサイチョウも見かけた。インドは野鳥の宝庫である。
宿から離れた東群の寺院を見に行くために自転車を借りた。メインの寺院群は西群と呼ばれ観光客が多いが、東群の寺院には観光客はあまり行かないらしい。東群にはジャイナ教の寺院もあって、生まれたまんまの姿の石像が涼しげに立っていた。自転車で村の外れの寺院に行くと、川で牛を洗う子供たちや、共同井戸で洗濯したり水浴びしたりする光景も見られた。

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