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皇居 令和6年秋季皇居乾通り一般公開①坂下門外から局門まで

2024年12月22日 08時52分35秒 | 東京都

皇居。二重橋前。令和6年秋季皇居乾通り一般公開。

2024年12月4日(水)。

2024年年11月30日(土)から12月8日(日)までの9日間、秋季皇居乾通りが一般公開された。入場時間は午前9時から午後3時までで、皇居坂下門から参入、皇居乾門から退出する。

乾通りには8種類、およそ70本の色とりどりのモミジが植えられているという。

11月30日に八丈島でテレビニュースを見ていたら、乾通りの通り抜けの映像が流れてきた。全く予定外だったが、来年の桜の時季の通り抜けは予定していたので、12月3日に八丈島・青ヶ島の旅を終えて東京へ戻ったあと、翌朝見学することにした。

有楽町駅で下り、二重橋前に着いたのが7時30分過ぎだった。

多くの人が石造りの橋「皇居正門石橋」を二重橋と思っているが、実はその奥にある橋「皇居正門鉄橋」が二重橋である。

「皇居正門鉄橋」は、1614年(慶長19年)当初、二重構造(木造)であったことが、名前の由来となっている。現在の橋は、明治宮殿造営(完成明治21年)に当り、錬鉄製の橋に架け替えられ、更に昭和の新宮殿造営(竣工・昭和43年)に先立ち、架け替えられて現在に至る。

一方、「皇居正門石橋」は、1888年(明治20年)12月、明治宮殿が竣工する前年に完成した。

8時前に坂下門外にある障害者用の入口に並んだ。障害者用の入口にはその後も誰も並ばなかった。

一般者用には10人ほど並んでいた。

8時45分ごろから参加者が目立って増えてきた。8時50分ごろに、手荷物検査が始まり、8時55分ごろに坂下門手前に並んだ。皇宮護衛官3人がこちら側を向いて立っていた

宮内庁の事務官3人が現れ、大音声で、通り抜けの開始を宣言した。皇宮護衛官は180度ターンして坂下門へと歩み始めた。このあたりは、衛兵交代の儀式の雰囲気がある。先頭から2列目だったので、興味深く拝見した。朝早く来てみないと分からないものだ。

坂下門の右奥に見える宮内庁庁舎。

坂下門を出るまでは、ゆっくり歩くように言われる。

坂下門。

宮殿。

宮内庁庁舎。

昭和10年(1935年)に建築された建物で,庁舎3階は,昭和27年(1952年)に改装され,昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間,仮宮殿として使用されていた。

あるとき宮内庁の担当者に挨拶してくれと頼まれて、乾門からタクシーで乾通を通り抜けて庁舎に入り、挨拶したことがある。

地下壕かと思ったら、宮殿との連絡用通路・車庫?だという。

東御苑南西端の富士見櫓。

富士見櫓は江戸城の中でも高い位置にあり名前の通り当時はここから富士山が見えたという。

蓮池参集所。

宮内庁本庁舎の向かって右側に有る平屋建ての建物で、ボランティアで全国各地から集まる勤労奉仕団の集合及び休憩場所になり、天皇皇后両陛下が 勤労奉仕団にご会釈をされるという。

トイレと生垣。

トイレ横から見る富士見多聞。

富士見多聞には今年3月に内部へ入り、乾通り方向を見下ろした。

山下通り。

右側奥が「紅葉山」で、皇居の中でも静かで緑多い通りという。奥に豊明殿がある。

局門(つぼねもん)。

宮内庁の倉庫らしい。

富士見多聞。

門長屋。

西桔橋(にしはねばし)門跡。

内濠(乾濠・蓮池濠)に架かる土橋で、皇居と皇居東御苑を結んでいる。江戸時代は、本丸大奥と吹上の通路になっていて、西桔橋門があったが、現在は石垣の一部が残っているだけである。

桔橋(はねばし)とは、有事の際、橋をはね上げて往来を不可能にする仕掛けを持った橋のことである。この橋と北桔橋の2橋が江戸城防備のために、桔橋となっていたが、現在は普通の橋となっている。



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