慶應義塾大学三田キャンパス。東京都港区三田。
早稲田大学には高校時代の友人が入学したので、70年代前半に西武新宿駅か高田馬場駅から5円の連絡バスでキャンパスに行ったり、神宮球場で早慶戦を観戦したこともある。7・8年前にも演劇博物館を見学したことはあるが、慶応大学には初めて来た。
重要文化財である三田演説館や赤レンガの図書館旧館は、1980年代から知っており、一度は見学したいと思っていた。國學院大學博物館を見学して、15時ごろに慶応大学の正門に来た。ネットで概略を見ていたので、守衛さんに案内図を依頼して入手した。守衛もなかなか一流である。階段横に1階レベル行きのエレベーターがあると教えてくれた。このときの歩数は約2万歩で、さらに重いデイパックを担いでいたので疲労困憊していた。普段は2千歩余りしか歩かない身障者なので、最低限の見学となった。
三田演説館は左下にあった。内部は見学できない。内部は高いはずだが、低かったので後ろ側に行こうとしたら、樹木伐採中の若い作業員に制止されたが、50才前後の作業員幹部から、気を付けて近づいて下さい、言葉をかけられた。
重要文化財・三田演説館。
木造二階建、桟瓦葺、建築面積191.2㎡。
福沢諭吉が三田演説舍の会堂として1875年(明治8年)に建てた。都内に残る明治初頭の洋風建築として貴重であり、史的意義も深い。
福澤諭吉自らの資金によって日本最初の演説会堂として建設された。建設当初は図書館と塾監局の間にあったが、関東大震災後の1924年に現在の三田キャンパス南西の稲荷山に移築された。
富田鐵之助を通じてアメリカから取り寄せられた図面を基に造られており、洋風でありながら外観は木造寄棟瓦葺、なまこ壁といった日本独特の手法が用いられている擬洋風建築である。
館内は2階の左右にギャラリーを設けたオーディトリアムの形式が採用され、聴衆400-500名を収容することが可能。正面奥の演壇の背後には曲面状の壁が廻らされ、音響的にも優れたものとなっている。
重文・慶應義塾図書館旧館。
煉瓦造、二階建、地下一階、一部三階、書庫六階、スレート及び銅板葺、建築面積684.4㎡。
1912年(明治45年)竣工、開館。
この図書館は慶応義塾設立五十周年記念事業として建設された。構造は主として煉瓦造で、一部鉄筋コンクリートを用いている。関東大震災および戦災で災害を受け、内部は殆んど改修されたが、外観や玄関、広間に当初の形式を残している。ゴシック様式を取り入れた明治末期の代表的遺構である。ゴシック式のプランによる設計は中條精一郎。
現在、内部には、福澤研究センター(1階)、カフェ八角塔(1階)、福澤諭吉記念慶應義塾史展示館(2階)などがある。
ケンブリッジ大学のような建築風景と感じた。オックスフォードではない。
入口から入ると、左の机上に慶應義塾福澤研究センター発行の年次論文集「近代日本研究」が9年分が数冊ずつ置かれていた。無料配布らしかったが、たまたま部屋から出てきた女性に尋ねると、どうぞお持ちください、と言われた。数冊持ち帰りたかったが、500ページ近いページ数で分厚く重い冊子だったので1冊のみ、頂いた。
ステンドグラス。
1915年(大正4年)12月30日に和田英作原画、小川三知制作の色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれた。これは高さ約3間半、幅1間半の大作で、甲冑姿の武士が馬を降りて自由の女神と相対する図案に、ラテン語で Calamvs Gladio Fortior(ペンは剣よりも強し)と記されていた。1974年の復元である。
小川三知制作のステンドグラスは全国各地で見られる。
乳母車。福澤諭吉記念慶應義塾史展示館。
福澤諭吉が戊辰戦争の砲声轟く中でもウェーランド経済書の講義を続け、日本における洋学百年の命脈を保ったとの故事は有名だが、この乳母車も歴史書ではよく取り上げられる。
ベンチで休憩しながら、正門へ出ると、卒業式帰りらしい中等部生徒たちを乗せたバス数台が正門から出ていくところだった。16時ごろに見学を終え、新橋駅に向かった。