☆☆ universo & me ☆

猫の事、世の中の事、歌の事、ソプラノ歌手のつれづれ

神霊写真館

神と悪霊・私が撮影した神様・龍神様・稲荷狐さんの写真館・妖精も写っています。

夏の夜の怪談2

2013-07-17 23:42:29 | Weblog
怪談を書こうとすると、さて、どれにしようかな??!
と言うくらいに多過ぎて、本当にどれにしようかな!

それでは、1992年~1996年に住んでいた、ウィーンの家の話にしましょう!

そこは、ウィーン3区 Landstrasser-Hauptstrasse にある、当時既に800年の歴史を持つ僧院だった建物で、3階は空で未だ内装もされていない屋根裏状態で、お金が有ったら改装したいと言っていました。

2階部分が住居、1階は駐車場に成っていました。
実は地下室が有って、イギリス貴族が幽閉されていた歴史もあるそうです。

ベートーベンも三月程住んでいたそうで、かなりだらしなかった彼は、よく、酔っ払っては中庭で寝ていたそうです。

そんな古い歴史的建造物ですから、当然、「住民」も(あちらの)様々なのが棲息していて、時々出現しては楽しませてくれました。

「声」だけの住民が居て、或る朝目覚めると、私しか居ないのに二人の男性の話し声(独語)が部屋の中で聞こえて、誰が話しているのだろうか?!と思って聞き耳を立てていたら、「声の住民」は私が聞いている事を察知したのか、突然静かに成りました。

更に或る日、全身緑色で頭がとんがっていて、耳が大きくてこれもとんがっていて、目も大きい、痩せてひょろっとした、気持ち悪いぬるぬるした男が出て来ました。

しつこく付きまとい、仕舞いには口の中にべた~っとした舌を突っ込んできたので、
「あんたなんか きらい!!」と怒鳴ったら、びっくりしたらしく、恐れをなして壁の中へ背中からぴゅーっと入って行きました。
それからはもう二度とは現れませんでしたが、あのべたべたした気持ち悪い感触は忘れられません。  ほんと、気持ち悪い奴だったわ!!

そして或る冬、風邪を引いて熱を出して寝ていたら、枕元に頭に一本角の生えた、全身真っ黒な爬虫類の様な皮膚で、背中に小さな、これも真っ黒な羽根の生えた「小悪魔」が私の右肩の横にしゃがみこんで、じっと私を観察しているのに気が付きました。

どうやらあの小悪魔は、白人しか見たことがなかったらしく、私の事を
「一体なんだろう??これは!」
と化け物を見た様な目つきで見ていたのですが、そして恐る恐る、手を伸ばして、私の左手首をほんの一瞬だけつかんで、そしてあわてて逃げていきました!

「化け物に化け物と思われた私」(^o^;;

ノートルダム寺院の上に置かれた、色んな化け物の像が有りますが、あれは実物を見て作ったのが分かりました。

何とまあ、あんな異形の物ばかり、どうして思いつくのだろうか?!凄い想像力だわ・・・

と思っていたのですが、「想像力」ではなかったのです。セイントの輪っかと同じで、作者には異次元の者の姿が視得ていたのですね。。
別に全然怖くはなかったんだけど、この「小悪魔」毒素が強くて、握られた手首から肩まで、痒くて痒くて、丸一日気孔で毒素抜きをして、やっと治りました。

異次元には、可愛い妖精も居るけど、化け物もいっぱい居るのです。
↓ グスタフ・クリムトの絵のコースターから飛び出した妖精の写真です。私の撮影 札幌の自宅にて

https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-tjyaspd75uigbmhkw5lpkulgvy-1001&uniqid=fd67c247-e48d-4a01-b521-40f5432b7626&viewtype=detail

http://box.c.yimg.jp/res/box-s-tjyaspd75uigbmhkw5lpkulgvy-1001?uid=e902bc1f-a21e-4861-8ca6-e8c212516368&etag=aba9218b136210226823972

札幌の喫茶店でマスターが撮ってくれたのですが、私の頭の上に沢山のハート型の光が写りました。

https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-tjyaspd75uigbmhkw5lpkulgvy-1001&uniqid=f63ed246-f9d3-4e01-a2ff-a59bf2b303bf&viewtype=detail

http://box.c.yimg.jp/res/box-s-tjyaspd75uigbmhkw5lpkulgvy-1001?uid=c77092b9-1c83-4225-9e6a-4454194a0340&etag=d1cd1a47136210226171080

この様に、異次元の住民がちゃんと存在するのです。

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南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉

2013-07-17 00:49:11 | ニュース
転載です。

http://ameblo.jp/daily-china/entry-11415804641.html

1月27日に歴史評論がネット(http://www.kdne.net)で流れた。開国少将というベンネームの作者は、外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という文章を発表している。「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。

彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。


部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。


誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。

国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。

外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。


外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。

私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。
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以上、何でも日本に罪を擦り付ける中韓にはうんざりです。


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