マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

再びの大津(その2)

2016年12月16日 | 

 旅の2日目の12日(月)は快晴だった。早朝に琵琶湖々岸を散歩した。
  朝陽が昇り、光が湖面に反射し始めた。ランナーとすれ違い、追い抜かれもした。竿を垂らす釣り人もいるが、走っている人が多い。「ランニングステーション」なる立て看板を見つけた。この辺りはランナーのメッカかも知れないと思った。走るにも歩くにも楽しくなる景色が続いていた。

                              

 朝食後、宿の送迎バスでJR大津へ。そこから東海道本線(琵琶湖線)新快速で近江八幡へ。近江鉄道バスを市博物館前で下車し、八丁堀を歩いた。3年前は雨だったとは妻の言。スマホでその時のブログを読むと雪中を歩いたのだった。私にその記憶は全くなかった。僅か3年前のことなのに。
 私は川べりを歩いた。時代劇で時折見かける風景が展開する。石組みが美しい。妻は川沿いの一段高い街筋を歩いた。その方がお店があって楽しいらしい。「遠久邑(おくむら)」では佃煮を3種類買った。小エビ・ウロリ・氷魚とも原料は琵琶湖産でお安い。私も試食したが、良いお味だ。


 立て看板には八幡堀の歴史と、城下町を築いた羽柴秀次について書かれていた。秀次の晩年は『真田丸』を観ても、涙なしには語れないが、八幡堀を興こし、商業の街の礎を築いた悲運の人は、今でもこの町の人々から敬愛され、誇りに思われていることが伝わってくる。







 堀では新婚さんに出会った。挙式前の数時間を散策しての記念撮影。私も二人を撮影し、幸せのお裾分けを貰った。その後「日牟禮ヴィレッジ」へ。焼たてバームクーヘンが有名なお店だが、販売は終了していた。止む無く、3年前と同じように、店内奥のカフェでお茶して暫し寛いだ。







 再び街を歩いて近江牛のお店「千成亭」へ。近江牛入りのメンチカツとコロッケを食した。”近江牛は中山道を江戸へ”の看板を見て、この付近を中山道が通っていることを思い出した。




 帰路は近江八幡駅から八日市線で隣駅の武佐(むさ)へと足を延ばした。武佐は中山道第66番目の宿場。京都まであと46Kmの地点。ここを訪れるのは多分4年ほど先のことだろうが、垣間見ておきたかった。中山道はここでも至る所に遺跡が残されていた。立て看板には、1729(
享保14)年には、長崎から江戸に運ぶ像がここに1泊したと書かれていた。事前学習は小一時間で終了。(写真:近江鉄道八日市線は2両編成)
 ”ふらっと街散歩”の素材が多数点在する琵琶湖沿岸。師走の平日に観光客は少なく、静かな街歩きに満足。




  
  (一龍齋豊芳画)

今日の一葉(14日9時が満月。その翌朝7時に撮影)