実は2月2日に小名木川を隅田川側から旧中川まで歩いてきた。江戸が舞台となる時代小説に度々登場する小名木川は是非歩いておきたい川の一つだった。ここを歩き終えて、江戸時代、行徳の塩を江戸まで運ぶ目的で作られたこの運河のみならず、江戸・塩の道と呼ばれる航路の全コースを歩きたいと思った。そこで2月27日(土)には行徳から旧江戸川を経由して新川西水門までを辿った。小名木川(約5Km)や新川(約3Km)沿いの見聞録は後日に回し、まずは塩の道を概観しておきたい。(写真:小名木川に架かる塩の道橋。下はクローバー橋)
今では市川市に属している行徳地区は古くから製塩業が盛んだったらしい。江戸に幕府を開いた徳川家康は行徳の塩に注目し、行徳を幕府直轄地とし、その塩を江戸城下に運ぶため、隅田川と中川(現旧中川)を結ぶ小名木川を、更に中川と江戸川(現旧江戸川)を結ぶ新川を開削し、舟運を整備した。小名木川は「塩の道」とも呼ばれるようになった。
家康は1590年の入府早々に小名木川の開削を命じた。まだ戦国時代が終わっていない頃、籠城に備えて塩の備蓄を必要と家康は考えたのだろうか。その工事を担当したのが小名木四郎兵衛で、そこから小名木川と呼ばれるようになったと伝えられている。 やがてこの舟運は、東回り航路や利根川を経由して全国各地の物資を江戸に運ぶための一大物流幹線として大いに賑わったそうな。「江戸名所図会」には“…旅舎ありて賑わう。”の記述がある。(写真:江戸川沿いに建てられた常夜灯)
更には、1632年には行徳と江戸日本橋小網町を結ぶ行徳船が運航され、19世紀になると、行徳までは船で来て、そこから徒歩で成田山新勝寺へ向かう参詣路にもなったという。
航路の安全を願い日本橋・成田講の人々が江戸川沿いに常夜灯を建てたとの記事を読んだ。その常夜灯を是非見ようと、2月27日は東西線妙典駅で下車し今回の旅をスタートしたのだった。