もう1月以上前の5月31日(月)、亀島川沿いを歩いて来た。
日本橋川は茅場橋を過ぎると直ぐに亀島川とに分流する。ここから下流はどちらも高速道路向島線の覆いから放たれ、空が良く見えてくる。亀島川は分流後南へ流れ、亀島橋を過ぎたあたりで南東に折れ、中央区の中央大橋下流で隅田川に合流する。この僅か1kmの間に5つの橋が架かっている。(安政時代は、①霊岸橋・②亀島橋・③高橋の3つ) この日は半蔵門線を「三越前駅」で下車し、日本橋川の右岸を行った。亀島川は川沿いに歩く遊歩道が殆ど無い。ビルを挟んで川に平行する車道を行くことになる。それ故川を眺めるのは橋の上となる。最初の霊岸橋の上に立つと、現在工事中の日本橋水門が良く見えた。亀島川にはこの水門と隅田川との合流直前の亀島川水門がある。隅田川との合流点は海に近いため、高潮を防ぐ防潮水門だそうな。(写真は日本橋水門)
新亀島橋から亀島橋へと進む間に右写真の暖簾の掛かる店があった。暖簾の文字は「富田重雄」と読めた。私の知人に一字違いの御仁がおられる。その偶然にビックリし店中を覗くと、幾つかに和菓子の中にどら焼きが並んでいた。お土産に2個購入し、帰宅後調べるとこの店は「梅花亭」本店で創業は嘉永3年(1850)とのこと。
説明に「初めて丸形のどら焼きを創作する。銅鑼の形のあんに、薄く衣を付けて皮を焼く」とあった。この辺りは今は中央区新川だが、霊岸島の一角で長い歴史があるはず。かって新川にある会社に勤務していた富士前福寿会々長小林さんにメールすると、「梅花亭は地元の名店です」との返信メールが来た。流石に美味しいどら焼きで2個しか購入しなかったことを悔いた。今回の散策時にも見知らぬ名店に出合ったのだ。これが愉しい。
その小林さんのメールには亀島橋付近には「堀部安兵衛居住地の碑があるのに気が付かれましたか?」とあったが、見落としていた。川を挟んで左岸が新川で対面の右岸が八丁堀。左岸を歩いていたのだ。赤穂浪士がここを通って討ち入りに向かったとの逸話もあるそうな。兎も角亀島橋を過ぎると前方の風景が開けてくる。(亀島橋を過ぎて直ぐの亀島川)
高橋には明治道路が走り、南高橋からは亀島川水門間近に見えた。隅田川に架かる新中央橋が別世界に着いたことを教えてくれる。(亀嶋川水門)
新中央大橋
亀島川が造られた目的はここに日比谷河岸、将監河岸、亀島河岸、湊河岸などの河岸を作り、船便の荷の積み下ろしの為だったと思う。行徳で積荷された塩は亀島川の河岸でも降ろされたことだろう。江戸時代の水路塩の道を辿る旅はここ亀島川の河岸で終わりを迎えたことになる。
川がいつ頃どの様に造られていったかはこれからの学習課題だ。