カタリン・カリコ博士の生まれ故郷ハンガリーと山中教授の住む大阪を結んだリモート対談。話はmRNAからカリコ博士の困難続きだった研究活動に移っていった。 1985年(30歳のとき)、社会主義体制だった母国ハンガリーは経済が行き詰まり研究資金を打ち切られた。止む無く、車を売って得た僅かなお金を娘のぬいぐるみの中に隠しアメリカへの移住。「仕事を辞めてアメリカへ行くのは怖かった。片道切符だから」と語っている。
アメリカに渡ったカリコさんはmRNAの基礎研究に没頭する。当時の研究の主流はDNAであったため、その研究は殆ど評価されず、研究費を減らされたり、ポストを降格されたりした。同僚の研究費に頼るしかない研究が長きにわたって続いた。どう乗り越えたのですかと問う山中教授に「どうにも出来ないことに時間を費やすのでなく、自分が変えられることに集中してきました。いつも何が出来るかに立ち返りました」と。実験で得られたデータを重視する姿勢を貫いた。
彼女が積み重ねてきた研究が陽の目を見る時がやって来た。山中教授が作成したiPS細胞。アメリカの研究グループがmRNAの技術を使うとiPS細胞が効率的に作られることを突き止めたのだ。カリコさんの研究が注目されるようになった。山中研究とカリコ研究がハーバードの研究室で出会ったのだ。
カリコさん曰く「自分のデータを参考に誰かが科学を発展させる、と信じることが大切です」。40年を超える研究人生を「ハンガリー時代から今まで変わらなかったのは好奇心と熱意を持つ謙虚な科学者でいたことです」とも語った。
山中教授曰く「新型ワクチンは僅か1年足らずで開発されました。それまでの長い歴史があったことを忘れてはなりません」
科学を観る目でも両者の考えは一致していた。山中教授は冗談めかして「カリコさんの研究はノーベル賞の生理学・医学賞候補ですね。いや平和賞候補かもしれませんね」と。10月の発表を見守りたい。
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