1月23日(水)、頂いたチケットで歌舞伎座「初春大歌舞伎」昼の部を観て来た。
演目は次の4つ。
1・舌出三番叟(しただしさんばんそう)
2・吉例寿曽我
3・廓文章 吉田屋
4・一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
2の「曽我物」は新春浅草歌舞伎にもかかっていた。新春に「曽我物」を上演するのは江戸歌舞伎の伝統・吉例と聞いていたが、本当にそうなんだなと思う。歌舞伎座での舞台は通称「雪の対面」で、曽我兄弟が対面するのは工藤祐経ではなくて、妻の梛(なぎ)の葉。役の福助は病で休業中と思い込んでいたが、病は癒えたらしい。随分前に見た「紅葉狩」での鬼女の力強い舞や「娘道成寺」での白拍子変じての妖怪の舞が強く印象に残っていた。今回は舞こそなかったが、立ち居振るまいから凛とした雰囲気漂う奥方役。 3の「廓文章」では、伊左衛門演じる幸四郎の演技が分かり易く面白かった。
放蕩の揚げ句に勘当された伊左衛門、やつれた姿で、恋する遊女夕霧(七之助)に会いに吉田屋にやって来ます。人が良いのだろう、吉田屋夫妻は彼を座敷に迎え入れてくれます。ひとり夕霧を待つ伊左衛門。
炬燵布団のなかで転寝したり、部屋のなかをふらふら歩いたり、夕霧が現れるはずの襖を何度も開けたり閉めたり。他の客と戯れているだろう夕霧をいらいらしながら待つやさ男。一言も発しないのにその心理が実に良く見てとれます。
漸く現れた夕霧に嬉しさを隠して、すねて見せる伊左衛門に、夕霧も嬉しさのあまり抱きついたりはしない。感動の再会ではなく、痴話喧嘩が始まりそうなふたりですが・・・。
女形が女性ではなく男性を演じるのだが、その男なよなよとした優男。右はパンフレットからの写真だが、こんな雰囲気。
最後は、伊左衛門は勘当を許され、廓では大宴会が始まり、めでたしメデタシで幕。 4は平家全盛の世を欺くために作り阿呆を演じていた大蔵卿(松本白鸚)が突然本心を明かします。その阿呆と正気の落差がこの芝居の見せどころ。5年前に観た吉右衛門の大蔵卿はその落差の一瞬を演じ、それが面白かったが、白鸚はその落差がなめらかというか、その激変振りが観られなかった。当たり前ながら兄弟でもその演じ方が違う。東京新聞の評では白鸚の演技は「一人の人間の内に秘めた意志と品格と屈折が浮かび上がるように表れておもしろい」とあったが、私の様なものには吉右衛門の表現の方が分かり易い。
この日補聴器の調子が悪く、役者さんの声が聞きとりづらかったが、観ているだけで物語を楽しめる舞台が幸いした。