マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

白山・駒込、寺の町

2014年06月02日 | 東京散歩

 昨日の東京新聞25面を見たとき、文字より先に、大きな写真が目に飛び込んできて、あっと思った。見た瞬間に我が町の鳥瞰写真だと分かった。その写真の下には”大火 寺の町生む 白山・駒込”とあり、やはりとそうかと納得した。まずは、大きい写真を。


 そこには、我がマンションも写っていて、何故か嬉しかった。私がよく出掛け、ブログにも登場させたことのある①吉祥寺・②光源寺・③白山神社・④六義園⑤東洋大⑥本郷通り などの存在地点が、他の小地図上で紹介されていた。残念ながら駒込富士神社や天祖神社がどこにあるかは紹介されてはいなかった。撮影地点は、シビックの展望台かと一瞬思ったがさにあらず。東京新聞ヘリ「あさづる」からの撮影だった。

 記事はこう書き出されていた。
 『文京区には120以上もの寺がある。なかでも本駒込、白山あたりは、その半数近くが集まるー大寺町だ』と。その理由が明暦の大火に遡ると記されていた。1657(明暦3)年の大火により、当時の江戸の大半を焼失するに至った大火事で、幕府は焼けた寺の跡地を「火除地(ひよけち)」と呼び空地にして、類焼食い止めを策したのだ。そのため、多くの寺が、江戸の郊外だったこの地に移ってきた。本郷通り沿いにある「かねやす」は”本郷もかねやすまでは江戸のうち”などと呼ばれ、駒込はその外側の郊外にあり、一面の野原だったのだろう。
 本郷通り沿いには多くの寺が存在し、我がマンションからも、真近に江岸寺・天然寺など5つもの寺の屋根が眺められる。本郷通り反対側には東京スカイツリーを真後ろにして、吉祥寺の本堂屋根も見える。(吉祥寺前にある地図版。この地図上にも20もの卍マークが見える)


 今日はその吉祥寺に関して記しておきたい。5月の朝日新聞夕刊には参道に咲く枝垂れ桜が紹介されていたが、東京新聞には、「栴檀林」(せんだんりん)が紹介されていた。  
 約1500人の僧が学んだ学寮「栴檀林」があった古刹・吉祥寺は、明暦の大火で焼け出されるまで存在した駿河台からこの地に移転してきたが、門徒の住民は同行せず別の場所へまとまって移住した。そこが、現在の武蔵野市の吉祥寺だそうで、これは初めて知った話だ。タクシーで帰宅する際”吉祥寺まで”などというと、都心から離れた方向に走り始め、慌てたなどという笑い話もあった。(山門)





 山門の扁額には”栴”ではなく、”旃”の字を用いて”旃檀林”と刻まれているが、学寮旃檀林がどの位置に建てられていたかは、今のところ私は知らない。ただお寺の玄関前に”センダン”の立派な大木があり、時折の散歩でこの木を仰ぎ見る。「棟(おうち)」の別名を持ち、邪気を払う霊木としても有名だそうな。初夏には薄紫色の花を咲かせ、秋には黄色い実をつける。
(付記 この寺を含むこの一帯は旧駒込吉祥寺町。村上藩の下屋敷はこの地にあった)

 





 
   
  (参道に枝垂れ桜。写真は再掲)     (吉祥寺の向こうにスカイツリー) 

  
 (左右の写真ともセンダンの木)



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