マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

麻布界隈の「東京歴史散歩」は13名の参加(後半)

2019年11月02日 | 東京散歩

 前回のブログの続きです。
 ⑥の安藤記念教会を後にして、⑦アルゼンチン大使館の前を通り、⑧の旧松方正熊邸へ。ここは現在、私立学校「西町インターナショナルスクール」となっていて、大正10年に建築された洋館で、5歳から15歳の生徒が学んでいる。土曜日とあって生徒の影は見えず、外から建物を眺めて引き返した。(写真:旧松方正熊邸)



 ⑨の氷川神社は麻布地区の総鎮守で、私は4年ほど前「港七福神めぐり」で訪れたことがあった(毘沙門天)。その時は七福神グッズなど販売されていて賑わっていたが、この日は参拝者も疎らで寂しい感じがした。
 ただ、神社の壁に描かれた右の図を見ると、かつては千貫神輿を牛二頭に引かせて巡行し、荘厳たる姿を披露していたことが偲ばれる。昭和15年を最後に巡行は途絶えてしまったとも書かれていた。この日は付近に工事用トラックが停まっていて、残念ながらこの絵を皆さんには紹介出来なかった。



 仙台坂を下る途中の右手に⑩韓国大使館があった。多くの警察官が配置されていてものものしい。昨今の日韓情勢が反映されている。実踏時に大使館を撮影していたら、職務質問されたくらいだ。「10月に麻布界隈の散策を予定していてね」と言ったら「それはどうもどうも」と、急に警察官の態度が変化したことがあった。

 ⑪の麻布山善福寺が今日のハイライトだった。墓所内には福沢諭吉の墓と越路吹雪の歌碑がある。皆さんの注目は“逆さいちょう”だった。ここにアメリカの初代公使館が置かれていたことを知った人は少なく、初代大使ハリスの碑の前で記念撮影。(写真:右写真は再掲。下は逆いちょう)



 続いて⑫の賢崇寺へ。入口から続く長い急な階段を見て上るのを躊躇う御仁もいたが、なんとか全員上り切った。ここは鍋島家の菩提寺で歴代藩主が祀られている。
 墓所の一番奥に「二十二士之墓」があった。真中さんの説明を聞いて初めて知ったのだが、2・26事件で処刑された将校など22人が眠っているそうな。国賊となり処刑された将校の墓所を引き受ける寺が全くなかった時にここの住職が引き受けてくれたとういう美談が伝えられている。




 懇親会「魚可津」への参加者は12名。散策途中から暖かくなり汗かくほどだったからビールが格別に美味しかった。無事終了しイベント担当の私はほっとしたのでありました。(写真:歓談する参加者)

 


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