マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

長岡花火(復興祈願フェニックス)

2019年08月08日 | 

 「びゅう」受付に行って観覧席券を受領すると「長岡まつり花火目録」なる冊子を渡された。この様な冊子、どの花火大会にもあるものだろうか?長岡花火独特のものか?不明にして知らない。右の写真の様にプログラムが記載されていて、打ち上げる花火の種類・名称・スポンサー名を時系列に並べた一覧表だ。



 放送でもこの内容が流れていたが、私には「さあ、いよいよ打ち上げです」だけが聞えてきた。パンフレットの内容は陽が落ちて、暗くなってくると読めなくなった。懐中電灯が必要だった。放送が聞こえなくても、パンフレットが読めなくても花火観賞に大きな影響はないが、少なくともパンフレットが見え、花火の名称が分かった方が味わい深く観覧出来たと思う。

 長岡花火では花火名称に色々な思いが込められているようだ。例えば7:20の「10号3発」の花火名称は「慰霊と平和への祈り
」であり、8:30の「正三尺玉3連発」には“慰霊・復興祈願・世界平和への祈り“が込められていた。なかでも8:15の「復興祈願花火フェニックス」の“フェニックス2019”は圧巻だった。(写真はフェニックス2019)
 

 

 2004年10月23日午後、マグニチュード6.8、震度7の新潟中越地震が発生した。新潟県のみならず甲信越地方全域が被害を受けた。長岡市の被害も甚大だった。多くの人が、2005年の長岡花火の開催は無理だろうと思っていた。しかし花火は上がったのだ。中越大震災の時に受けた世界中からの支援への感謝の気持ちを花火に込め、「震災復興祈願フェニックス」と名付けられて。このフェニックス花火は、被災者への大きな感動と勇気を与えたそうな。以来、花火大会では必ず“フェニックス〇〇〇〇”が打ち上げられ、今年が15回目だった。フェニックスの打ち上げが終わると大きな大きな拍手が起こり、会場は一体感に包まれた。


 長岡は江戸時代長岡藩の城下町として栄えたが、戊辰戦争と第2次世界大戦時の空襲(長岡空襲。死者1488名)の二度にわたって市の中心部は壊滅的被害を受けた。空襲被害は甲信越地方では最大規模だったとか。しかし、共に奇跡的に復興を遂げきた。中越地震は3度目の苦難だった。復興への祈願は自分達だけに向けられるのではなかった。2011フェニックスは東日本大震災で亡くなられた方への慰霊と復興祈願として、大会冒頭に超豪華なフェニックスが打ち上げられたそうだ。
 花火開催打ち切りの地方自治体が出始めているとの報道がなされている。長岡市民の花火大会への想いは強い。今回はその一端に触れることが出来たように思う。今年の人出は過去最高の104万人。
 今日から鳥海山へ行ってきます。更新は13日以降になりそうです。
 
 
 

 

 

 


長岡花火(その1)

2019年08月04日 | 

 長岡の花火を見に行こうと思っていた。今年の5月だったか、少し調べ始めた。この期間に使える青春18切符を利用し、長岡周辺で一泊して、東京⇔長岡を往復すれば安上がりで行けるかなと考えた。東京・長岡間は約270Kmの距離なので列車を何本か乗り継げば目的地との往復は可能そうだった。しかし、8月3日(土)に現地付近の宿は何処も空き室は無かった。全く、出遅れていたのだ。
 そこで、あれこれ比較検討したが、最終的にはJR東日本の商品「びゅう」購入を決めた。

 ネットで申し込むと「往復の乗車券+新幹線特急券」と花火観賞席がセットが送られて来た。帰りの新幹線は時刻表には載っていないもので「びゅう」特別仕立ての貸し切り新幹線で、長岡始発22時14分。この列車がミソだった。






 8月3日(土)の行程
 上野7:56⇒(新幹線)⇒長岡⇒(バス)⇒新潟県立博物館→馬高縄文館⇒(バス)⇒長岡→花火会場→長岡22:14⇒(新幹線)⇒上野  (赤字部分が「びゅう」から購入のもの)
 赤字以外は全くフリーなので、その間をどう過ごそうか調べ、火炎土器で有名な馬高縄文館などを訪ねた後、16時に会場到着。物凄い暑さの中を、信濃川右岸に設定された観覧席で3時間待つと、19時20分漸く最初の花火が上がった。(写真は長生橋を利用したナイアガラ)
   
 
 今までに観た花火と比較してダントツの迫力で、豪快で、華麗に満ちた花火だった。色鮮やかだった。特に打ち上げの音響が凄かった。打ち上げ場所は主として信濃川左岸の、長生橋と大手大橋の間。観覧場所は左岸と右岸に設けられていた。私達「びゅう」席は右岸の長生橋付近で、打ち上げられる花火は上空真上に見えた。
(三脚使用不可でもあり、花火の写真が上手く撮影出来ていない。今回は主として録画を撮り、ビデオからから写真を抽出した。下図は会場図)



 
 
 
  


肋骨にヒビが入ってしまった

2019年08月04日 | 身辺雑記

 昨日の8月3日(土)、長岡花火を日帰りで楽しんで来た。その一部始終を綴りたいのだ、今日のブログは、まずは、前日に起こったアクシデントの方から書き始めねばならないかな・・・。(写真だけは今日に)
 実は前日の2日(金)、私はグリーンコートの階段で躓いて落下し、転びはしなかったが手摺に腹部を強打し、右の肋骨が痛んだ。なんということもない階段での事故。暑さでぼうっとしていたのかも知れない。高齢故脚力が弱って来ていたのかも知れない。単なる不注意・油断か。
 兎に角、整形外科へ行ってレントゲン写真を撮ってもらった。結果は肋骨の一本にヒビが入ったとの診断。とすると夏に予定している幾つかの旅行は中止しなければならない。私「明日、長岡へ花火を見に行く予定ですが、駄目ですよね」。ドクター「構いませんよ。行ってらっしゃい」。もう一つ恐る恐る聞いた「8日から山に行く予定ですが、こちらはまずいですよね」。ドクター「ゴルフのような患部を動かすのはダメですが、山はそうじゃないでしょう。気を付けていってらっしゃい」という訳で、両方ともゴーサインが出た。シップを張られ、サポーターを巻かれ、これを2週間続けますと言われ、シップ薬の処方箋を貰い、薬局に寄って帰って来た。
 まずはホッとしたが、ラジオ体操やボーリングは患部を動かすことになるかなと考えこちらは暫く休むことにした。山へは行けてラジオ体操には行かれない、ちょっと考えると変な感じがするが、ドクターの意向に沿った、私なりの判断。
 


元山からの引揚げ 少女は11歳

2019年08月02日 | 学び舎

 ”バックギャモン”は先送りします。
 7月29日(火)の「お話会」に用事があり私は出席出来なかった。参加した妻はその内容を纏めていた。それを以下に掲げる。

 《今回のお話会、語り手は伊藤さん、元山は38度線の向こう、訪ねるすべはない。
 伊藤さんは、南北分断の歴史を憂い、昨今の日韓関係を、「1番近い国」のことを、もっと考えなければと述べられる。欧米人に対する考え・態度とは、全く違うとも。
 伊藤さんのお話は2回目なので、前回も含めてご紹介する。

 少女の一家は、朝鮮生まれの朝鮮育ちだった。敗戦後、「内地」へ帰ることになる。それから、翌年5月末まで、帰国の日を待つ。中国人・朝鮮人は親切だった。近くの中国領事館の運動会、朝鮮の華やかな結婚式、にも招いてくれた。日本人が行くと危ないからと、買い物もしてくれた。男は皆出征していたから、祖母・母・叔母達は、衣類を売って食いつないだ。よく言われることだが、囚人が多かったというソ連兵の、女性達への暴行は激しく、もっと北にいた22歳の若い叔母は、金日成軍兵士に助けられ、少女の家にたどり着いた。(やっと着いたのに、生き残った幼い従妹はすぐに亡くなる。その子の火葬の記憶は忘れない) 少女は5年生、母は「子どもでよかった」と言ったが、6年生の美少女はレイプされ、お母さん共々死んだ。
 そんなソ連兵なのに、行進中の合唱はすばらしく、ロシア語で覚えた。後年、「うたごえ喫茶」で、それらが、「ともしび」や「トロイカ」「カチューシャ」だったと知ることになる。

 1946年5月末、元山駅から貨車で38度線突破の、2回目の決行。途中「水商売の人」の犠牲による、ソ連兵の「マダム、ダワイ」まであった。
 そして38度線間近の鉄原駅から、真夜中・雨中の突破だった。すぐにアメリカ軍のテントに収容される。にこやかで清潔なアメリカ兵、コンビーフ・白いんげんの缶詰、チョコレート、全身かけられた白い粉・DDT。テントには1~2日で、船で釜山、列車で木浦へ、そこから引揚げ船興安丸。北朝鮮に在住していた人達は30万人もいたそうだが、それにしても満州の155万人は桁外れだ。

 玄界灘を渡ればすぐに博多なのに、腸チフス患者の多発、引揚げ者の殺到等で、博多にも下関にも仙崎にも上陸できない。船は鹿児島南端をまわり宮崎の沖から太平洋を北上、潮岬で座礁したりして、1週間もかかって、三浦半島まで。そこでまた1週間、陸軍病院で診察後、列車で、祖父の実家萩に着いたのは、元山出発から3ヶ月経っていた。

 少女は、ソ連兵の襲撃・暴行から、戦争に負けるとはこういうことだ、と知った。同時に、黒パンをくれたソ連兵のやさしさや、ロシアの歌の美しさもあったのだった。
 敗戦後も、元山の朝鮮人や中国人はやさしく親切だった。そういう体験を持つ彼女は、今の日本人の言動に納得がいかない。
 釜山から木浦への途中のこと。すれ違ったアメリカ兵の貨車から日本人に投げられたチョコレート、ガム、缶詰。列車から飛び降り、われがちに拾う日本人。母まで腰をうかし、少女は必死で止めた。頑固だったとあきれた母だが、少女には、敗戦を終戦と言いつくろう大人への不信感の芽生えだった》

 今日の一葉:富士神社の朝。夜は盆踊りが行われる