2022.10.17 ニオ積みと脱穀機
農作業支援で初めて小豆の脱穀をした。
若いNさんはいろいろあって一人で農場を回している。
亡くなった父親の後を急遽継いで、昔ながらの手作業中心で頑張っている。
以前に行った馬鈴薯の収穫はコンバインを使わずに掘り起こしたイモを手拾いする方式だった。
膝を折ってプラスチックのコンテナに入れてゆく作業は結構キツイ。
小規模経営だが外部からの作業支援が頼りだ。
小豆はこの辺りでは殆ど作られていない。
Nさんはもうあまり見られなくなった刈り倒した作物を小さな山のように〝ニオ積み〟して乾燥したものを脱穀する方法である。
〝ニオ積み〟はコツがあるらしく初心者には難しいようだ。いずれ機会があったら挑戦だ。
今回は3日間の作業予定であったが、2日目にトラクター牽引式の脱穀機が不調になり、農協整備センターへ〝ドック入り〟のために午前中に掃除をして終了した。
3日目の今日は人参もキャベツも収穫には少し早く、農作業支援は中止になった。
脱穀機は2戸共同利用で平成2年度の補助事業で導入したものだから30年以上も使っている。
大事に使っていることに感心する。
学生時代を過ごした十勝・帯広は小豆の日本一の産地だった。
秋晴れが続く頃、大学の傍の畑にも茶色く乾燥したニオ積みの小山がお灸の藻草のように点々と広がっていた。
夜陰に乗じてこれを失敬してくることを寮生は〝アタック〟と称し、農家の人達も学生の茶目っ気として容認していた。
期末試験の時には寮の食堂で「ガンバリ汁粉会」なるものが開催されていたが、時代とともに市販のさらし餡になった。
戦後の食糧難の時代の伝統?がまだ残る古き良き時代を小豆の作業をしながら想い出していた。
世の中、世知辛く余裕が無くなった。