「官僚冬の時代」という言葉があった。財政難が顕著になり、国家予算にシーリングという手法が採り入れられ始めた40年くらい前のことだ。
新たな行政需要にどう対応するかよりも、当時の大蔵省が指示する予算の削減を如何に実現するかという後ろ向きの仕事が役人の評価の対象になった。嫌気が差した霞ヶ関の官僚が次々に政界、民間へと転身した時代の言葉だった。
政府の支離滅裂で無責任なコロナ対策が止まらない。〝安倍一強の経産省官邸〟が国家の危機管理という重大局面で一気に馬脚を現したが、霞ヶ関官僚の疲弊も根っこにあるように思う。
官邸に人事で首根っこを抑えられ、自立性を失っていることに各省の実働部隊の職員はやる気を無くし、余計なことをして睨まれるより、言われたことだけやっていれば良いという消極的な考えに立ってもおかしくない。
もともと日本の公務員はアメリカ、ヨーロッパ主要国と比べて決して多くはない。加えて、安倍内閣の一連の疑惑、不祥事の過酷な対応で心身に不調を来たした戦線離脱者の増加でマンパワーの疲弊にさらに拍車をかけているのではないか。
その結果、官邸から次々に下りてくる「思いつき政策」と「誤魔化しの国会対応」に以前にも増して日夜忙殺され、“仕事は外注”され、〝やっつけ仕事〟の山が築かれいるのが今の実態のように思えてならない。
“Go Toキャンペーン”の惨状はなるべくしてなったと考えれば行政だけを攻められない。経産官邸は頬被りしたままで尻拭いは担当省が矢面に立っている。これでは省庁のヤル気の喪失という悪循環が繰り返される。
最近、霞ヶ関志望者の激減、若手職員の転出、心身の病の発症が多いと言われている。新たな「官僚冬の時代」の到来だ。政治を正常化させないと行政組織も正常化せず、コロナ禍も拡大する。結局は国民が損害を被る。考えなければならない深刻な問題が発生していると思う。