2月6日の夕方、東京からの帰りに新千歳空港で携帯電話を開くと横路孝弘氏死去の速報が入っていた。
3日に都内で亡くなられていたとのこと、享年83才は若いと思った。
国会議員は退いていたが、今こそ人権派でリベラルな政治家の重しが社会に必要であった。
ご冥福をお祈り申し上げる。
家に戻って、30年前に知事公館で撮った古いツーシヨツト写真を眺めた。
横路氏は北海道知事に当選してから道内各地を精力的に回るとともに、庁内各課の担当者とも政策の推進や課題について数年に亘って意見交換を続けていた。
写真はその時のもので二人とも若い!
道に就職した時は堂垣内尚弘知事、10年ほど経って横路知事、後継の堀達也知事と続いて、退職が近づいた50才代半ばで高橋はるみ知事に代わった。
思えば〝革新系知事〟が長い道職員生活だった。
知事選出馬に慎重だった横路孝弘氏を担ぎ出したのは元・日大全共闘の田村正敏氏らが呼びかけた〝横路孝弘と勝手に連合する若者の会〟だった。
職場で全道庁労働組合員はイニシアルのYを象ったバッジを付けていたものだった。
住んでいた職員アパート界隈に本人が乗った選挙カーが廻って来た日のことが今でも鮮明に思い出される。
夕闇の中に明かりが灯るベランダから沢山の手が大きく振られていて、これは勝つのではないかと予感した。投票日前日のことだった。
職場の飲み会で当時の課長が「当選が決まった朝は辞表を懐に家を出た。」と語ったことがあった。
保革対決が激しい時代だったが、勿論、幹部職員の交代は無く、「静かな船出」と言われた。
『新・開拓時代』。
横路知事が議場での就任演説で、傍聴席まで満席の職員を前に発した言葉だった。
一村一品、宇宙産業、次世代エネルギーなど5本~6本だったか、新しい北海道の創造に向けた政策方針の柱を示し、職員の協力を呼びかけた。
『新・開拓時代』の冊子はコピーされ、各課で先を争うように読まれた。
農業関係では十勝圏での食料コンビナート基地建設構想があった。
小麦や馬鈴薯、玉葱、畜産物など、大量に生産される道産農産物の物流と加工の基地を整備し、付加価値を付けようという取り組みだった。
安全・安心という価値も加えて、様々な形で受け継がれていると思う。
議会答弁の〝摺り合わせ〟が慣例化したり、予算編成で自民党の要望をほぼ飲んで財政負担の増加が始まったり、十年以上に亘って、給料天引きで負債90億円を返済した「食の祭典」や「新北海道長期計画」を巡る一部職員の汚職などの負の遺産もあったりしたが、新年の挨拶でよく茨木のり子さんの詩を引用して、自立することの大切さを呼びかけていたのが印象的だ。
人口、経済、物流などを北海道というエリアの出入で捉えた「域際収支」という概念は斬新だった。
今年の4月には所謂〝保・革〟による知事選が行われる。
財源も無いから仕方のないことかもしれないが、国をなぞるような失点の無い安全運転行政が続くのなら〝保・革〟のどちらが知事になっても同じではないか。
候補者は夢のある〝自立した北海道〟を語って欲しいものだ。
横路氏の死去に思う。
「北海道百年記念塔」(1970年建設)
総工費5億円の半分は道民の寄付だった。解体されるのは寂しい。