2019年12月28日の九州交響楽団の久留米公演(現田茂夫指揮)は、ベートーベンの交響曲第九番が日本で初めて市民を前に演奏された1919年12月3日から数えて100年目の記念すべき演奏会だった。
数年前、NHKラジオの特集番組で知った。
100年前に演奏したのは「久留米俘虜(捕虜)収容所」のドイツ兵47人、会場は当時の久留米高等女学校だった。
因みに、日本で初めて〝第九〟が演奏されたのはこの1年前の1918年6月1日、徳島県の鳴門市にあった「板東俘虜収容所」の中だった。
当時、収容所ではハーグ条約によって、捕虜の人権と自主性が尊重された運営が行われていて、吹奏楽、合唱、オーケストラなどのサークルが活発だったという。
1914年に勃発した第一次世界大戦で、日本は当時ドイツの租借地だった中国の青島を攻略し、敗れたドイツ兵約5,000人が日本各地12箇所の俘虜収容所に送られ、久留米には約1,400人、徳島には約1,000人が収容されていた。
オーケストラの楽器は青島から持ち込んだもの、水瓶に皮を張ったティンパニーなどの手作りしたものが使われた。
久留米では戦争終結でドイツ兵が祖国に帰るにあたり「お別れコンサート」が開かれた。
高等女学校の生徒の剣舞の披露の後に〝第九〟が演奏され、女子生徒がシューベルトのセレナードの楽譜を持参して演奏をリクエストし、ドイツ兵が驚いたというエピソードが残っている。
ドイツ兵捕虜は〝第九〟とともに沢山の宝物を日本に残してくれた。
徳島では「ドイツ橋」と呼ばれるメガネ橋を造り、「ドイツ菓子とパン」の製造技術が地元の店に伝承された。昔、車で徳島を通ったことがあったが見逃したのは残念だ。
久留米ではローマイヤー株式会社(本社;栃木県)が今に受け継いでいるヤギシタの「豚のロースハム」「ソーセージ」の技術が伝えられ、帝国ホテルにも伝わったという。
1925年には銀座に『レストラン ローマイヤー』が出店された。
そしたまた、久留米と言えば〝ブリジストン〟だが、ゴムの配合などの加工技術を教えたのはドイツ兵捕虜だった。
指揮者の現田茂夫氏は演奏に当たり、「〝第九〟は、人はすべて兄弟である」と唱っていると語っている。
今、世界の各地で争いが起き、戦争捕虜とその家族は悲惨で残酷な扱いを受けている。
一年も早く、平和が訪れて欲しい。
戦争は絶対にあってはならないが、捕虜収容所にまだ人道的な良心があった時代の秘話と〝第九〟が重なる年末だ。