季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

東ドイツ 2

2017年12月17日 | その他
東ドイツに旅した時は非常に緊張した。ワイマールやアイゼナハのホテルに泊まる際にはパスポートを預けなければならなかった。

僕は一度夜行列車で国境を越える時パスポートを盗まれたことがあり、外国でパスポートを手放すことの不安定さには敏感になっていた。それが理由も分からずに(分かるはずがない。それが規則だというからには従うしかないのだ)見ず知らずの人に預ける。これには緊張した。

旅の楽しみの1つは夜の町を散策することだろう。ドイツでは特にそれを感じた。

しかし東ドイツの旅行中は気味が悪くてとてもそんな気持ちになれなかった。ホテルへの道は当然メインストリートなのだが、人の気配もない。

薄暗い街灯に照らされて人影がある。ところがそれは彫像のように動かない。近づくにつれそれは軍服姿の男だと知る。そう、夜の街にいるのは警官と軍服姿の男だけなのである。

そのようなところでパスポート無しで散策するような無謀な行動は子供の時からやんちゃで鳴らした僕と雖もできかねた。

以前にも書いたが当時は東西ドイツで通貨レートが(表向きは一対一だが)大きく違った。そこで西ドイツマルクを欲しい人は密かに交換を持ち掛けてきた。バッハの生家で受付のおばさんから頼まれたこともある。

これがまた油断は禁物。おとり捜査だったりしたのである。知人にも理由はよく知らないが捕まった人がいる。本人はドイツ語が殆ど分からぬままウッカリ交換したらしいが警察で随分絞られたそうだ。

マイセンでエルベ川の河原に駐車して休憩を取った時のこと。何処から現れたか子供達7、8人がやって来た。

口々にスーパーカーだ!と僕のボロ車を覗き込む。ありふれたハッチバックですよ。日本では外車になるが。

なるほど東ドイツの当時ではスーパーカーだと言われても納得ではあった。当時の東ドイツにはトラバントというオモチャのような車があるだけで、それを手に入れるのに誕生と同時に申請しないとならぬ程待つらしかった。

やって来た子供達の目についたのは車中にあるビニール袋だった。ワォといった感じで見るのだ。これもまた無理がない。1枚数十円といった値で売っているのに、僕らは無造作にゴミ入れ用に何枚も放り投げていたのだから。

1人1枚ずつあげた時には心底から喜んでくれた。記念写真を撮ってしばし歓談したが、年長者が「もう行こう、警察に叱られるかもしれない!」と言い全員が風のように走り去ったのが忘れられない。

続きを書くかもしれないが。

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