e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

木製仮面に眉毛あり

2010年08月27日 | 県内
今朝から纒向遺跡から出土した“木製仮面”を見に行った。

展示されているのは“桜井市立埋蔵文化財センター”。

ちょうど大神神社の大鳥居のすぐ北西にある建物。


もっと凄い人なのかと思っていたのだが、それほどでもない。


大阪から来たという70位の男性二人は、箸墓への行き方と

お勧めの昼食場所を館員に聞いていた。

60半ばのご夫婦は、このあと安倍文殊院に寄って帰られるのだとか。

私より少し年配に見える女性は、一人旅の学者さんか記者さん?

旅行鞄を床に置き、難しそうな顔をして何も語らずに展示品を見ておられた。


そこへ発掘現場で働いていると思える方々5名ほどが入って来て、木製仮面の前で

「ええもん見つけてよかったわ・・・ これで思い残すことないなぁ・・・」

「あんなんあるのん 初めから分かったってんで。見えてたもん」

「ようけいろんなん かたまってあったもんなぁ・・・」

etc・・・


私が仮面を見て驚いたのは、

この木製仮面に線刻により、太い眉毛が表現されていたこと。

それと鼻孔もちゃんとあったこと。

古代人の美的感覚は本当に素晴らしかった!

※写真撮影が可能だったことにも驚きました。


案山子路

2010年08月27日 | 県内
“もうこの森”からの帰り、少し寄り道をして石舞台古墳を南へ。


目的は稲渕の棚田にある“案山子路(かかしロード)”。


彼岸花の開花にはまだ少し早く、残念・・・


しかし、棚田の農道に沿ってたくさんの案山子が私を迎えてくれた。


第12回明日香神奈備かかしコンテストが開催中だったのだ。


【趣旨】


明日香のお米と農村風景を守ってきた「かかし」。
この風景を後世に残していくためには、明日香で生まれ育った人や明日香を愛する人々が主体となって取り組むことが何よりも大切です。
その一環として、田んぼの風景の象徴である「かかし」を広く募集し、展示することで、明日香らしい田園風景を醸し出すのです。


【応募方法】


 ●かかしは、今年のテーマ『元気』にそったものを作成すること。
 ●たて・よこ2m、重さ20kgまで。
 ●応募は、1人1体。
 ●かかしと、必要事項を記入した応募用紙(こちらから郵送いたします)を、
  8月26日(日)午前9時から正午までに、稲渕の棚田ハウスにご持参ください。
 ●原則として、応募作品は返却しません。       


 【かかしの展示・入賞の発表】


 ●8月26日(日)より11月下旬まで、稲渕のかかしロードで展示します。
 ●コンテストは、彼岸花祭り9月23日(日)の来客の投票により各賞を決定し、当日3時過ぎに発表します。
 ●他のコンテストでの入賞作品は、審査対象から外させていただきます。


【賞】
 最優秀賞  1本 ・・・ 賞品:明日香稲渕棚田新米(玄米)30kg
 優 秀 賞   3本 ・・・ 賞品:       〃         20kg
 特 別 賞   1本 ・・・ 賞品:       〃         10kg
 佳   作  10本 ・・・ 賞品:       〃          5kg
  ※応募者全員に参加賞があります。


もののけの森で

2010年08月27日 | 県内
レイボーガーネットを一目見たくて入ってしまった“もののけの森”。


たった一人で深山に入ったのは、何年ぶりのことだろう?


昔は単独行“加藤文太郎”に憧れ、何度も一人で山に登ったものだ。


あの日、私を受け入れてくれた“もののけの森は、


はじめは静かすぎるくらいに静かだった・・・


出会った人は、谷への入り口の川でフライフィッシングを楽しんでいた釣り人2人だけ。

その後、それらしい場所でレインボーガーネットを探すも見つからず・・・


目の前の光景は無残、木の根を切りその下の土まで抉って掘られた穴、


表土がすべて剥ぎ取られた岩など。


まさに“兵どもが夢のあと”・・・


遅い昼食を食べていると、山斜面上部で何かの気配?


そして私の右3mくらいのところに拳大の石がバウンドしながら落下してきた。


私は周囲の気配に神経を尖らせた。


さらに同じ場所から2~3個の落石が続く。


道路横で見た「熊に注意!」の看板が頭の中を過ぎった。


今度は私の左側にも落石。


私は帰り支度を急ぎ下山をはじめた。


しばらく下ると涸れた谷筋というか道?に柘榴石らしき鉱物を見た。


それは当麻寺から二上山への登山道で見た柘榴石の赤い色とは少し違って薄い色。


足を止め、今下りてきた道を振り返ると、やや西に傾きかけた太陽からの木漏れ日で、地表の鉱物のいくつかが虹色に輝いているのが美しかった・・・






































もののけの森へ

2010年08月27日 | 県内
県内の鉱物についてインターネットで調べていたら、不思議な文に出会った。

その方が言うには

映画『もののけ姫』の舞台は奈良・吉野だというのだ。

・ 大和朝廷に滅ぼされたのは蝦夷だけではない。

  他の氏族や部族も・・・

・ 神々の住む山は大峰山である。

・ “アシタカ”という苗字は奈良・葛城の地域に多い。

・ 吉野の天川周辺で鉄鉱石を産出する。

・ 「シシ神」は大台ケ原の伝説「いっぽんだたら」だ。

・ もののけ姫の山犬はニホンオオカミ。

  ニホンオオカミが最後に捕獲されたのは東吉野。


私はこのブログを読んでからレインボーガーネット探しに出かけたのだ。


尋ねた森はまさに“もののけの森”に見えた。


レインボーガーネットを探していると、山斜面の上部で何かの気配?

すると、私を狙ったかのように上から拳大の石が続けて何個も落ちてきた・・・































レインボーガーネット

2010年08月27日 | 県内
最近、辰砂をはじめ鉱物に少し興味がある。



そんなある日、インターネットで県内の鉱物を検索していたら、“レインボーガーネット”の美しい写真を見かけた。



レインボーガーネットについて調べてみると、



2005.8.2のasahi.comにこうあった。



“世界的に珍しい鉱物レインボーガーネットが奈良県で見つかった。メキシコ産が宝石として流通していたが、産出が止まったらしく、ここ10年ほど市場から姿を消していた。見つかった日本産はメキシコ産に匹敵する質の良さといい、英文の専門誌「宝石と宝石学」05年夏号に報告される。



発見したのは、同県大和郡山市の会社員(31)ら鉱物愛好家グループ。昨年9月、古くからガーネットの産地として知られている天川村で、レインボーガーネットらしい石を見つけ、付近を探索して鉱脈を突き止めた。



 レインボーガーネットはガーネット(ザクロ石)の一種(灰鉄ザクロ石)のさらに特殊なもの。薄い膜状構造のため光の干渉で七色の虹などの複雑な色が見える。



 世界数カ所でしか見つかっておらず、大量に産出したのはメキシコだけだ。天川村産の一部は研磨、カットされ、宝石として出回り始めている。



 うわさを聞いた愛好家や業者が4月以降、急に増えた。天川村役場と奈良県警中吉野署は6月中旬、鉱物などを無断採取しないよう求める札を付近の木に掲げたが、すでに地表近くの石はほとんど拾いつくされている。”

吉野でこんな美しい石が採れてたって知らんかった・・・



こんな記事を読んだら、レインボーガーネットのかけらを一目見たいと思うやんか!



ネットではおおよその場所しか分からない。



山の空気を吸いたくなって、吉野山中へ行ってみることにした。



キーワードは“行者還岳”だ!

「写真;行者還岳」


高見山

2010年08月26日 | 県内
先週末で今年度の私の仕事もおおよそ一区切り。

自分自身の“リセットボタン”を押さないと、

来年度の仕事に移れそうにない。

そんな時、私は無性に冷たい空気を肺一杯吸いたくなってしまうのだ。

サウナに行って水風呂に浸かるのもよいのだが、

昔懐かしお山のテッペンに登って、

脳みそ含め、身体の芯まで冷却させたいと思ってしまう。

それなら目指すは関西のマッターホルン“高見山”。

運がよければ樹氷も見れる!

今回は山頂で何を食べようかな? 

飲み物は既にいつものに決まってる。


吾妹子を いざ見の山を高みかも 大和の見えぬ国遠みかも                         万葉集 石上大臣

きくがごと まこと高見の山なれば わが里見せよ雲居なりとも                         紀見のめぐみ 本居宣長

奈良のビニール鹿

2010年08月26日 | 県内
東大寺への参道の土産物店で、


“奈良のビニール鹿”を見た。


ビニール製で空気を入れて膨らませ、ひもで引っ張る懐かしいグッズ。


私が小さかった頃、奈良公園でこのビニールの鹿を買ってもらい、


紐をつけて引っ張っている写真をアルバムで見たことがある。


たしかその頃の写真は白黒だったと思う。


あのビニール鹿は何色だったのだろう?


青色だったような気がするのだが、


自信はない。


あのアルバムは、今どこにあるのだろうか?


長い間、見ていない。


昔の記憶はモノクロームなのかもしれない・・・


大和の国見

2010年08月26日 | 県内
大和の盆地の周辺には“国見”や“鳥見”、“高見”と

よばれる地名が残っています。



多くは“山”の名前になっている場合が多いのです。



きっと神武天皇が熊野地方から大和の地を目指されたことに



関係しているのだと思うのですが、



昨日は都合で小高い場所から“大和の国見”をしてきました。



写真は奈良盆地南東部より北方向を写しています。



右端が三輪、その左に盆地に浮かぶようにある緑の島は“箸墓”、



山裾を奈良の都へ通じているのが“山辺の道”



天気が良ければ天理の町やシャープの研究所がその向こうに見え



さらに遥か彼方に奈良の都や“三笠の山”がうっすらと・・・



冬はここから“若草山の山焼き”が



夏は“おんぱらさんの花火大会”が見えるのです。




久米仙人

2010年08月26日 | 県内

先日の大とんどは“役行者”のお寺で行われたのだが、


“仙人”と聞けば“久米仙人”を連想する。


“久米仙人”は・・・私が憧れる人物。


どこにって聞かれると・・・彼の人間性?


“久米仙人”は、徒然草にも登場するそうだが


彼は久米のお寺に百余年も住んでいたという仙人で、


吉野の龍門ケ岳で修行し神通力を身につけ空を飛べるようになったという。

ある日いつものように雲を集めてそれに乗って逍遥していたところ、


下を見ると吉野川で若い女性が洗濯をしていた。


彼はその太股の白さに目が眩んで神通力を失い


雲から落ちてしまったのだという。


その後仙人はその女性と仲良く暮らしたのだとか・・・


私も雲を集めて空を飛んでみたいものだ。

「写真;久米寺」
























お綱祭り

2010年08月26日 | 県内
この日曜日から大相撲が始まった。


親父はTVの前で、ず~っと酒を飲みながら


何やらブツブツ言いながら応援している。


昔はよく「間近で本物観て見たい・・・」と言っていたので、


「今度の大阪場所、チケット買って観に行こか?」って誘ってみたのだが、

「テレビの方がよう見えるし、ゆっくりしてられる・・・」と断る。


親父も歳をとったなぁ~と思いながら、


親孝行が遅くなってしまい、


大相撲観戦が実現出来ないことに自分の不甲斐なさを感じ・・・


私も横に座ってTV観戦しながら酒を飲んでいた。




去年の3月、私は大阪・平野の東関部屋を見学し、ちゃんこをよばれサインも貰った。


その後、府立体育館へ移動し大相撲を初めて観戦したのだ。懐かしい・・・


お~い相撲レスラー! 元気にしてるか?


でも、最近の大相撲・・・あまり楽しくない・・・


それならこの(写真の)相撲の方が楽しそうじゃないか・・・


「写真;お綱祭り」


忘年会に入鹿

2010年08月26日 | 県内
先日のこと、N県今井町(中世の自治都市)の北側の伊勢街道を

西へと歩いていると、石でできた道標が目に入った。


年に何度も車で通る道ではあるが、歩いてみるといつもと違うものが発見できる。


こんな所に江戸時代の道標が・・・と思ってよく見ると


“蘇我入鹿”という文字が刻まれているではないか!


興味が湧いてきて示す方に歩くと木立の中に“入鹿神社”があった。

勿論、“蘇我入鹿”をお祀りしているとのこと。


今まで、“入鹿”と聞くと、100%悪者のイメージで捉えてしまっていたのでが、よく考えてみると特に悪いところが見つかる訳ではない・・・


伊勢街道の近くに祀られているのだから、


江戸時代、京や大阪からお伊勢さんにお参りした多くの人たちも、


この神社で“入鹿”に手を合わせたに違いない。


何故その日、私が車に乗らずに歩いていたのか?・・・それは忘年会に行くため。


その日の酒は妙な酒・・・


入鹿と鎌足が交互に出てきてどっちが悪者かを言い合いしていた。


「写真;道標、入鹿神社」





























星に願いを

2010年08月26日 | 県内
昨日の午後、家の用事で家人と車で出掛けた。

昨日はクリスマスイブの日、殆ど全てのコンビニの駐車場では“着ぐるみのサンタ”がケーキを売っていた。

その様子を運転しながら眺めていると、あるコンビニの駐車場で“クマ”の着ぐるみを着てケーキを売っている店員を発見した。

私は思わず感動して「このコンビニ、クマがケーキ売ってるで!」と叫んだ。

助手席の家人は「何言うてんの。トナカイやんか!角もあったし・・・クリスマスにクマってあるわけないやろう・・・」と返してきた。

私はクマだと信じ込んでいたので

「何でやねん!クリスマスにサンタやトナカイやったら目立たへんやろう。せやから絶対目立つようにクマやってんて。それにトナカイやったら、もっとスマートやろう・・・」と反論してから・・・

(トナカイも太ったらクマに見えるんかも知れへんなぁ~。俺もこの冬、これ以上太らんようにせなあかんなぁ~)と、心の中で呟いた・・・

その時ラジオから流れていた曲は“星に願いを”だった。

※一昨日、飛鳥・石舞台の近くでクマを目撃したという情報があったようです。

「写真;パリ・マドレーヌ寺院」



偶然の再会

2010年08月26日 | 県内
この夏のある日、○○という町の体育館内で、ある大会の手伝いをしていたら、


携帯電話が ブルブルと・・・


着信を見たら“O府のF氏”からだった。


(F氏とは 6年ほど前の茨城県筑波での研修で知り合い、同じ宿泊施設でお隣の部屋同士として、約40日間自宅を離れ研修生活を過ごした。研修後は会う機会もなく、電話で時折連絡をとるだけになっていた。)


電話にでると


F氏「久しぶり! 今、奈良の○○ってとこに来てるんやけど


   奈良に来たから 声聞こうって思って・・・ 今、何処にいてんの?」


私「偶然ですね! 私も○○の体育館の中にいるのですが・・・」


F氏「ホンマにぃ! 俺もその体育館の前のグランドにいてんねん!」


本当に偶然とは不思議なもので


二人は同じ運動公園内のグランドと体育館にいたのだ・・・


本当に6年ぶりの再会 懐かしい顔に会えた。


F氏も元気そうでヨカッタ・・・


「写真;奈良行きのJR列車」


マディソン郡の橋

2010年08月26日 | 県内
もう10年以上も前になるのか


“マディソン郡の橋”という映画がヒットした


私はこの映画を観ずにいたのだが 先日、古本屋でこの本に出会った。


中年の男女の愛・・・クリント・イーストウッドが監督・主演だった・・・


それぐらいの知識しか持っていなかった。


“マディソン郡の橋”の写真を見たくてインターネットで調べていると


「橋は人や物を対岸に渡すために建設されるから、喜びや悲しみも橋を渡る。そして、ある時にはローズマン・ブリッジのように、人が立ち止って人生の哀歓を振り返ることもあるのである。私も何十年かのち、その建設に深くかかわった明石海峡大橋のたもとから、明石海峡の流れの中に帰りたいものだと思っている。しかし、世界最大のこの橋は人間の感傷とは次元の異なるスケールであるため、そこで灰を撒いてもらっても絵にならない気がする。ちっぽけな1個人の終焉を見守るには、やはりマディソン郡の橋のようなカバードブリッジが良いようだ。」と言うコメントを発見した。
先日、神戸に行き明石海峡大橋を見ただけなので橋が瞼に浮かんでくるのだが・・・


我が家の近くにも“屋根付きの橋”があるのを思い出した。


ただこの橋にはクリント・イーストウッドは似合わないだろう・・・


「写真;談山神社の屋形橋」


菜摘

2010年08月25日 | 県内
先日、吉野山中を車で走っていると “菜摘”という集落があった。
その地名が妙に気にかかり 引き寄せられるかのように川にかかる橋の袂に車を止めた。車を止めた場所には解説板があり 以下のように書かれていた。
「吉野山の勝手神社の神職は、正月七日の神事に供える若菜を摘むために、女を菜摘川へつかわす。菜摘み女は帰ってくると神職に、一人の女から一日写経をして自分を供養して欲しいと頼まれたと伝えた。すると、たちまち先刻の女の霊が菜摘み女にのり移り、女の様子がガラリと変わる。
 神職が霊に名を尋ねると、静御前であることをほのめかす。女は宝物蔵に納められた昔の舞衣装を取り出させ、それをつけて舞い始める。すると、静の亡霊も同じ装束で現れる。
 そして、二人一体のように舞を舞い、後の回向[弔い]を頼んで、静の霊は去っていった。」
この村に伝わる静井戸は、菜摘の西生寺にある。静御前は、長らく村国民氏の家に逗留していたが、義経奥州落ちのあと、井戸にはまって死んだ。その妄念のためか、夜々火玉となって井戸からでること300年に及んだ。飯貝村で諸人を化益していた蓮如上人に頼んだら、静の振り袖に南無阿弥陀仏と書いて、七日の間追福の法会があり、七日目に静は村人の夢枕に立ち、迷いの門出をしたという。
不思議なことに その解説板と橋の欄干とのあいだに 
大きな蜘蛛が巣を張っていた。  
ひょっとして・・・あの蜘蛛は静御前だったのかも?

※菜摘川は謡曲「国栖」にも登場する。
反乱のため天武天皇は供奉の者を伴って都をのがれ、吉野の菜摘川に来る。川岸にいた老人夫婦が天皇を隠して助け、夜ふけに消え失せる。やがて天女と、次いで蔵王権現が現われ、天皇を助けるという話。

「写真;菜摘川」