昨日は,平安神宮で見た“左近の桜”。
TVは“冬のサクラ”最終回やったけど・・・
そしたら,今日は“右近の橘”。
@右近橘(うこんのたちばな)
右近橘は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右にあった橘の樹。
左近桜に相対した。
『天暦御記』によれば、もとは秦河勝の宅にあったのを、内裏建造の際に紫宸殿があたかも宅の故地に相当するから、旧によってこれを植えたもので、天徳年間(957年-961年)まであったという。
『日本紀略』によれば、天徳3年(959年)12月7日あらたに橘樹1本、高さ1丈2尺を植え替え、これは東三条殿の樹で、勅命によった。
のちに、皇居の炎上その他でしばしば植え替えが行なわれたが、里内裏のさいにもまたこれを植え替える例となった。
橘を植えるのは、秦河勝宅地の縁だけではなくて、橘が古くから「トキジクノカクノコノミ」といわれ、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重されたからでもあるともいう。
現在の京都御所にも古式に則って再建されたものが伝わっている。
TVは“冬のサクラ”最終回やったけど・・・
そしたら,今日は“右近の橘”。
@右近橘(うこんのたちばな)
右近橘は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右にあった橘の樹。
左近桜に相対した。
『天暦御記』によれば、もとは秦河勝の宅にあったのを、内裏建造の際に紫宸殿があたかも宅の故地に相当するから、旧によってこれを植えたもので、天徳年間(957年-961年)まであったという。
『日本紀略』によれば、天徳3年(959年)12月7日あらたに橘樹1本、高さ1丈2尺を植え替え、これは東三条殿の樹で、勅命によった。
のちに、皇居の炎上その他でしばしば植え替えが行なわれたが、里内裏のさいにもまたこれを植え替える例となった。
橘を植えるのは、秦河勝宅地の縁だけではなくて、橘が古くから「トキジクノカクノコノミ」といわれ、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重されたからでもあるともいう。
現在の京都御所にも古式に則って再建されたものが伝わっている。
興福寺南円堂の前にもあります。
平安神宮では黄色い実が成っていました。
それに,“右近の橘”は小屋に入っていたのです。
霜除け? 鳥除け?・・・
年末でしたか,“右近の橘”を北葛城郡河合町の廣瀬神社でも見ました。
私の記憶では,少し平安神宮のと実の形が違ってたんですが???