e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

大和豊年 米食わず

2010年08月30日 | 読書
明日,田植えなので,奈良盆地に多い「ため池」のことをブログに書こうと,ネット検索してたら,高校時代の恩師の文に出会った。

恩師には,部活顧問としていろいろお世話になった。

高校1年では,夏山合宿で剣岳・立山に同行してくださった。

高校2年の3月,奥吉野の山(弥山→大峰山;奥駆道)に登って突然の豪雪に遭ったとき,先生は心配して山麓まで来て下さった。

恩師は高校を退職後,県内の大学で教えておられたのだ 。

今日は,恩師の文を載せようと思う。

【ため池のある風景-それは大和の風物詩の一つでもあり ます。海なし県の大和で、満々と水を蓄えたため池の水面に、こもりくの青垣の山々がその影をおとす光景は潤いのある癒しの空間を演出しています。

ご承知のとおり、奈良盆地では古くから米作りが盛んに行われてきましたが、元来、米作りには豊富な日照と灌漑用水が欠かせません。米作りに必要な降水量は1800ミリ以上といわれますが、寡雨地帯である瀬戸内気候帯の東端に位置する奈良盆地では1300ミリ程度しかなく、恒常的に灌漑用水は不足している訳です。

「大和豊年 米食わず」という諺がありますが、これは大和で米作りに必要な降水量が確保できて豊作となった年は、大和以外の土地では雨が多すぎて洪水等の被害をうけ凶作になるという意味です。また「日照り一番 水 つき一番」とも言われてきましたが、これは奈良盆地の河川が最終的にはすべて大和川一本に集水されるため、盆地内の各河川が合流する地域では河川の氾濫によって頻繁に洪水が発生したこと、加えて盆地内のいわゆる外水河川が形成する天井川の堤防がたびたび決壊して「水つき」をひき起こしたことを表す言い伝えです。早魃(日照り)と洪水(水つき)が大和の農民を苦しめてきたということですね。人々はこうした水とのたたかいの中で営々と米作りを続けてきた訳ですが、水不足を大きく支えてきたのがため池です。

奈良盆地とその周辺の山麓には、かつて一万三千余個のため池がありました。古くは「古事記」や「日本書紀」等にもすでに十数個のため池の存在が記されていますが、その多くは江戸時代から明治期にかけて築造されています。そのため池は概ね次の二つのタイプに分けられます。

一つは山麓の谷頭に堤防を築いて貯水するタイプで、古くは橿原市の益田池(廃池)、新しくは桜井市の倉橋のため池や天理市の白川池のような大規模なものもありますが、馬見丘陵や盆地周辺の山麓に多く分布するいわゆる「坪池」と言われる小規模なため池群です。いま一つは、条里制地割に基づいて作られたと考えられる国中(くんなか)に卓越して分布するため池で、奈良市南部の広大寺池や田原本町の唐古池のような大規模なため池もありますが、その多くは一ヘクタール前後の水深の浅い「皿池」と呼ばれるため池群です。】



読み終えて,久々に先生のお墓にお参りせんなあかんなぁ~って思った。



やっぱりお供えは,先生が大好きやったお酒やろか・・・



「写真;畝傍山近くのため池(甘樫丘より)」



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