e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

天平の甍・唐招提寺金堂

2010年08月29日 | 建築物
先日、友人の車で、奈良・“西の京”を通りかかった。

車窓から薬師寺の東西の塔が見えた。

私は友人に「ちょっと薬師寺に行きたなったから、車止めてくれへんか。」と頼んだ。

すると彼は、薬師寺の門の前まで行ってく れるという。

しかし、この地域は一方通行などがあって、車は唐招提寺の南大門の前に来てしまった。

私は気が変わり「ここでエエわ~。唐招提寺に行って来るから!」と車を降りた。

それは、唐招提寺金堂の解体修理をTVで見た記憶が蘇って来たからだった。

見上げると、空に春か夏?まであった大きなクレ ーンの姿はない。

“天平の甍”に会いたいと思ったのだ。

2001年8月、金堂の屋根に乗っていた鴟尾(しび)という飾り物の瓦が降ろされた。

“天平の甍”として有名な西側の鴟尾は創建当初のもの(鑑真和上が唐から持ってきたという伝説がある)と言われているが、今回の修復で新しいものと交換が予定され、恐らく二度と金堂の屋根に乗せられる事は無いとのこと。

講堂の仏像を拝観し、境内を1周し、最後に寄ったのが鉄筋コンクリートで出来た新宝藏。

そこに“天平の甍”が展示されていた。

門で払った拝観料とは別料金を払って入館、並ぶたくさんの仏像を観てもうすぐ“天平の甍”やというとき、ポケットの携帯が鳴った。

「皆が早めに揃うみたいなんで、もうすぐ忘年会が始まるで~ 早よ来いや~」とのこと。

あぁ~あ~ “天平の甍”をゆっくり観ようとしたのになぁ~
「鑑真さん ごめんやでぇ~ また来ます。」と言って、寺をあとにしたんやった。

@唐招提寺金堂
759年(天平宝字3年)天武天皇第7皇子、新田部親王の旧邸宅を鑑真和上が賜って創建したお寺。唐招提寺は、鑑真和上の招提[み仏のもとに修行する人たちの場]という意味が寺名となっている。南門の額は、女帝で第46代孝謙天皇の筆で、南門は昭和35年4月に再建されたが、そこを入ると真正面に見えるのが天平建築で国宝の「金堂」。大棟を飾る風雪千二百年の鴟尾は向かって左が古く、右は新しく、また、寄棟造の大屋根を支えている柱はエンタシスで、8本の間隔が左右の端に行くほど少し狭くなって、「金堂」を実際より広く見せている。

「写真;唐招提寺金堂」



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