もう20日もブログを更新していなかった。久々の更新。
今日は、ご無沙汰してしまってた知人から電話をもらった。
「どうしてるかと思って・・・。」そうだよな・・・。
ブログにも、4月半ばに、日本を世界に発信するウェブサイトを作りますと書いたきり、それらしき動きもなく、ブログの更新もなくじゃ大丈夫かと思うのも無理ないかも。
それで、そろそろ、ブログを再開しようと思います。
仕事を辞めてから1ヶ月半、お金になる事はひとーつもやれなかったのだけれど、これまでとは本質的に違う時間の流れに身体を慣らしてるところなんだなーという気がなんとなくしている。
お金はないけど時間はあるので、この一ヶ月半、地元のイベントに参加したり、ツイッターで呼びかけられたイベントに参加したり、街を散策して入ったお店で話し込んだり、四国の実家にも久しぶりに帰ったし、その途中で、上関の原発建設問題で揺れる山口県の祝島にも行ってみた。
これまでに取材以外では会う事のなかった人たちとする世間話。
地元の町で商売をしている人や伝統工芸を守る人、はたまた芸大出の音楽家から、IT企業を立ち上げたカナダ人(日本に観光に来てた)、漁業と農業で生きているじいちゃんばあちゃん、基地問題に取り組む沖縄の人たち等々、この一ヶ月、いろんな人々と話しをした。
大きな会社に勤めている人はほとんどいない。
会社に頼らず生きていくというのはどういうことなのか、自分よりも若い人たちやパソコンなどさわった事の無い田舎のじいちゃんがみな自立して生きている。
早く事業計画を書いて、新しいプロジェクトを立ち上げねば!と退職直後は意気込んでいたが、誘われるまま気の向くまま、いろんな人と会ったり、いろんな風景に接したりしているうちに、ちょっとの間だけ、こうしたゆっくりとした時間の流れを感じていてもいいのではないかと思えてきて、自分の怠け癖がそうさせるとは分かっているが、まあそこはちょっとだけ、ということにしてほんのちょっと焦りを忘れることにした。
話は変わるが、地元密着でゆっくりと暮らすと、食事がまともになる。
朝7時前に、近所の豆腐屋に油揚と豆腐を買いにいって、それでみそ汁を作るなんて今までの生活では考えられなかった。おかずは、前日、上野公園の物産市で買った旬のうどのきんぴら。昼には、近くの商店街で買ってきたカブときゅうりのぬか漬けとおにぎりを食べる。こうした食材の買い物のときにも会話が生まれる。
さらに、こうした食事をしているせいか、最近、便秘癖が治ってきているのも効用だ。
そして、通勤がないことで嬉しいのは、やはり、どこで仕事をしてもいいことだ(まだ仕事ではないですが)。本や新聞は上野公園のベンチや国立こども図書館のカフェのテラスで読むと気持ちがいいし、ペンと付箋を持ってても、オフィスと同様の集中力は得られる。多分3Gのipad持ってたら最強だ。
これぞまさしく、佐々木俊尚氏が「仕事するのにオフィスはいらない」で言っていたノマドワークスタイルではないか!
さらに、人に会わないときは化粧もする必要ないし、どんな格好でもいいし、それにかける時間がいらないのは凄く楽だし、健康的でもある。
ただ、セルフコントロールできない人に、ノマドワークスタイルは向かないと佐々木氏も言っていってたように、これまでずーっと与えられた仕事を時間内にこなすことに慣れてきた私は、ノマド脱落予備軍最右翼だ。
その上、このゆーったりした時間を気持ちいいと思ってしまっちょる。
ついつい、気持ちのよいそよ風に青空を見上げ、ベンチの下でちょこちょこ動くスズメを観察してしまう。そして、こんなに気分のいいのは何年ぶりだろうと感じている。仕事しないでこんなに安心している私は、本当は働くのが好きではないのかもしれない。
でも、決してやる気を無くしている訳でもないし、希望もある(と先日ツイッターでつぶやいてみた)。
私にとって、自らの意思で、自らの信じることを、自らの手で、そして自らの責任で仕事にしていくという作業は、その大変さだけでなく、その楽しさも含めて、いまだ未知の領域だ。働くのが本当に好きでないかどうかは、それを試してみてから判断しても遅くはないかもしれない。いや、これまでだって、好きで働いていたのだけど(問題はあったけど)。
こんなお気楽で、本当にお金を稼いで今後生活が成り立っていくのか全く不安が無いわけではない。でも、今感じている気持ちの良さを全て振り切ることなく、職業生活を成り立たせられないものかと考える。
日常生活の気持ち良さと引き換えのようなところのあった今日のキャリア生活を、「両立」以外の言葉で成り立たせる方法を見つけられないものか。
久しぶりに見始めた朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」を横目に朝ご飯を食べながら、仕事も日常のうちなんだしなあなんて頭の中でつぶやいてみる。
とまあ、なんだかんだいいながら、これまで職場に通勤する生活をしてきた私。その習慣にかなり身体が慣れとったなと思う一方で、会社に通わない事に全く不安感がないのは、やはりサラリーマンの子どもではなく、家で仕事する親の姿を見て育ったためなんだろう。それが決して儲かる商売でなくてもだ。
そして、これからの世の中、少し個人事業主が増えてってもいいんじゃないかと思う。「FREE」書いたクリス・アンダーソンの次回作は「個人」をテーマにしたものらしいから、そういう動きはあるのだろう。
金融危機とか、政権交代とか、時代の変わり目ということは疑いの無い今、「働き方」も変わっていくのだと思う。
変わった方がいいよ。
5月後半は、占星術でも物事が動き出す時期に当っているようです(by石井ゆかり)。私も星の動きに合わせて、始動しようと思います。金曜日には思い切って買ったエルゴヒューマンの仕事椅子が届きます。
今日は、ご無沙汰してしまってた知人から電話をもらった。
「どうしてるかと思って・・・。」そうだよな・・・。
ブログにも、4月半ばに、日本を世界に発信するウェブサイトを作りますと書いたきり、それらしき動きもなく、ブログの更新もなくじゃ大丈夫かと思うのも無理ないかも。
それで、そろそろ、ブログを再開しようと思います。
仕事を辞めてから1ヶ月半、お金になる事はひとーつもやれなかったのだけれど、これまでとは本質的に違う時間の流れに身体を慣らしてるところなんだなーという気がなんとなくしている。
お金はないけど時間はあるので、この一ヶ月半、地元のイベントに参加したり、ツイッターで呼びかけられたイベントに参加したり、街を散策して入ったお店で話し込んだり、四国の実家にも久しぶりに帰ったし、その途中で、上関の原発建設問題で揺れる山口県の祝島にも行ってみた。
これまでに取材以外では会う事のなかった人たちとする世間話。
地元の町で商売をしている人や伝統工芸を守る人、はたまた芸大出の音楽家から、IT企業を立ち上げたカナダ人(日本に観光に来てた)、漁業と農業で生きているじいちゃんばあちゃん、基地問題に取り組む沖縄の人たち等々、この一ヶ月、いろんな人々と話しをした。
大きな会社に勤めている人はほとんどいない。
会社に頼らず生きていくというのはどういうことなのか、自分よりも若い人たちやパソコンなどさわった事の無い田舎のじいちゃんがみな自立して生きている。
早く事業計画を書いて、新しいプロジェクトを立ち上げねば!と退職直後は意気込んでいたが、誘われるまま気の向くまま、いろんな人と会ったり、いろんな風景に接したりしているうちに、ちょっとの間だけ、こうしたゆっくりとした時間の流れを感じていてもいいのではないかと思えてきて、自分の怠け癖がそうさせるとは分かっているが、まあそこはちょっとだけ、ということにしてほんのちょっと焦りを忘れることにした。
話は変わるが、地元密着でゆっくりと暮らすと、食事がまともになる。
朝7時前に、近所の豆腐屋に油揚と豆腐を買いにいって、それでみそ汁を作るなんて今までの生活では考えられなかった。おかずは、前日、上野公園の物産市で買った旬のうどのきんぴら。昼には、近くの商店街で買ってきたカブときゅうりのぬか漬けとおにぎりを食べる。こうした食材の買い物のときにも会話が生まれる。
さらに、こうした食事をしているせいか、最近、便秘癖が治ってきているのも効用だ。
そして、通勤がないことで嬉しいのは、やはり、どこで仕事をしてもいいことだ(まだ仕事ではないですが)。本や新聞は上野公園のベンチや国立こども図書館のカフェのテラスで読むと気持ちがいいし、ペンと付箋を持ってても、オフィスと同様の集中力は得られる。多分3Gのipad持ってたら最強だ。
これぞまさしく、佐々木俊尚氏が「仕事するのにオフィスはいらない」で言っていたノマドワークスタイルではないか!
さらに、人に会わないときは化粧もする必要ないし、どんな格好でもいいし、それにかける時間がいらないのは凄く楽だし、健康的でもある。
ただ、セルフコントロールできない人に、ノマドワークスタイルは向かないと佐々木氏も言っていってたように、これまでずーっと与えられた仕事を時間内にこなすことに慣れてきた私は、ノマド脱落予備軍最右翼だ。
その上、このゆーったりした時間を気持ちいいと思ってしまっちょる。
ついつい、気持ちのよいそよ風に青空を見上げ、ベンチの下でちょこちょこ動くスズメを観察してしまう。そして、こんなに気分のいいのは何年ぶりだろうと感じている。仕事しないでこんなに安心している私は、本当は働くのが好きではないのかもしれない。
でも、決してやる気を無くしている訳でもないし、希望もある(と先日ツイッターでつぶやいてみた)。
私にとって、自らの意思で、自らの信じることを、自らの手で、そして自らの責任で仕事にしていくという作業は、その大変さだけでなく、その楽しさも含めて、いまだ未知の領域だ。働くのが本当に好きでないかどうかは、それを試してみてから判断しても遅くはないかもしれない。いや、これまでだって、好きで働いていたのだけど(問題はあったけど)。
こんなお気楽で、本当にお金を稼いで今後生活が成り立っていくのか全く不安が無いわけではない。でも、今感じている気持ちの良さを全て振り切ることなく、職業生活を成り立たせられないものかと考える。
日常生活の気持ち良さと引き換えのようなところのあった今日のキャリア生活を、「両立」以外の言葉で成り立たせる方法を見つけられないものか。
久しぶりに見始めた朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」を横目に朝ご飯を食べながら、仕事も日常のうちなんだしなあなんて頭の中でつぶやいてみる。
とまあ、なんだかんだいいながら、これまで職場に通勤する生活をしてきた私。その習慣にかなり身体が慣れとったなと思う一方で、会社に通わない事に全く不安感がないのは、やはりサラリーマンの子どもではなく、家で仕事する親の姿を見て育ったためなんだろう。それが決して儲かる商売でなくてもだ。
そして、これからの世の中、少し個人事業主が増えてってもいいんじゃないかと思う。「FREE」書いたクリス・アンダーソンの次回作は「個人」をテーマにしたものらしいから、そういう動きはあるのだろう。
金融危機とか、政権交代とか、時代の変わり目ということは疑いの無い今、「働き方」も変わっていくのだと思う。
変わった方がいいよ。
5月後半は、占星術でも物事が動き出す時期に当っているようです(by石井ゆかり)。私も星の動きに合わせて、始動しようと思います。金曜日には思い切って買ったエルゴヒューマンの仕事椅子が届きます。
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