橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

祝島へ行った その2 上陸編にするつもりが、プロローグに

2010-05-20 15:23:06 | 祝島へ行った
原発建設予定地の埋め立て開始を阻止する祝島のおばちゃんたちの姿をYOUTUBEで見てから、祝島の話題をなんとなくフォローしてきた。
特にツイッター上では、普天間基地問題を語る人の一部が、同時に祝島の事もつぶやいていて、私も、気になるつぶやきがあるとリツイートしたりしていた。
そんなある日、祝島のことをつぶやいている方からツイッター上で返信をいただいた。その方は、現在アメリカのLAに在住なのだが、お父さんが祝島出身で、島の自然を守るために、中電と祝島の間に建設的な対話を成立させたいと、必死でつぶやいておられた。
たしか、埋め立て予定地にフェンスを建てようとする中電におばちゃんたちが抗議している映像がustreamで配信されたあたり、代々木公園でアースデイ2010が行われる(祝島を守る団体の人たちも参加)前日か前々日くらいだったと思う。突然、「スカイプで話ができませんか」とダイレクトメールが来たのだ。結局、私がまだスカイプを設定しておらず、やり取りはしなかったのだが、アメリカからも必死に祝島を守ろうとする人がいるのかと驚いた出来事だった。そんなこともあって、その後、アースデイ2010の祝島関連ブースを覗いたり、ゆるーく情報収集していた。

その時に買ったちりめんいりこは、まだうちの冷蔵庫にあって、毎朝の食卓に上り、少しずつ消費されている。

適当に乾燥した美しいちりめんは、生臭さもなく、さわやかな朝の食卓をキリッと引き締めてくれる。ほんとうにきれいなちりめんいりこだ。

こうして、1ミリ1ミリ祝島との距離を縮めていた私。
なぜ急に祝島に行くに至ったのか・・・。
それは、四国は愛媛への帰省途中の飛行機の中。
いつになく、ANAの機内誌を開いて、ジェット機の飛行経路の地図を見ていて、到着する松山空港のところに目をやった。すると、その左上方に上関、祝島という文字が見えたのだ。「えっ?こんなに近かったっけ?」
松山港から海を挟んですぐ対岸ともいえそうな場所に上関はあったのだ。

(Google mapで松山、上関周辺を見る場合、10km・5マイルのスケールのサイズが分かりやすいです。
 長島と書かれた島の先っちょに上関原発は予定されています。その対岸にあるのが祝島。)

長距離交通機関の主流が、船から鉄道や自動車など陸を走るものや、飛行機に変わって以来(私が生まれた時にはすでにそうなっていたが)、ある場所からある場所への距離感覚を、私たちは知らず知らずのうちに、鉄道や道路がどう通っているかを基準に考えているんだとその時に気付いた。
松山から山口県の上関に行くには、陸上ならば、今治まで北上して、本州との間のたくさんの小島を経由するしまなみ海道を渡り、尾道に上陸、それから西進して山口県に向かう。時間はかかるわ、しまなみ海道の高速代はばかにならないわで(通常料金は今治―尾道間片道 軽3800円 普通車4700円現在はご存知の通り割引もありますが)、山口県というのは愛媛県にとっては遠いところというイメージだったのだ。

こんなに近いのか・・。東京に戻ってから改めて祝島に行くとなると、交通費はバカにならない。けど、このついでに行っておけば、安上がりかもしれない。船は出てないのかなあ・・・。
その日、松山に1泊し、翌日実家のある八幡浜に帰るつもりだったが、宿に着くなり、ネットで船は出ていないか検索してみた。
すると、松山の三津浜港から山口県の柳井港に防予汽船のフェリーが出ている。そして、柳井港から祝島までの定期船があった。
私は、その翌日日帰りで祝島に行く事に決めた。ただ、行くと決めて旅程をつくるべく詳細に調べていくと、交通機関の連絡は悪いわ本数は少ないわで、海結構時間がかかることも分かった。

松山三津浜港から柳井港までは2時間半の船旅。定期船に乗り換えて、柳井港から祝島までは1時間10分。しかし、これが単純に足して3時間40分にはならない。この2つはほとんど連絡してないのだ。考えてみれば、松山から柳井に来る人のうちどのくらいが上関、祝島方面に行くかと考えれば、そんなにいないと思うのが普通だよな。
朝の5時に三津浜港を出て、祝島に着くのは10時40分。帰りは17時に祝島を出る便が最終だ。6時間ちょっとの祝島の旅。

翌日に祝島ツアーを控え、その日は、松山城から松山の街を見下ろしながら戦国時代を思い(へうげものにハマってるだけですw)、愛媛の物産を紹介するアンテナショップで菊間瓦のミニ苔盆栽を買い、アンテナショップなのにパンフレットが充実してない上に、なんで撮影禁止なんだと店員に文句を言い、日本一旨い珈琲豆屋(主観です)で豆を買い、その後、混雑する道後温泉の玉の湯につかり、地元のスタンド定食という不思議な看板を掲げた料理屋さんの最終の客となり、定食を食べながら地方の疲弊について語り、結局ホテルに帰ったのは夜11時すぎで、それほど寝る間もなく、せっかく付いているANAホテルの豪華バイキング朝食もふいにして朝4時半にホテルを後にした。すいません、祝島に関係ない事が長くなってしまいました。長くなりついでに言えば、今回利用した東京松山間1泊ホテル付き帰着日延長可能プランは、ANA往復航空券+松山全日空ホテルアネックス(アメックスというのは別館ですね。でもレストランは本館といっしょ)1泊朝食付き。朝食はそれだけで食べたら1850円もするんだが、それで1名利用で25000円。以前はこうしたプランは朝食が付いてなかったものだが、さらにデフレ極まれりという感じで、ちょっと悲しかった。松山の事はまた別の機会に書きたいと思います。

松山県庁前 路面電車が走る



とまあ脱線はこのくらいにして祝島である。
朝4時半に出発した私。フェリー乗り場にはそれなりに乗船しようとする人が待っていた。切符は、前日ネットで調べた時には往復で6600円との事だったが、このところの高速道路割引に対抗してだろうか、こちらも割引中で、往復で6000円丁度だった。

朝4時45分 三津浜港フェリー乗り場


切符売り場と切符
 


フェリー乗り場にあったコインロッカーに大きな荷物を入れ、私は、布バッグ一つ持って早朝のフェリーに乗り込んだのであった。

そして、AM5時、フェリーは、朝焼けの中を出発したのであった。
祝島上陸編とするはずだったが、松山からの出発まででこんなに長くなってしまったので、またここで一旦分けさせていただきます。

三津浜港を出たフェリーの朝焼けの様子をビデオで見ながら・・・
祝島へ行った その3 今度こそ上陸編 を乞うご期待


中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録
那須 圭子,福島 菊次郎
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祝島へ行った その1

2010-05-20 00:13:03 | 祝島へ行った
今月の8日に山口県の祝島に行った。
この祝島は、中国電力の上関原発の予定地である田ノ浦を対岸に見る場所にあり、島の人々の9割以上は原発建設に反対している。
去年から建設地の埋め立て準備作業が始められようとしたため、祝島の住民が阻止行動に出て、何度かニュースになっていた。
Youtubeで「祝島 原発」で検索すると、島のおばちゃんたちが中国電力の職員に抗議する映像がたくさん見つかる。

祝島に行った時のことを書く前に、まずは、祝島が現在置かれている状況を書いておく。

人口およそ500人の島は、ほとんどの人が漁業と農業で生計を立てている。
国は、漁業補償金として、祝島の人々に5億4000万円を提示したが、彼らは受け取りを拒否している。しかし、祝島が属する上関町は原発推進を掲げていて、補償対象となっている8漁協のうち7漁協は既に補償金を受け取り、祝島の分は山口県の漁協が預かっている形になっている。今後、祝島には受け取ってもらって使い道を決めるよう働きかけると県漁協は語っているという。

とはいえ、原発に反対しているのは祝島の人たちだけではない。自然保護団体なども地元の人々と共闘している。その一つ、「長島の自然を守る会」(田ノ浦は長島という島にある)は、原発建設が予定されている田ノ浦はスナメリやナメクジウオなど希少生物の宝庫で、埋め立てると貴重な生態系を壊す事になるとしている。
今年は、日本でCOP10=生物多様性条約第10回締約国会議が行われる。もし、希少生物が確認されている田ノ浦の埋め立てが始まれば、COP10の議長国としてどう説明するのだと訴えている。

「長島の自然を守る会」のHP

また、この祝島については、今年、島の暮らしを描いた映画が2本完成していて、近々公開される。これらは原発建設に反対する立場の映画だ。
映画「祝の島」HP

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」HP


実は、私の実家の近くにも原発がある。まだ私が小さかった頃に建設されたので、反対運動などもうろ覚え、かすかに、「雨にぬれたらだめだよ、禿げるよ」と言われていたことを憶えている。
それで、原発建設のニュースはいつも気になっていた。また、近年、中国新聞の東京支社の方と知り合ったこともあって、飲み会の席などで祝島の話を聞くにつけ、一度行ってみたいと思っていた。
 
原発、基地、ダム。

政権交代によって、これらの問題が注目されている。
近くに来てほしくないものを、補償金というアメで受け入れさせるという意味では、この3つの問題は同根とも言える。
普天間しかり八ッ場しかり。新政権はコンクリートから人へと銘打ち、ダム建設を凍結し、普天間も県外国外と語った(今風前の灯になりかけてますが・・)。
しかし、原発だけは、地球温暖化対策という名の下、いつのまにやらクリーンエネルギーという地位を獲得して、政府も推進の立場をとっている。国内での建設推進やプルサーマルの開始、もんじゅ再開だけでなく、日本の技術を世界に売り込むなど、まるで日本の救世主のような扱いだ。そのため、普天間や八ッ場に比べ、ニュースでの扱いはずっと小さい。
ともすると、また反対派の活動家が騒いでるよくらいの受け止め方をされかねない扱いだ。

しかし、YOUTUBEで見た、祝島のおばちゃんたちの声は、本当に生活を守ろうとしている人たちのものだった。
祝島のおかあさんの声 09.10.1 田名埠頭


この映像が張られているuminomukoukara60さんのyoutube

補償金をもらえればどこかよそに移って生活を始める事は可能かもしれない。
しかし、ずっと海と山で生きてきた人たちが、人生の最後、それを捨ててどこでどう暮らせというのか。晩年、子どもの住む都会に出て行ってすぐに弱ってしまうお年寄りの話をよく聞く。人はどこでも生きられるが、よりよく生きられるかどうかは別だ。憲法25条が国民に保証する、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が指すものとは何なのか考えさせられる。

ニュース番組の仕事を辞めた私は、今は取材はしない。
ただ、あのおばちゃんたちが守りたい祝島とはどんなところか見てみたい。
そう思って、時間だけはあるので四国への帰省の途中で足を伸ばしてみた。

長くなるので、祝島上陸編は分けますね。

その2 祝島上陸編に続く>>>
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