橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

祝島へ行った その5 かっちょいいとおいしいは自然と時間の恵み哉

2010-06-15 14:59:22 | 祝島へ行った
祝島へ行った その1 その2 その3 その4 からの続きです。

右手に海を見ながら自転車で走り始めた。
ちいさな港には、ちいさな漁船がきちんと並んでいる。
 
土曜日だからだろうか、作業している人は誰もいない。定期船が着いた時はやってきた人や迎えの人でごった返した船着き場周辺も、いつのまにか人がいなくなって、のんびりした風景に戻っていた。


帰りの船が出るのは夕方の5時。あと6時間。
今回の目的は、ひとの話を聞くというより、人々が暮らす場所、景色を見るということだから、とりあえず、海沿いの道を走り始めた。

5月8日祝島 長磯海岸付近  ものすごーく手ぶれしてますがご容赦ください。

このあたりは長磯海岸とよばれるあたりではないかと思う。
道路には私以外誰もいなくて、聞こえるのは風と波の音だけ。寂しくないのは、空が青いからだろう。

最も賑やかな集落を離れても、ぽつんぽつんと家や倉庫が建っている。どこも、強い潮風をよけるため、石の練塀や練り壁が作られたり、屋根の上に石の重しがしてあった。練塀の石は、潮風にすり切れ、太陽に焼け、丸みを帯びたやさしい色と形になっている。どんなアートにも負けないかっこよさだ。色が褪せた板も、地中海の風情なんて言ったら、ふざけんなと怒られるだろうか。でも、自然の素材は気持ちがいいわ。
 

そして、そうした建物の背後の山に目をやると、その植生の複雑さにも感激する。
 

遠目だからはっきりとはわからないが、緑の色合いの違う様々な種類の木が、まるで生け花のように、あるものは高くあるものは低く生えている。
そんな背景をしょった、石塀の家に人々は暮らしている。確かによく見れば、石塀の中の家にはかなり古いものもある。
しかし、古い家が貧乏臭く見えるのは、都会の喧噪とか無味乾燥な鉄やコンクリートやの背景をしょっているからであって、自然とともに年を取った古い家は、立派な古民家などでなくとも、それはそれで味があるのである(もちろん鉄やコンクリしょっててもいいものはありますが・・)。
窓を開け放ち、風を通し、人の生活が窓や軒下から少しだけこぼれているというのだろうか、そういう「流れ」を感じる家というのは、全然ビンボ臭い感じがしないのだ。それは都会でも同じ事かもしれない。

ある家の畑を通りかかったら、おばちゃんがずっと土いじりをしていた。ずっと同じ姿勢で黙々と作業を続ける。
時間の流れが、ゆっくりだ。


また少し自転車をこぐと、海猫が、私がカメラで狙っているのを気にもせず、のーんびりと岩の上にとまっていた。この素晴らしいお天気の下、特等席を占拠している。
青い海青い空独り占めじゃん!とか、海猫にジェらったりして、動物と同じ目線で生きている気分になる。実際同じ世界に生きてるんだけど。

このあと、途中で、休日学級の子供達の自転車に出くわしたり、農場があったり、いろいろなポイントがあったんだが、その途中の話は、また帰りの道のりでお話しするとして、ただひたすらまっすぐまっすぐ一本道を走り続けた自転車は、とうとう行き止まりにきてしまった。この道路、島をぐるりと一周していると思っていたのに、そうじゃなかったのね。
というわけで、この行き止まりの地で、自転車を止めて、お昼ご飯にすることにした。
 

そしてこれが、「えべすや」で買ったコロッケと炊き込みご飯と十六茶。


海風を受けながら、道路の淵に腰掛けて、パックを開いた。
まず十六茶を一口飲んで、炊き込みご飯を一口。驚いた!これは旨い!!彦摩呂じゃないから、いろんな形容詞は付けないが、本当に美味しかった。
具は何が入っているのか?小さく刻んであってよく分からないが、人参ごぼうなどの定番野菜のほか、茶色っぽいのは椎茸か。ひとかけらだけど、貝柱らしきものも認識できた。後で、えべすやで聞いてみたのだが、この炊き込みはえべすやで作っているのではなく、近所で作って届けてくれるのだそうで、詳しいレシピはよくわからなかった。
とにかく、この炊き込みは旨かったのだ。
天気もいいし、旅気分で美味しく感じたんだろうというようなものではない。米の炊き具合も、しょうゆの味の具合も絶妙。こんな所でこんな旨いご飯に出会うとは(こんな所で、なんてちょっと先入観入ってますね、私も)。

そして、次に俵型のコロッケをぱくついた。それが、これもめちゃうま!
中のじゃがいもにつけた下味が絶妙。ソースや醤油がいらないのは当然のことながら、まわりのパン粉の揚がり具合もすごく私好みだったのだ。

祝島からちょっと離れるが、ここで、コロッケについてちょっと書かせてください。
最近、デパ地下などで人気のコロッケは、パン粉が大きめで、ガリガリサクサクしていることを売りにしている。でも、私はこのタイプのコロッケがあまり好きではない。神戸コロッケを代表とするこの手のコロッケというのは、あくまで洋食レストランで揚げたてが出てくる類いのもので、漬け物や梅干しやみそ汁の並ぶ日本人の家庭の食事にはフィットしない味だと常々感じてたのだ。私のコロッケ原風景は、中のジャガイモも、ホクホクというよりは、細かくペースト状くらいに潰されて、下味の醤油などの調味料の水分のせいもあるのだろうが、しっとりしていて、パン粉は細かく細かく、薄―く薄―くまぶして、揚げられたものだ。齧っても音なんかしないし、パン粉が薄いから崩れそうになる。パン粉で包むというより、ジャガイモの粘性で形を保っているようなコロッケ。昭和40年代、近所の総菜屋のコロッケはこのタイプのものだった。なぜ、その後、コロッケ界をサクサクホクホクが席巻したのか??? 
それは、コンビニおにぎりが、海苔とご飯をビニールで分離してパリパリ海苔時代に突入したのに似ている気がする。サクッとかパリッとかいう軽快な雰囲気を、バブルに突入する頃の日本は求めていたんだろうなあとも思う。私も、高校時代、自分の弁当には、海苔は別添で持って行っていた。しかし、のちのちそれほどパリパリでなくとも美味しいということに気付いた。私が、パリパリのほうが美味しいと思っていたのは、うちで使っていたのが、常に味付け海苔だったからだ。うちの家では、そんなにいい焼き海苔など使うことはほとんどなかった。私は、本物の海苔を知らずして、ただパリパリだけを求めていたのだ。分厚い良い海苔(もちろん味付けなどではない)というのは、しっとりしても旨いのだ。それが分かってから、私は、しょうがなくコンビニおにぎりを食べるような場合も、ビニールを剥がすやつは選ばなくなった。そして、最近ではしっとりおにぎりがコンビニでも高級品として復活してきている。
この話で、コロッケもサクサクは本物を知らない人の・・なんて言うつもりはない。ただ、しっとりしてる方が、日本食としてのコロッケなんだろうなと感じるだけなのだ。

とにかく、祝島の「えべすや」で買ったコロッケは、私の本来の好みを刺激し、日本の原風景的な景色も相まって、めちゃめちゃ印象に残ったのだった。しかし結局、このじゃがいもの下味の正体を私の舌は分析できず、残念ながら、後でもう一度訪ねた「えべすや」さんでも、レシピはわからなかった。「カレー粉入ってる?」なんてことも言ってみたが、「それは入っとらんと思う」と言われた。このコロッケを作った方が、私のこの興奮ぶりを見たら、笑われるかもしれないなー。
今度また祝島に行く事があったら、是非またこのコロッケを食べたい。

もとい、祝島の海岸の昼下がりに戻る。
青い海と空のもと、コロッケをほおばりながら、ふと右手の海岸に目をやると、こんなまん丸い巨大な岩が転がっていた。よく見ると、後ろにももう一つ。

潮の流れに削られて、長年の間にこうなったのだろう。それにしても、よく流されて行かなかったものだ。
瀬戸内の直島の草間弥生のオブジェ南瓜にも匹敵する、自然のオブジェじゃないだろうか。正月には注連縄かけたくなるな。

万葉集にも登場する祝島は、古来、船の安全を守る神霊を鎮める島として崇められてきた。この丸い石が、いつの頃から波に洗われているのかは定かでないが、そんな海岸の岩のビジュアル一つが、頭の中で、長―い島の歴史の記憶に繋がって行く。それもこれも、目が捉えた映像(風景)を自分の中で咀嚼するとき、思考を遮る雑念があーんまり入ってこないからじゃないんだろかと、波と風とたまに鳥の声の聞こえる誰もいない浜にて考えた。
もちろん、それまでに仕入れた知識や、パンフレットの情報や、いろんな意味での先入観が自分のなかで化学反応を起こしているとは思うが・・・。

次回 「祝島へ行った その6 
     のんびりしているだけじゃない 島のビジネス」 に続く

<あとがき>
食堂が一軒もないことに驚き、お店に弁当がないことに落胆し、ありあわせの総菜を買って臨んだ昼ご飯だったが、こんなに感激のお昼ご飯になるとは。祝島恐るべしである。
そして、昨日、コロッケと炊き込みを買った「えべすや」さんのブログを発見した。
いろんなご飯の写真が載っていて、島の食生活の豊かさが垣間見えます。
祝島の生活が見える楽しいブログ、リンク張らせてもらいました。
祝島の風物詩 from えべすや in 祝島 第2章

Actio 2010年2月号 No.1299

一般社団法人アクティオ

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中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録
那須 圭子,福島 菊次郎
創史社

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