橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

グローバリズムは終わった

2011-11-24 20:33:46 | 出島DEJIMAプロジェクト

「グローバリズムは終わった」

この言葉、FACEBOOKとかツイッターでつぶやいてみました。


ネットで配信してるラジオデイズの平川克美、内田樹両氏の

「はなし半分」10月号がめちゃ めちゃ面白かったんですが、

そこで、「遠い目をして『グローバリ ズムって終わったねっ』て

言ってると感染力凄いんだよね」と言っ てたので、

とりあえず、パソコンに向かって遠い目をしてつぶやいてみました。


 その番組では「もう鎖国かな」とも言ってて、

私も出島プロジェク トって名のってることだし、

かっこつきの「鎖国」ってどういう形 があり得るか

考えてみようかなとも思ったりしました。

交流しながら 鎖国する方法。

例えば、隈研吾の言う、建 築における「柔らかいスクリーン」、

格子とか障子みたいな 仕切ってんだけど、つながってるみたいな方法が

ないだろうかと思ったりしてます。

日本のあり方ってそういうインターフェイスのあいまいさにある気もします。


たとえば貿易。海外のもの買うにしても、日本のモノ売るときも、

関税高くてもどうしても欲しい人だけ

売ったり買ったりすればいいんじゃないんですかねえ・・。

そんなに言うなら売っちゃるわ、というやつです。

輸入輸出が減った分は国内需要で。

そのかわり、旅行に来てくれはるのは大歓迎。


もちろんこの発言は、ふつうの経済理論とか無視してます。

ただ、内田氏も言ってますが、経済学って、人間の消費行動の中の

数値に表れない非合理的な部分は織り込んでないので、

ある意味、かなり不完全なんじゃないでしょうか。

それに、スタバだのマックだのが無くなったら、

多分一時期は混乱するんでしょうけど、

そこに地元のカフェとかが入っても、今の日本なら、

かなりオシャレで快適な空間を提供できると思うんですけどね。

大資本じゃないいろんなお店の顔が見れて楽しそうです。

まあ、多国籍企業がロビー活動をして、そんな日本をぶっつぶせ、

戦争しかけチャレなんてことになるっていうなら、

ちょっとまた方法を考えねばなりませんが…。


内田氏は、大政奉還、廃県置藩とも言ってましたが、

江戸の仕組みに学ぶところはありそうです。

私も以前、半分本気半分遊びで「水戸黄門計画」water door yellow gate plan

略してwater gate (嘘)というノートを作っていたことがあります。

水戸黄門って、毎回、その土地の代表的な産業をになう庄屋とか大店が出て来て、

そこでの贈収賄がテーマになります。

つまり、各藩の伝統工芸とか産業とかを見て回ってんですよね黄門様って。

水戸黄門って、そんな各地の産業紹介番組ともいえるなあと常々思っていたわけです。

そこで、わたしも水戸黄門よろしくとりあえず、格安深夜バスを駆使して

各地の手仕事や産業を見に行こうかと思ったのが水戸黄門計画でした。

とにかく地方自治体が中央政府にぶら下がらないでやっていける方法を

見つけねばとの思いです。

一時期は、地方交付税のひも付きをなくし、一括交付にすることで

ある程度、中央集権政府からのぶら下がり体質は解消できるかとも思いましたが、

ショック療法としての廃県置藩もいいかもですね。


グローバリズムの時代も終わろうとしています(キリッ。

「鎖国」が象徴する新しい時代の、新しいインターフェイスとはどんなものか

私にもまだわかっていません。「出島プロジェクト」の出島はまさしく、

そのインターフェイスのつもりで名付けたのですが、

それがどういう機能を果たすものかは、

実のところ自分でもまだよくわかっていないのです。

「出島」としたのは直感です。

ここらへんで本気出して、現代の「出島」とは何かを考えねばなりません。

こんな話をお酒でも飲みながらしたいもんです。

 

ラジオデイズ たぶん月刊 内田樹・平川克美「はなし半分」10月号

http://www.radiodays.jp/item/show/200808



facebookにも短いバージョン投稿したんですが、ブログでもだめ押ししときます。

にしても、facebookに書くときって話口調にするせいか、

ちょっと「ヒロシです」みたいになってしまいますね。

やはり、メディアによる違いて文章にもでるんだなあ・・・。

あと、なぜかフォントサイズが小さいところがあります。なぜだろ?直らない。

 


だんしがしんだ

2011-11-24 06:28:14 | Weblog

ずっと昔、90年代の半ばだっただろうか、ちょっとだけ立川談志の番組にADとして関わる 事があった。

 打ち上げの席で、弟子も交えて山手線ゲームをやったとき、頭に「あ」のつく有名人というお題に、「アイ・ジョージ」と「愛新覚羅溥儀」を挙げて、喜んでくれたことが思い出である。

「芝浜」は談志のが好きだった。あの芝浜を聞いて、同じ演目でも演る人によって全然違うものになることを知った。なぜか「紙入れ」のおかみさんの描き方が好きで印象に残っている。柄でもないが、あんなちゃっかりした女の人になりたいなあと思ったものだ。

ほんの短い間の思い出である。しかし、何が面白いか、何がいいものかということを教えてもらった。

家元は根津に住んでいるのに、ほとんど会うことはなかった。夏に、談志の住むマンションの一階にある桶屋さんを訪ねた。火鉢クラブ納涼会で使う桶を借りに行ったのだ。たまに談志さんがここで話を聞かせて下さると、桶屋の娘さんが話していた。桶を作る板の間に座布団しくか、もしくは土間にいらない板を椅子代わりに置いて、3人か4人に向けて話したのだろうか。混ぜてもらいたかったなあ。

仕事をした頃からもう十余年、ずーっと、また独演会にと思いながら、だんだん遠い存在になっていた。しかし確実に、20代の私に、芸とは何かを考えさせてくれた人の一人である。おもいつくまま書いた。

以上は、死去の速報の直後、facebookにも投稿したものを小直し。


ここからは、今、24日早朝。

新聞を取りに外に出た。一面に談志さん死去の見出し。曙の東の空を見上げると、お日様より一足先に細い細い月が昇っている。たしか明日は新月で、消え入る直前のはかない月が、薄い紅色と薄い水色が溶けるあたりに浮かんでいた。そろそろ日ものぼってくる時刻だ。

合掌。