橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

祝島へ行った その4 とうとう上陸 ほんとになんにもない

2010-06-13 23:16:38 | 祝島へ行った
祝島へ行った その1 その2 その3 からの続きです

この日、祝島に向かう船は満員だった。甲板に立ちっぱなし。
いざ、走り出してみると、ものすごいスピードで、振り落とされないように一生懸命手すりにつかまりながら、片手でカメラを握った。でも、海のしぶきはバンバン降ってくるし、カメラ濡らさないように必死。一区切り回したらパーカーのポケットに仕舞っては出しの繰り返しだった。

定期船「いわい」で上関から祝島へ


上関を出た船は、蒲井、四代の2カ所の港に寄港して祝島に向かう。
地図を見ていただければわかるが、上関周辺地図 ↓が原発予定地 上関町は本州の先っちょの一部と、本州に一番近い長島、さらに祝島、八島という島で構成される。上関の役場と、蒲井、四代は長島にある。祝島と八島はその長島の先に浮かぶ島だ。長島だけは上関大橋で本州と繋がっている。
原発が計画されているのは、長島の突端、田ノ浦と呼ばれる浦で、四代の集落の裏側、四代の住民からはその施設は見づらい位置にある。逆に、祝島の住民からは、長島を臨んだ時に丁度正面に原発が見えるというわけだ。日常的に、原発の施設が目に入るか入らないかは、気分的にもずいぶん違う。実際、祝島の人もそう語っていた。

ましてや、田ノ浦は、スナメリなども生息するという瀬戸内でも屈指の自然の宝庫だ。これだけでも、原発建設に反対するに十分な理由だと思うが、世の中にはそうは思わない人もいるから不思議だ。一旦走り始めた車を止めるのは本当に難しい。
特に、温暖化ガス削減が言われ出してから、原発の危険性は、削減目標達成という課題にすり替えられるようになってしまった。事故なんか起きないように設計されてるんだとさえ言われるようになった。
でも、事故は設計のミスだけで起きるのではない。
原発の問題点を挙げればきりがないし、危険性や廃棄物の問題は重要ではあるが、今回は別の機会に譲ることにする。

私が祝島を訪れようと思ったのは、もちろん、原発建設問題でニュースになっているからではあるが、今回は、島の人に原発の話を取材するわけではない。ただ、どんなところか見るのが目的だ。

ニュースで見る上関町は、田ノ浦沖で反対派のカヤック隊が中国電力に対し、拡声器で反対のシュプレヒコールを上げている映像や、埋め立て予定地に反対派の人々が座り込みをしていたりする映像ばかりで、カメラはその周辺の風景を映す事もない。ましてや、田ノ浦で反対している人々が、実は対岸の祝島から来ていることなんてニュースを見ただけでは分からない(もちろん祝島の住民らと説明はしているが、祝島がどの辺に位置するかさえ全然分からない)。
その周辺の海がどんなにきれいかとか、祝島の人々の生活がどんなものだとかは、よほどの特集番組でもないと見えてこないのだ。それに、電力会社をスポンサーに持つテレビでは、祝島の自然を愛で、原発反対を訴える番組など期待しようもない。

上関原発の問題は、中央のメディアはそれほど関心を持っていないようだ。
東京のテレビ局で働いていた私は、たまーに地元局から送られてくる1分ほどの短いニュースをみながら、反対派のおばちゃんたちはどんなところに住んでいるんだろうなあと思っていた。

そして、やっとその機会がやってきた。

定期船「いわい」から祝島船着き場を望む


天気は最高にいい。真っ青な空に真っ青な海、ゴールデンウイーク明けたばかりの5月の風は、これが幸せということなのだと思うくらい気持ちがよかった(おおげさだなあ・・汗)。
土曜日の定期船「いわい」には、前回書いたように、上関から往診(?)の歯医者さん一行が乗っていたほか、NPOが主催する休日学校の子供達、観光で来たという大人のグループも何組かいて大混雑だった。

到着した祝島の桟橋には、島の人たちが待ち受けていた。
海月も歓迎してくれた(水温が上がると海月が増えるらしい)。

船からは大きなデジタルテレビの箱も降ろされ、島も着々と地デジ化されているようだ。

たった一人でやってきたのは私だけのようで、みなグループで思い思いの方向に散って行く。

それにしてもなーんにも無い。

桟橋を上がった所に、無人の野菜直売をやってて、おばちゃんが持ってきたネギを置いて行った。段ボール一箱程度の規模の売り場だ。その辺を見渡した限りでは、お店などは一軒も見えない。
貸し自転車があると船着き場に書いてあったので借りることにした。


1日借りて200円。写真とるのは忘れたが、貸し出し時に200円と引き換えに簡単なチケットをくれる。でも、特に名前や住所を書かされるわけでもなく、「名前書かなくていいの?」と聞く私に、「いらんいらん」。まあ、島から出る方法は船しかないから、盗まれる事もないか。この適当な感じが気持ちいい。

貸し自転車の運営は島の自治会。去年の7月に始まったらしい。

このチャリンコハウスというのは誰の命名なのか?
また、自転車には「寄贈チャーリー吉本」と書かれているが、これが誰なんだろう?聞くのを忘れたが、全てがおちゃめな祝島なのであった。

さて、朝5時に出てきて、もう11時前。お腹が空いた。まずは腹ごしらえと思って、食堂はないかと聞いてみた。すると、「食堂はない」との回答。
そっかー、当然、食堂の一軒くらいあるだろうと思っていた私が高度資本主義社会の先入観に毒されていたのだ!(笑)。

「お店に弁当あるから。早よいかんとなくなるよ。えべすやさん。」おばちゃんやおっちゃんたちが口々に教えてくれ、おお!良かったーと思ったのもつかの間、貸し自転車を借りて島散策しようとしているグループが、今まさに自転車にまたがって出発しようとしていた。弁当も早い者勝ちか!これにあぶれたら、夕方の船が出るまでなーんも食べられないかもしれない。
そう考えると心ははやるのだが、あまりののーんびりとした空気に、焦る気にもならず、店の場所さえ行った道々で聞けばいいやと、ゆっくり自転車をこぎ始めた。

パンフレットもなーんもなかったので、近くにあった宿で地図付きのパンフをもらう。
地図を見ると、道は島をぐるりと取り囲むようにあって、集落は船着き場のそばだけのようだ。500人の人口のほとんどはここに住んでいる。
家と家の間の露地は狭くて、自転車一台がやっと通れるくらいだ。

そして、上の写真でも分かるように、家々は風よけの石塀が特徴的だ。丸みを帯びた石を使って作られた塀は、やさしい景色を作り出す。
知らない人が見たら、ちょっと沖縄の風景のようだ。しかし、植生は瀬戸内のそれで、祝島独特の風景になっている。


ゆーっくりゆーっくり自転車をこぎながら、時々こうした石塀に出会いながら散策は始まった。

とりあえず、お店を見つけて弁当買っとかなきゃと思い直し、通りかかったおじさんに店の場所を聞いたが、その通りに行っても(行ったつもりかも)店が見つからない。島を取り囲む自動車道路から一旦住宅の間の露地に入ったら、もうぜんぜんどこにいるか分からなくなる。
次に出会った人に聞いたら、やっと店が見つかった。見つかったというか、最初は店とは思わなかった。

これが、「えべすや」さん。


店に入ったら、昔なつかしよろず屋さんの風情。プラスティックのコンテナにお惣菜やバンが並んでいる。地元でとれた海藻なども売っていた。
が、残念なことになんとコンテナの中には、既にお弁当はなかった。既になのか、もとからなかったのかは不明だ。コンテナの中には、石豆腐の煮たのと、おからの煮たのと、コロッケと、炊き込みご飯が透明なパックに入って売られていた。コロッケは俵型のが4個も入っていて、一人の私には多すぎたんだけど、おからと石豆腐っていうのもなあ、あまったらおやつにすればいいやと思い、炊き込みご飯一パックとコロッケを買うことにした。
コロッケは、島民の予約が入ってて、アワや手に入らない事態になりかけたのだが、「ああ、大丈夫だ、一つ余るわ」ということで、買う事が出来た。
そして、店の中でも数少ない都会と同じ仕様のものであるドリンク用冷蔵庫からペットボトルの十六茶を一本取って、これも下さいと言った(なんかもったいぶった書き方だ・・)。無事、昼ご飯もゲット。
石塀がきれいな公衆トイレにも寄って、準備万端。

石塀が美しい公衆トイレ。中も水は最小限しか使わないエコ仕様の洋式トイレでした


そして私は、島を一周するべく、時計と反対周りに走り始めたのでありました。

>>>次回 祝島へ行った その5につづく

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