赤留山の日の出

日頃思った事、感じた事を書いてます。

火事おやじ

2011-04-27 00:13:06 | Weblog
 私が怖いものは、地震雷火事親父のなかにあります。

今一番は、カミナリおやじであります。

これは離れない限り逃れようがありませんねぇ~。

 私の性格はのんびりしており、見方によればぐうたらともとれるでしょう。

相手は、非常に神経質であり几帳面でもあります。

何でこんなに正反対の性格なのか、最初は全然見えませんでした。

穏やかに見えたのです。(クワバラ、クワバラ。)

 最近は現役を離れた生活を送っていますので、前よりもお互いに顔(角)を

つき合わす時間が長いのですから、、、。

たまったものではありません。(お互いにそう思っているでしょう、)

「箸の上げ下ろし」とまでは行きませんので、ご飯だけはお腹一杯食べさせてもらって

いますが、、、。

「飯を食うな!」と言われたら出て行くしか有りません。


富に罵詈雑言が多く聞こえるものですから、悲しくなりトラウマにも

なりつつあります。

 この悪循環を、なるべく取り除くべく努力しなくては!




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このごろ

2011-04-22 22:58:10 | Weblog
 被災した兄の所も、すこしずつ家の中の片付けやら何やらで

(余震もありながら)日常の生活を取り戻しつつあるようです。

 顔を見に行きたい所ですが、、、。

「まだ落ち着かないので、来てほしくはない。」との事ですので遠慮致しましょう。

私も大分落ち着いてきたので、私こそ日常を大切に過ごしたいと思います。

 習字も全然お稽古してないし、、、。

(本を読んだり、編み物はしていましたが、、。)

鍛錬することとは、歩みを止めてはいけないんですねぇ~。

文字が思うように書けなくなってしまいました。(クワバラ、クワバラ!)

宮本武蔵ばりに、「千日の鍛錬万日の鍛錬」ですね。

肝に銘じて、、、。
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その後

2011-04-05 23:29:56 | Weblog
 兄の家族とは、携帯のメールか電話でやり取りをしています。

兄嫁が、「皆から色々送って頂いてありがとう。大変助かっています。

お礼とお返しはどうしよう?」とメールが来ました。

 私は、「お礼は今は亡き母に、、、。生き続けて下さるのがお返しです。」

と返信致しました。

続いて「ありがとう!!」のメールが来ました。

 生活物資を送って頂いたのは良いけれどと、重荷になっている部分も

ある事でしょう。

非常事態とは言え、立場が違えば感じることも違うでしょう。

この大災害に、さぞ体も気持ちも打ちひしがれている事でしょう。


 それでも、前を向いて生き抜いて欲しいのです。


私も過去に、つらいアクシデントが何度もありました。

それでも泣きながら、又鼻歌を歌いながらも生き続けているのです。


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少しの安堵(2)

2011-04-03 23:46:21 | Weblog
 今回の兄の被災につきましては、後日談がありまして、、、。

私達親類の連携プレーがあります。

私が新潟にいる兄に電話をしまして、「ニュースによると、もしかしたら

家ごと流されているかもしれない。」と話をしました。

そこで兄が大変びっくりされました。

それから、インターネットに投稿したそうです。

それを青森に出張中だった長兄の甥が見まして、直ぐに山形経由で

被災地の仙台の兄の所へ向かったそうです。

 兄弟皆で大騒ぎをした甲斐がありました。

ひとまずは胸を撫で下ろしました。

 親類中で、兄に少しずつ荷を送り始めました。

復興するまでは、過大な時間とエネルギーと周りの暖かい手が

必要でしょう。

 私は、母が生きていれば大変心配したであろうと思います。

微力ながら「母の想い」の何分化の1を届けたいと思っています。




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少しの安堵

2011-04-03 11:45:07 | Weblog
 今回の震災で、仙台の兄の所が被災しました。

無事が分かるまでは、あちらこちら夜中まで電話のかけどうしで

落ち着かない日々を過ごしました。

この未曾有の災害は誰が予想したでしょう~。

 兄の家は、もう少しで大津波に流される所だったようです。

兄自身も、車から降りたら親類の人と一緒にのみ込まれて

流されたそうです。

流されながらも、「病人の親類だけは何としても助けてやらなくちゃ、」

と思って必死に動いたそうです。

そうして、、、。

救急車を呼んでいただき、間一髪で親類の人も助かったそうです。


 それから3日後に、姉に電話があり皆に連絡してもらいました。

姉曰く「その親類の人に、貴方は助けられたのよ。」

他人のためには凄い力がでるものなんですねぇ~。

その次の日に、兄の肉声を聞きました。

本当に安心しました。

 今は、私の故郷を心配しつつ過ごしております。

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