「福島県耶麻郡誌」中の怪異伝説 その1 猫魔嶽 など
2023.5
「福島県耶麻郡誌」には、耶麻郡口碑伝説の章があります。出版年は大正8年ですが、内容的には、江戸時代かそれ以前のものです。
各表題の前の数字は、原典にはありませんが、私が、便宜的に付けたものです。
福島県耶麻郡は、猪苗代湖の北部の、猪苗代町、磐梯町、北塩原村、西会津町、喜多方市などを含む地区でした。
このうちの、大部分が現在の猪苗代町のものです。
第十八章 口碑伝説
第一節 口碑(こうひ) その1(1~10)
1.猫魔嶽(ねこまだけ:磐梯町から北塩原村にまたがっている。今は、スキー場がある。ネコマスキー場)
昔、猫又がいて、人を食べたといわれており、この名がある。
北の方に猫石と言ってその表面が畳のような大石があった。
その下には草木が生えず、ゴミも無く、掃除をしたような感じであった。
猫又がそこに住んでいる故であろうと言う。
済み
2.みやませうびん(ミヤマショウビン)
飯豊山(いいでさん:喜多方市北部)に「みやましょうびん」と言う鳥がいる。
頭背腹脇 共に赤く嘴と足とは最も赤い。
鳩の様な大きさで、其の声は大豆を転がすのに似ているといって、里の人々は、まめころばしとも名をつけている。
この鳥が嗚くときは、必ず雨が降るといって、雨乞い鳥とも言う。
3.猪苗代
いつの頃にか、磐椅(いわはし)明神の霊験により野猪(いのしし)が来て、ここを走って行った。
その跡が苗代(なえしろ)田になったことによって、穀物の種をまいた。
それ故に、この名がついた、と言う。
4.一円清水
土津(はにつ)墳墓の南に一町五十八間、墓道の西傍に在る。
干ばつの時でも涸れることがない。
これが涸れれば、凶事があると言って、畏れている。
また、新産婦で乳汁があまり出ない者は、この水で粥を炊(た)いて、食べれば、効験がある。
眼を患らっている者が、目を洗えば、治らないことは、無いそうである。
注:土津は、ハニツと読む。現地では、土の右上に点を打っている。地方文字、俗字です。
猪苗代町には、土津神社があるが、会津藩の歴代藩主を祀っている。
この、土津(はにつ)墳墓というのは、神社に付随した神道の墓地であろう。しかし、ここに言う「一円清水」というのは、今では、見あたらない。
注:一町チョウは、約109m。一間ケンは、約180㎝。
5.田子沼
もと山潟村(今は、猪苗代町の一部)の山中にあったが、今はない。
永正(えいしょう:1504年~1521年)の頃、下野の浪人の関加賀と言う者が、安達郡玉井村より郎党を引き具し、ここに来た。
(猪苗代の領主の)三浦氏に請うて廃田を興したので、再び人の住む所となった。
その頃、山潟村(猪苗代町の一部)に斉多(サイタと読むのだろうか?)と言う娘がいた。
田子(たご)、商殿(あきんどどの)と言う二人の男が、この娘に心を寄せて、しかるべき人に頼んで、その娘の父に婚姻を頼んだ。
しかし、困った斉多は、この沼に身を投げて死んだ。(編者注:葛飾のママのテコナを思い起こさせる。ここに言う田子というのは、農民で、商殿と言うのは、商人と言うことであろう。個人名では無いだろう。)
二人の男は、彼女の死を聞き、嘆き悲しみ、また諸共に溺死したそうである。
その後、毎夜、沼の中から相い争う声が聞こえた。
常に悪い風を吹きおこし、農業を害した。
それで、関加賀は、三人を神として祀り、歳時の祭礼を怠りなくおこなってから、このような怪しいこともやんだとのことである。
しかし、その後も、この里にのみ風雨あることがある。
これを村民は、山潟のホマチ雨と言っている。
又、鮒(ふな)を産する。
これらを取ると、霖雨(リンウ:ながあめ)の変ありと言って、畏れて取らなかった。
済み