加藤清正の河童退治 「本朝俗諺志」
2025.1
肥後國熊本の八代の辺りに川童(カッパ)が多い。
しかし、所の人には、害をなさない、と言う。加藤清正が当国の藩主であった時、川狩りをしたが、児小姓の一人が川童(かっぱ)に水中に引き入れられてしまった。
清正は大いに怒り、
「我が領地にあって、我が家来の命を絶つ事は、言語同断である。
この上は、国中の川童を狩って、一匹も残さす打ち殺してやろう。
先づ、他所へ退げられないように、多くの貴僧高僧を集めて彼らを封じ、
それから、川上より河童らに対して毒になる薬を流そう。
数千の石を焼いて隠れている淵へ投入れさせよう。
又、猿を多く集めよ。」と下知した。
川童は、湯をあびれば、力を落とすものである。
石を焼いて淵に入れるのは、淵の水を沸かすためである。
猿は、川童を見ると力を増し、川童は猿にあうと、立ちすくみに成るものである。
猫に鼠よりも、厳しいものである。
強勢の清正が、強く命令したので、国中の川童どもは大変に恐れた。
肥後の川童(かっぱ)九千の頭は、九千坊と言った。
九千坊は、大いに悲しみ、封じた僧たちをたのんで、再三願って、ようやく赦された。
それで、永く所の人に害をなさないと固く誓約をした。
それより、カッパによる災いがなくなった。
しかし、時として、旅人には害があるそうである。
「本朝俗諺志」広文庫より
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