河童を神として奉る 「甲子夜話」
2025.1.19
先年、領国(平戸藩)に怪しい絵のあるお札が到来した。
後で思い出してこれを探し出そうとしたが、見つからなかった。
最近(乙酉:きのととり:1825年)ふと、文箱よりその版画が出てきた。
この図に小記を添える。
拙い分ではあるが、その大意を述べた。
「訓蒙図彙」には、こうある。、
川太郎は、水中に有る時は小児の如くして、身長は金(?)尺八寸より一尺二寸あり。
「本草綱目」には、水虎河伯とある。
出雲の国では、川子大明神と言う。豊後の国(大分県)では、川太郎、山城の国(京都府)では、山太郎、筑後の国(福岡県)では、水天宮と言う。
九州では、川童子というが、これは恩返しの福を授けたことによって福太郎とも言う。
そもそもの由来は、こうである。
相州(相模:神奈川)金沢村の漁師の重右衛門の家に持ち伝へてある箱に、水難疱瘡の守りと記してあった。
そのまま、家内に祭っておいてあった。
享和元年五月十五日夜、重右衛門の姉がこんな夢をみた。
夢の中に童子が来て、
「我れは、この家に年久しく祭られているが、忘れられている。願わくは、我がために一社を建ててくれよ。
そうすれば、災難、疱瘡、麻疹の守神として擁護をしようぞ。」
と言った。そして、たちまちに夢は、醒めた。
姉は不思議に思い、親類に告げた。皆集って、共に箱を開き見ると、異形のものがあった。
顔は猿のようで、四肢に水かきがあり、頭には、凹んでいる所があった。
そして、夢のお告げの故を以って、福太郎と称した。
その後、又某侯の求めで、その屋敷に出したが、某侯の所にも同じ物があった
同じように夢のお告げにより、水神として祭った。江戸と、その領国においても、しばしば霊験があるそうだ。
又、こうも言う。今その社を建立したのによって水神と唱えている。
信心のある人々は、このお札を十二銭で買う。
南八丁堀二丁川自身番向 丸屋久七
又、この後に図を附す。(略)
これは、私(著者)ではない他の人の添えたものであう。これも又ここに載せる。 (略)
総じて川童(カッパ)の霊あることは、領地の村では、しばしばあった。
予も先年、領地の境の村にて、この河童の手と言う物を見た。
大変猿の手に似て、指の節が四つあったと覚えた。又この物は、亀の類であって猿と組み合わせたものであった。
或いは、立って歩く事もあったと言う。
また、鴨を捕る事を仕事とする者の言葉を聞くと、水沢(すいたく)の辺に窺って見るに、水辺を歩いて
魚貝を取って食うそうである。又、時として水汀(みぎわ)を見るに足跡があり、小児のようである。
また、漁師の言葉では、稀に網に入ることがある。
魚が取れないと、特に嫌っている。網に入れば、すぐに放って捨てる。網に入ったのを引き上げて見ると、その形は、一円石(?)のようである。これは、蔵六(?)のようであるからである。
川童(カッパ)を水に放り投げれば、四つの手足、頭、尾を出して、水中を逃げ去っていくと。
そうであれば、全くカメ類である。
訳者注:この文中に「訓蒙図彙」よりの、引用がある。手元に、「訓蒙図彙」があるので、調べてみたが、無かった。それとも、違う版のものにあるのだろうか?あるいは、書名を誤ったのであろうか?
「甲子夜話」(著者は、平戸藩主の松浦静山) 広文庫より
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