江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

もう一つの「野馬台詩」  「兎園小説拾遺」

2020-10-04 20:08:05 | 江戸の街の世相

もう一つの「野馬台詩」

「兎園小説拾遺」には、面白い話が載っていますが、これに「野馬台詩(やまたいし)」を見つけました。
一般に知られている「邪馬台詩(やまたいし)」とは、全く違います。

 

兎園小説拾遺の「文政13年雑説併狂詩二編」には、二つの狂詩が、記載されています。

そのうちの一つが、流行の野馬台詩とあります。

一般に知られている「邪馬台詩」とは、全く違います。
また、通常の「邪馬台詩」は、立派な漢文ですが、
ここのは、擬漢文です。ほとんど、江戸時代の雑文です。
解釈が出来にくい部分がありますが、わかる範囲で、読み下しました。
15行目の「雲峰婆々古狸喰」は、この文の後に、「麻布大番町奇談」という項があります。
雲峰という人の家に長く仕えた、老女が、タヌキに喰われたという話です。
他の、詩句にも、それぞれ何かがあるのでしょう。

以下の文?表?は、原典より横書きにしたものです。

通から始まり、声で終わっています。

 

滸一水 好―外 御―年 寺―責―亦―来

丨 丨 丨 丨 丨 丨 丨     丨

松 狩―牧 存―祭 当 此―節―和 再

丨         丨     丨 丨

木 人―生 力―士 慎―至―必―尚 皮

丨 丨 丨 丨 丨         丨

踊―四 捕―大 馬 織―薩―布―太 貂

        丨 丨     丨 丨

被―出 評―町 蹄 羽―薄―紋 布 笠

丨 丨 丨 丨 丨     丨 丨 丨

叱 逃―判 川―小 ―人―小 藤―組

寄 本―所 煙―裏 ―之―咄 暑―残

丨 丨 丨 丨 丨     丨 丨 丨

合―咄 狼―煙 苦 日―暮―御 世 止

        丨 丨     丨 丨

目―亡 成―尺 高 日―日―穏―上 雨

丨 丨 丨 丨 丨         丨       `

高 尺―三 六―松 婦―悞―倉―千 喰

丨         丨     丨 丨

利 打―悪 当―殺 小 雲―箱―両 狸

丨 丨 丨 丨 丨 丨 丨     丨

為―闇 口―別 玄―関 峰―婆―婆―古

 

 

 


流行野馬台詩

   小川町評判、土浦侯、馬に蹴られし事也。雲峰婆婆古狸に喰る。
   流行野馬台詩の記事の一篇を以下に録した。
   庚寅(かのえとら)の秋八月、ある人に借りて、抄写した。
  

  通人小紋薄羽織、   通人は、小紋に薄羽織(うすばおり)   
  薩布太布藤組笠、   薩布(薩摩上布?)、太布(たふ) 藤の組み笠  
  貂皮再来亦責寺、   貂皮は再び来たりて、亦 寺を責む
  此節和尚必至慎、   此の節の和尚は、必ず慎(つつしみ)を至(いた)す     
  当年御祭存外好    当年の御祭りは、存外に好し(ぞんがいによし)    
  牧狩水滸松木踊、   牧き狩り 水滸 松木踊り(お祭りの出し物でしょう)
  四人生捕大力士、   四人を生け捕り 大力士、(これも、お祭りの出し物でしょう)
  馬蹄小川町評判、   馬蹄 小川町の評判 
  逃出被叱寄合咄、   逃げ出し、被叱(しかられる) 寄合咄(よりあいばなし)
  本所狼煙々裏苦、   本所の狼煙(のろし) 煙の裏(うち)は苦し
  高松六尺成三尺、   高い松は六尺 三尺に成る、 
  亡目高利為闇打、   亡目高利(盲目の高利貸し)は闇打ちにあう
  悪口別当殺玄関、   悪口の別当は、玄関にて殺される
  小婦悞倉千両箱、   小婦(わかい女は)は、千両箱を悞しみに倉う(楽しみにしまう)、
  雲峰婆々古狸喰、   雲峰(人名)の婆々(ばばあ:ばあや)は、古狸に喰われる
  雨止残暑世上穏、   雨は止んで、残暑ありて、世上は穏やか
  日日日暮御咄之声。  日日日暮(ひび にっぽ:一日中)御咄し之声(おはなしの声)
     


江戸時代の三大盗賊 その3 日本左衛門  兎園小説余録

2020-08-29 23:39:21 | 江戸の街の世相

江戸時代の三大盗賊 その3 日本左衛門

 

                        2020.8

 

日本左衛門人相書

 

兎園小説余録 日本左衛門人相書 

 

「兎園小説余録」

編者注:時代劇には、しばしば、犯罪人の人相書が出てきますが、その実例として、お見せします。
滝沢馬琴先生は、南総里見八犬伝を始め、多くのベストセラー小説を書いています。
それと同時に、江戸の町での様々な噂、伝聞、奇談なども、集めて書いて、出版しています。
私にとっては、こちらの方が却って面白く感じます。
人相書きが、実際にどのようであるかは、実に興味ある事ではありませんか?
以下の文は、「兎園小説余録」の中にある文書の、現代語訳です。

ここより、本文。
江戸より、送られてきた書き付けの写し
一、せいの高さ 五尺八・九寸程
一、年は、29歳(見かけは31歳に見える)
一、鼻筋が通っている
一、小袖、鯨尺で、三尺九寸
一、月額濃く、引き疵1寸5分程
一、目、中細く、顔は面長な方である
一、襟、右の方へ常にかたよっている
一、びん、中少しそり、元ゆひ十程まき、
一、逃げ去った時に着用の品、   こはくびんろうじわた入小袖、但紋所丸に橘、下に単物もえぎ色紬、紋所同断、じゅばん白郡内、
一、脇差しの長さは二尺五寸。鍔(つば)は無地ふくりん、金福人模様、さめしんちゅう筋金あり。小柄ななこ、生物いろいろ、こうがいは赤銅無地、切羽はばき金、さや黒く、しりに少し銀有。
一、はな紙袋はもえぎらしや。(ただし、うら金入り。)
一、印籠、鳥のまき絵、     

この者、悪党の仲間の内では、日本左衛門と呼ばれている。
本人がこの様に自称したことはない。
右の通りの者を見つけたら、その所に留め置くこと。
そして、御料地は御代官、私領地は領主地頭へ申出ること。
その後、江戸、京、大阪のいずれか近い所の奉行所へ報告すること。
もし、日本左衛門について知ったことがあれば、報告をする事。
隠匿して、そのことが後で判明すれば、きわめて悪質である。  
 以上。

延享三年(1746年)寅年十月 右の御書き付けは、十二月十二目御宿継奉書にて、仰せつかわされた。
この一条は、「佐渡年代記」の延亨三年丙寅年(カノエトラのとし)の記に記載されたのを抄録した。


江戸の三大盗賊 その1 鼠小僧次郎吉  「兎園小説余録」

2020-07-19 21:04:06 | 江戸の街の世相

戸の三大盗賊 その1 鼠小僧次郎吉

                 2020.7

江戸時代の泥棒、盗賊で最も有名なのは、鼠小僧次郎吉でしょう。

それに次ぐのは、稲葉小僧。日本左衛門です。
この3人について、「兎園小説余録」に記載がありますので、紹介します。

「兎園小説余録」(天保三年、1832年)は、大変面白い内容です。滝沢馬琴先生の編集です。


以下の文は、「兎園小説余録」の中にある文書の、現代語訳です。


鼠小僧次郎吉略記

このものは、元来は、木挽町の船宿某(なにがし)の子であった、と言う。
小さい時から放蕩無頼であったそうである。
家を追われて、武家の足軽として仕えたという。
文化中、箱崎奉行より町奉行に転役して、程なく死去された荒尾但馬守の家来であった。
その後、荒尾家を退職して、あちこちの武家に渡り奉公をっした。
これによって、武家の案内をよく知るようになった、とか言う説がある。

ついに、前代未聞の夜盗になった。この十五ヶ年の間、大名屋敷へのみ忍び込んで、或いは長局、或いは納戸金を盗んだと言う。

その夜盗に入った大名屋敷は、おおよそ七十六軒、忍び込んで盗めなかった大名屋敷は十二軒であった。
盗み取った金子は合計三千百八十三両二分余であった。
(軒数、金額は、「聞くままの記」にある。:原文の注)
これは、白状したままの数字であるとの事である。

かくて、今ここの(原典の注:天保三壬辰年)五月(原木脱字)の夜、浜町なる松平宮内少輔屋敷へしのび込んだ。
そして、納戸金を盗みトランと盗ろうと、主人の寝ている部屋の襖戸をあけた時、宮内殿は、目を覚した。
しきりに宿直の近習をび呼覚した。
「これこれの事がある。そこらをよく見よ。」と言った。
それで、みなは受け承わって、周囲を見ると、戸を引あけた所があった。
さては盗人が入ったのだ、と、これより家中迄さわぎ立て、残す限なく探すたので、
鼠小僧は、庭に走り出て、屏に乗って屋敷の外へ飛びおりた。
ちょうどその時、町方定廻り役(原典注:榊原組の同心の大谷木七兵衛)が夜廻りのため、はからずもその所へ通りがかた。
深夜に武家の塀に乗って、飛び降りたものであったので、有無を言わせず、立ちどころに搦め捕った。
さて、松平宮内殿の屋敷へ忍び込んだことを白状した。
留守居に届けてやりとりをし、夜廻りの途中で捕まえたことを説明し、最寄りの町役人に預けた。
明朝、町奉行所へ報告したが、直ちに、入牢させられた。

何度も取り調べた上、八月十九日、市中を引き廻しの上、鈴ヶ森において、梟首された。
このものは悪党ながら、人の難儀を救った事が、しばしばであった。
それで、恩をうけた悪党が、それぞれが牢見舞を贈ったが、大変多かった。

処刑された日は、紺の越後縮の帷子(かたびら)を着て、下には白練の単衣(ひとえ)をかさね、襟に長総(ながふさ)の珠数をかけていた。
年は三十六、丸顔にて小ぶとりであった。

馬にの乗せられた時にも、役人達へ丁寧におじぎをして、悪びれる事はなかった、と見た者の話であった。
この日、見物の群衆が大変多く集まり、伝馬町より日本橋、京橋辺は、爪も立たない程であったそうである。

鼠小僧の妹は三味線の師匠をしており、中橋辺に住んでいた。
次郎吉が召捕られた折まで、妹と同居していたと言う。
嘘か誠かは、わからないが、聞いたままを記した。


江戸の三大怪盗  その2 稲葉小僧  兎園小説余録

2020-07-19 21:04:06 | 江戸の街の世相

江戸の三大怪盗  その2

稲葉小僧 兎園小説余録

 天明のはじめの頃、あだ名を稲葉小僧と言う盗賊がいた。
親が稲葉殿(山城の国の淀藩主)の家臣であったが、幼少より盗み癖があったので、ついに親に勘当されて、夜盗になった。
そういうことから、悪党仲間では、稲葉小僧と呼ぶと言う巷説(こうせつ:ちまたの話)がある。
本当かどうかは、わからない。

この稲葉小僧は、谷中のそばで、町方定廻り同心に搦め捕られて、もよりの自身番へ預けらた。
町役人等は、小僧を縄をかけたままつれて、町本行所へ行こうとした。
が、不忍の池のほとりで、大便がしたいと訴えた。
それで、そばの茶店の雪隠(せっちん)に入れた。
しかし、水際にあったので、ひそかに縄を解きはずして、走って池の中に飛びこんだ。
泳ぎがうまかったのか、逃げ切ってしまった。
その時は薄暮の事であったので、役人たちは、ただ騒いだだけで、捕まえられなかった。

そのウワサが、人々の口に広まった。

この頃、葺屋町(ふきやちょう)の歌舞伎座で、この事が狂言にとり組まれて、大いに当たった。
舞台は、お染久松の世話狂言(芝居)であった。市川門之助はお染の兄の悪党何がしとお染と、一人で二役を演じた。その早がわりが、大当りした。
(原注:久松の役は、市川高麗蔵が演じた。これは今の松本幸四郎((訳者注:多分、四代目))である。久
松の親の野崎の久作を演じたのは、大谷広次((訳者注:歌舞伎役者:年代からすると三代目であろうか))であって、浄瑠璃も演じている。)
お染の兄が縛られて引かれて行く折、縄を解いて池の中へ飛び入ってから、やがてお染になって、花道の切幕より飛び入った早変わりを演じた。
悪党と美女子の二役を、あざやかに演じた新車(原注:門之助の俳句での筆名)を、観客たちは、皆うれしがったのである。

この狂言を、私(筆者)は五回も観た。

今の世ならば、このような狂言(芝居)は、必ず禁ぜられたであろうが、この頃までは、特に幕府からの弾圧も受けなかった。

さて、その稲葉小僧は、逃げて上毛(群馬県)の方に行ったが、痢病を患って病死したそうである。

これは、それから少しして同類の盗人が搦め捕られた折に、自白したが、稲葉小僧が病死した事も白状した。

その当時、そのことがウワサとなって流れてきた。

そもそも、件の稲葉小僧は、前に記した鼠小僧と相似た夜盗であって、しばしば大名がたの屋敷へしのび入って、金銀衣類器物を盗みとったとのことである。
この様な泥棒が、逮捕されずに病死したことは、残念なことである。

その時期に悪名が最も高かったのは、この両小僧であった。

但し、稲葉小僧は、逃げたことにより、その名が世に聞えた。
鼠小僧は搦め捕られてから、その名が、急に有名になった。

特に有意義なことではないが、記録して、もって戒めとするだけである。
(編者注:戒め=教訓としたのは、幕府の弾圧・言論統制をのがれるため。
     本当は、単純に面白いから記録した、ということでしょう。)

 

「兎園小説余録」 滝沢馬琴先生

 


邪馬台詩:江戸時代に流行した予言の詩 その3

2020-06-09 15:14:38 | 江戸の街の世相

邪馬台詩:江戸時代に流行した予言の詩   その3

                               2020.6

以下は、編者の、預言としてではなく、文字からの解釈です。    

東海姫氏國。 東海の姫氏の国
東海に姫氏の國あり。東海は、日本の事。
姫氏国は、二つの意味にとれる。姫氏の國といえば、中国古代の周王朝の王姓は「姫」氏である。
もう一つは、女帝の国ともとれる。天皇家は、天照大御神という女神の子孫である。それで、東海姫氏國は、日本であるとも解釈できる。

百世代天工。 百世(ひゃくせい)にして天工に代わる
 これを文字通り解釈すれば、建国100目の王=天皇、まで、系統が続き、その後は、天命によって、誰かに変わられる、となる。
もう一つの解釈は、百世代までは、天命によって、国を統治する、とも解釈できる。

右司為輔翼。 右司(ゆうし)は輔翼(ほよく)と為(な)る。
      (または、)右司を輔翼と為す。
右司為輔翼の右司は、補佐する者の意。建国後は、臣下の補佐で、国を運営する、との意。

衡主建元功。 衡を主さどり、元功を建つ。
 何かの基準を制定して、功績を挙げる。
 衡は、重さのこと。度量衡を定めることは、国内の取引を正しく行わせる事を意味する。社会を安定化させる。これは、権力者の統治能力の高さを現す。

初興治法事。 初めて治法の事を興す。 
初興治法事は、法を定めて、国家運営を行うの意。
・・・これは、実は、大変重要な事で、21世紀の今でも、法を無視して、国家を運営、私物化している国がある。哀哉!

終成祭祖宗。  終には、祖宗の祭りを成す。  
祖先を祭る。古代にあっては、重要な事。・・・特に誰が誰を祭るかは、どうにでも解釈できるでしょう。

本枝周天壌。 本枝は天壌に周(あまね)し。 
樹木の大本から枝が分かれていくように、一族が増えて、別れて広がる、とも解釈できる。王の一族が、分かれて、国土全体に広がり、繁栄した。

君臣定始終。 君臣 始終を定む。
君臣の身分を固定化した。王の、権力基盤が確立した。

谷填田孫走。 谷は田を填(うず)め、孫は走る。
谷填田孫走は、谷が崩れて田畑が埋まり、民が四散する。・・・天変地異により、凶作、飢饉が起こり、人民は、死んだり、逃げたりする。
・・・しかし、この解釈は少し難がある。というのは、このように、読むと、前後の句の読み方と違ってくる。しかし、この様に解釈するしか、出来ない。

魚膾生羽翔。  魚膾(ギョカイ:さかなのなます)は、羽を生じて翔ぶ。 
魚膾(ぎょかい)は、魚の生の切り身のこと。当然、死んでいる魚である。しかし、死んだ魚に羽が生え、どこかへ飛んでいった。がの意。・・・あり得ないことが起こる、との寓意。

葛後干戈動。 葛(かつ)の後、干戈(かんか)動く。
誰かの支配の後、または何かが起こった後、戦争、戦乱が起こる。葛後干戈動の干戈は、タテとホコ。それで、干戈カンカは、戦争や争乱の意。
葛後の葛の意味は、不明だが、どのような解釈、こじつけも可能であろう。

中微子孫昌。 中ごろ微子(びし)の孫 昌(さか)んなり。
中頃、つまり時代が下ると、微賤な者がのし上がり、国を支配し、その子孫が繁昌するであろう。


白龍游失水。 白龍 游んで水を失う。
この場合の白龍は、正当な、高位者、権力者を指す。龍が水を失うとは、力を失うこと。龍は、水の生き物。時の権力者が、力を失う、失脚するとの意。


窘急寄胡城。 窘急(くんきゅう)にして胡城に寄る。
窘急寄胡、城。胡城の胡は野蛮人の意。胡城は、野蛮人の城ではなく、僻地の城、根拠地と解釈できる。
窘急は、緊急の意。

黄鶏代人食。 黄鶏 人に代わって食す。
黄鶏代人食の解釈は、難しい。解らない。
字義通りに解釈すると、黄色い鶏が、人に代わって何かを食べる。

黒鼠喰牛腸。  黒鼠 牛腸を喰らう。
黒いネズミが、牛のハラワタを食べる。あまり起こらないような事が起きる。

丹水流盡後。 丹水 流れ盡きての後。
丹(たん)は、水銀の化合物で、赤い色。丹水(たんすい)は、血を象徴している。
戦乱などによって、大量の血が流れ尽きた後。

天命在三公。 天命は、三公に在り。
天命が変わり、三公に移った。権力、実権が三公に移った。この三公は、三人の実力者、反逆者とも考えられるし、三公という一人の人物かもしれない。
天命が変わる事は、すなわち革命(天命が変革)である。


百王流畢竭。  (ひゃくおう ながれ ことごとく つきて)
百王は、百代続いた王家(または天皇家)がおわった後。または、百王とは、多くの実力者、軍人、夜盗のたぐいを指す。多分、後者が正しいであろう。
打ち続いた戦乱、争乱が終わった後。

猿犬稱英雄。 猿犬(えんけん) 英雄を称す。
猿や犬のようにつまらない人物が、英雄気取りで、互いに戦う。

星流飛野外。 星は流れて、野外に飛ぶ。
流れ星が、飛ぶ様な、天変地異や、不吉なことが起きる。

鐘鼓喧國中。 鐘鼓(しょうこ)國中に喧(かまび)し。
鐘や太鼓の音が、国中に届いて、うるさい。
鐘や太鼓をたたいて、戦乱、内乱、騒動がおき、国中が乱れる。

青丘與赤土。 青丘(せいきゅう)と赤土(せきど)と。
東方の地区・国と南方の地区・国。この句は、次の句と一体であろう。
青丘は、古代中国では、東方をさす。従って、この青丘には、いくつかの解釈が可能となる。中国領域での東は、山東省あたり。もう一つは、日本。また、朝鮮では、自国を青丘と呼ぶこともある。しかし、朝鮮を青丘と自称した1000年以上も前の文献は、存在しない。
赤土は、南方の土の色。南方の土は、、一般的に赤いので、単に南方もしくは南方の国であろう。
古い時代には、赤土国というのがあるが、東南アジアのどこかにあった国である。

茫茫遂爲空。  茫々(ぼうぼう)として遂に空(くう)となる。
ぼうぼうとして、遂に空しくなる。滅びる。


以上の解釈に、適当な、固有名詞(国名、地名、人名、官職など)を充てれば、様々な解釈が成り立つであろう。