朝倉の蛇田 「土佐風俗と伝説」より
2023.4
今は昔、土佐郡朝倉村の南方の網代谷(あじろだに)と言う所に、毎年秋の稲の熟する頃、猪が出てきて歩き、田を荒らすことがあった。
百姓の難儀は、大変なものであった。
所の若い郷士の桑山大八と言う剛勇の武士は、
「おのれ害敵を退治してやろう」
と、ある夜、手銃をさげて、そこへいった。
夜ふけに及び、果して猪の群れが出てきたので、引金に手を掛けんとするや、にわかに猪は何物にか恐れたのであろうか、驚き逃げ散った。
大八は不審ながら、急に妙に眠気を催したので、銃を投げ仮眠してしまった。
しかし、頭上へ、亡き父の姿が朦朧と枕神に立った。
「大八、猪は逃けたが、他の敵が来たぞ。」
と告げたので、目を覚したが、何者もいなかった。
又、眠れば枕神が立った。
この様なことが三度に及んだので、大八も怪しみ、あたりを見わたした。
果して、巨大な蛇が大口を開き、まさに一ロに大八を呑みこもうと近づいた。
そこですぐに銃を取り、目にも見せない早さで一発二発、その両眼を打ち貫いた。
それで、流石の怪物も急所の痛手に耐えきれなかった。
近辺の稲田をのたうち回りながら逃げて行方を見失しなった。
翌朝、村民とともに大蛇を探したが、東方の鏡岩の近くに、枯木の様な巨大な遺骸を発見した。
蛇の死んだ田は、後に崇があった。
小さい祠を建てて、大蛇を祀った。
漸く、祟りが起こらなくなった。
今なお、この辺に蛇田と言って、一町六反一畝二十六歩の大田がある。