新・節約ランニング生活

2023年に引越してきました。ランニングで資金を貯め、それをベースに大会参加します。当面の目標は「古希サブ4」です。

札幌五輪の思い出

2024-04-26 23:04:03 | 健康
4月26日(金) 曇りときどき晴れ

1972年の札幌五輪で金メダルに輝いた笠谷が亡くなったとのことです。スキージャンプ70m級(今はノーマルヒルと称す)で日本勢が金銀銅を独占し「日の丸飛行隊」と呼ばれたその隊長です。

銀の青地、銅の金野はすでに亡く、笠谷が亡くなったことで飛行隊全員が鬼籍に入ったわけです。なんだか寂しいですな。

1972年冬といえば、私は札幌市在住の高校二年生でした。受験の切迫感はまだなく、意外にチケットが入手しやすかったため、アイスホッケー、スキー大回転などを見に行きましたが、何といってもスキージャンプ90m級(今はラージヒルと称す)に期待しておりました。

70m級でメダル独占だから90m級でも相当やるのではと期待感Maxです。観客スペースまで歩いて上がらねばならず、しかも立見席、冬なので(当たり前だ)寒くて辛かったのですが、70m級の再現に期待してじっと我慢しておりました。が…

他の日本人選手は期待外れに終わりましたが、笠谷が普通に飛べばメダル圏内(1本目で2位だった)というシチュエーションになりました。ところが、(ご存じのように)空中で風にあおられてしまい失速、入賞も逃してしまいました。あの時の観客スペースのガッカリ感はすさまじかったです。まだ二本目の残っている選手がいるのに一斉に帰り始めたほど。私自身、そのあとどうやって家まで帰ったのか全く記憶にありませんね。結局、日本のメダルは70m級の3個のみでした。

札幌五輪の記憶という点で、個人的には、女子フィギュアスケートのジャネット・リンが一番推しでした。学年が1年上のほぼ同世代ということもあるし、何しろ可愛かったですから。フリーの演技で尻もちをついたのに満点が出るのはおかしいなとは思ったものの、世間的にも彼女なら許しちゃうという雰囲気が漂っていたのでした。元気かなぁジャネット(気やすく呼ぶな!)

あれからもう52年も経ちました。金と利権にまみれて失墜したこともあり、五輪にはもうはっきりと興味を失いましたが、東京五輪のアベベと円谷、札幌五輪の笠谷とジャネット・リンのことだけは永遠に忘れることはないでしょう。あ、シドニーのQちゃんも入れてあげよう。

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今日も暑い中を慎重にランニング。今日はタラタラ走でいいので12km走っておくというのがテーマ。

特に問題なく終了しました。内転筋の違和感も昨日ほどではなかったので、何となく順調に快復しているように思えました。明日は14km/キロ6分まで上げてみようと思います。

ラン資金    -53371円
月間走行距離        238km
年間走行距離       1194km
コメント
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