前回は四魂の一つ、『和御魂(にぎみたま)』についてでした。
結局、『和御魂』である『調和の心』、その心とは全てそれで善い(よい)という心。
これ以外の、アレはいいけどコレはダメという判断、こんな自分はなんてだめなんだ~というジャッジ(裁き)それらは全~部、本質ではないということ。
だから、『それで善い』という『和』の心以外のアレはダメ、これはこうでなくては・・・とか、あの人イヤだわ~という心を持ったとき、その時は本質からずれていますよ、ということ。
でも、本質からズレている、本質ではないから、といって、じゃあ、イケないものなんだから排除しなければ・・・というのもまた『和』の心とは違いますよね。
どのようなものであれ、全てはそれで完全なのです
これが『和』の心なのですから。
それなら、本質ではない心はどうすればいいのか・・・
それは、ただ、その心の存在が自分の中にあるのだということを認めて、その心もまた、自分の一部なんだと受け入れればそれで良いのです。
あー、わたしってあの人のこと嫌いなんだな
そう、認めて、あとはセドナメソッドで解放すればいいだけ。
解放する、ということは拒絶することでも、切り離すことでもありません。
ただ、その心を認めてあとはその心をゼロに戻すということ。
ゼロに戻す、ということはその心を『本質に戻す』ということ。
もとがどのような心であっても、本質に戻ると、その心は『至福と安らぎ』になります。
だから、本質以外の心をどんどん認めて、ゼロに戻し、自分の中に融合させればさせるほど、至福と安らぎの心を自分の中に取り込むことになります。
歓びが増えれば、増えるほど・・・
幸せですよね?
ということで、四魂の二番目は『幸御魂(さきみたま)』。
『幸』というのは、もう、この字の通り『幸せの心』です。
だから『幸せの心』以外の、悲しみや怒り、恨みなどの心は全て本質以外のもの。
『幸せ』以外の心がある、ということは結局は一番目に出た『和』の心、『和御霊』から外れているということ。
つまり、『和御霊』の心で生きれば、歓びと共にありますから、当然、幸せですよね
そして、幸(さき)は先、つまり未来(さき)を指します。
また、その状態が未来(さき)も続く、ということですから、未来(さき)のことを考えたとき、
老後がっ・・・
年金がっ・・・
というような不安など、一切思い浮かばないはず。なんです。
もし、このままいけば、わたしの老後は・・・
というような将来への不安があれば、それは本質からずれていますよ。ということになります。
だって、わたし達の魂は未来永劫、『幸せ』の心以外はないのですから
と、いうわけで、二番目の四魂は幸せの心、『幸御魂(さきみたま)』。
次回は『奇御魂(くしみたま)』です