今回はかな~り重要な内容です。
とは、いってもこのシリーズ自体が非常に重要なのですが・・・
と、いうわけで、今回もよろしくお付き合いください
さて、本題。
今回は『直霊(なおひ)』の柱と『荒御魂(あらみたま)』に関してです。
わたし達は一人一人、自分を中心にして『一霊』といういわば、創造の根源へとぶっとい柱を建てて、その柱から無限の豊かさを得ているのですが、そのためにはこの『直霊(なおひ)』の柱を自分を中心に真っ直ぐに、垂直に建てなければなりません。
少しでも、ズレたり、傾いてしまうと『一霊(いちれい)』へと繋がることはできません。
そのためには、常に自分の中心に意識を置き、自分自身としっかりと繋がることが求められます。
そうして自分と繋がることによって、垂直に建てられた『直霊(なおひ)』の柱を通して無限の豊かさと創造力を得て、この創造力をもって様々な創造をします。
このとき、『全てそれで善い』という調和の心、『和御魂(にぎみたま)』でもって、心から湧き上がる、幸せに満ちた『幸御魂(さきみたま)』の想いで何かをしようと想ったとき、初めて『直霊(なおひ)』の柱を通してわたし達は其々が持つ才能を存分に発揮することができます。これが『奇御魂(くしみたま)』。
そして、『奇御魂(くしみたま)』の才能を使って成された行動が『荒御魂(あらみたま)』となります。
つまり、
『荒御魂(あらみたま)』とはただ、行動するのではなく、その行動のベースになるものが何か?によって、『荒御魂(あらみたま)』になるのか?否か?になるのです。
行動のベースとはつまり・・・
なんで、そうしたのか
という動機です。
この『なんで』が非常に重要
例えば、100万円を寄付したとしても、それが
他人からあの人は素晴らしいという評価や名声、名誉が欲しくて・・・。とか
教会や自分が信仰する宗教の教えだから・・・つまり、死後、天国に行きたいから・・・
といった自分以外の外側からの評価を得るためであったり、死んだ後、地獄に落ちないように、といった恐れの心などからでた思いでの行動であれば、それはどんなに素晴らしい行為であっても『荒御魂(あらみたま)』にはなりません。
だって、自分以外の外に評価を求める、ということは、『直霊(なおひ)』の柱は垂直に建ちませんし、恐れからの心であれば、それは本質(四魂)である『幸御魂(さきみたま)』ではありませんよね。
つまり、それは『本質』からはズレた行動である。
ということ。
『本質』に基づいた行動であれば、そこにある心は至福と安らぎの心だけ。
逆に、至福と安らぎの心以外で成された行動は全て『本質』からズレている。
ということになります。
だから、例えば、『保険』などは、『本質』にはそぐわないものです。
だって、幸せになりたくて加入するものではないですよね。
何かあったら困るという恐れや不安から入るものですから。
『備え』というのも同じ。
ウキウキ、ワクワクしたくてするものならいいのですが、万が一のときに備えて、といういわば、『保険』としての『備え』であれば、それは『本質』ではありません。
何かあったとき、困らないようにとするもの・・・
というのは幸せの心でも至福と安らぎの心でもありません。
そして今・・・
本質に戻ることが求められています。
本質に戻るためには、本質以外の必要のないものをどんどんと手放さないといけません。
そして、本質以外のものは手にする必要はないのです。
それなら・・・
保険も備えも必要はないのです。
だって、自分がしっかりと自分自身に繋がり、本質であれば、必要なものは必要なときに全て受け取れるのですから
だから、もしも・・・のことなんて考えなくてもいいし、そのために何かをする必要なないのです。
必要なことは、
自分自身が本質に戻ること。
本質に戻るには『一霊四魂』の心で日常を過ごし、自分自身としっかりと繋がり、『直霊(なおひ)』の柱を垂直に立ち上げて大いなる創造の源へと繋がる。
そして、『和御霊(にぎみたま)』の心とは違う心を感じたら、『直霊(なおひ)』の柱に迎え入れてその心を至福と安らぎの心へと変換させる。
そうすることで、わたし達は本質へと戻ります。
本質に戻る、ということは至福の存在に戻る、ということ。
誰とも争う必要もなく、何者とも闘う必要もなく、何かを拒絶する必要もない。
不安も恐れもなく、全てが完全で至福と安らぎに包まれ、満たされてどんなことも自由にできる。
それが、私達の本質。
『一霊四魂』この心を、これからの皆様の指針に加えていただければ幸いです