今日は3番目の四魂、『奇御魂(くしみたま)』についてです。
『奇』という字は『奇怪』という言葉からわかるように、『不思議な』という意味を持ちます。
つまり、そのまんまであらわすと、『不思議な魂(心)』ということになりますが、これはわたし達が創造主から渡された才能のことをいいます。
創造主は私達に何を下さったでしょうか?
それは、創造主の持つ創造力、その全て、です。
創造主は私達、一人一人に分け隔てなく、ご自分の持つ創造力の全てを下さいました。
それは、自分の分身、代理としてこの広大な世界を心のままに体験し、心のままに創造し、存分に楽しむように。という心から。
だから、私達は皆等しく、同じ創造力を持ちます。
でも、それぞれの個性により、例えば、スポーツが万能な人でも特にサッカーが得意な人、陸上が得意な人、水泳が得意な人といるように、また、音楽が得意な人でも、ヴァイオリンが得意な人、ピアノが得意な人、声楽が得意な人と別れるように、全く同じ創造力を持っていても、其々の個性により、どんなものを創造するのか?が一人一人違うわけです。
そうして、其々の個性に従って沢山の体験を重ねるうち、人によって持つ特別な才能というのも、千差万別になってきます。
ここがとても重要なこと。
私達は全て、たった一つの源を祖にします。
つまりは、創造主というたった一人(?)の存在の分身。
でも、一人一人が全く違う唯一無二の存在。
私達はいわば、一つのモザイク画のようなもの。
全体で一つの絵画でありながら、一つ一つのピースは全てが違い、どれ一つとして欠けてはならない。
それが、私達という存在。
さて、そんな個性溢れるわたし達は、自分が自覚する以上のもっと沢山の素晴らしい才能を持っています。
その才能、全てが完全に開花するには、前出した二つの魂(心)が必要不可欠になります。
つまり、
最初の調和の心である『和御魂(にぎみたま)』でもって、幸せの心『幸御魂(さきみたま)』に包まれ、満たされて不安も恐れもなく、ただ幸せと安らぎの心一色になったとき、はじめて自分が持つ豊かな才能『奇御魂(くしみたま)』が心置きなく発揮できる。
というわけ。
幸せと安らぎの心一色で発揮される才能ですから、そこから作り出されたものは全てが調和され、全ての存在にとって幸せをもたらす創造となります。
それは、たとえ、目玉焼き一つ作っても、その目玉焼きには『和御霊(にぎみたま)』と『幸御霊(さきみたま)』の心が入った至高の創造になるのです。
それが三番目の四魂『奇御魂(くしみたま)』
『奇御魂(くしみたま)』は『和御魂(にぎみたま)』 『幸御魂(さちみたま)』の二つの心が整って初めて発揮される心なのです。
次回は四番目の四魂『荒御魂(あらみたま)』です